終わり良ければ
          原作:フレドリックブラウン、マックレイノルズ
          アランフィールド
           
            プロローグ
             
             
 宇宙船から発射された、救命艇には、4人の男が乗っていた。3人は、
まだ、銀河防衛軍の軍服のままだった。4人目の男は、救命艇の機首に
座り、前方を見ていた。前かがみで、じっとして、宇宙の低温に耐えら
れる、断熱用の厚いコートを着ていた。こんな厚いコートが必要になる
とは、きょうの朝には、想像さえしていなかった。帽子のふちは、ひた
い深く引き下げられ、暗いサングラスから、海岸の近くを注意して見て
いた。顔の下半分は、まるで、くだけたアゴを守るように、包帯がまか
れていた。




2

1
























































 彼は、救命艇のなかでは、暗いサングラスなんて必要ないことに気づ
いて、サングラスを取った。彼の目には、ずっと、灰色に見えていた世
界が、突然、鮮やかな色を取り戻した。まばたきして、また、前方を見
た。
 救命艇は、ビーチの海岸線の上を飛んでいた。砂浜は、故郷の星では、
けっして、見ることができないような、まぶしいほどの白だった。空や
水は、青で、ファンタスティックなジャングルのへりは、緑だった。近
くによると、緑のなかに、きらめく赤が見えた。彼は、突然、それが、
マリギーだと気づいた。かつて、地球の植民星でペットとして人気があ
った、知能のあるベヌースb星のオウムだ。
 地球の植民星のどの惑星においても、空から血とはがねが降ってきて、
すべての惑星が占領されてしまった。現在は、なにも落ちてはこなかっ
た。
 今、ここでは、ほとんど完全に破壊された世界の一部ではあるが、な
にも落ちてはこなかった。
 このような静かな場所で、ひとりでいることが、彼にとっては、安全
だった。別の場所では、監禁され、あるいは、死にいたるかもしれなか
った。ここでさえ、危険があった。救命艇の3名の乗員には、わかって
いることだった。たぶん、いつか、だれかが話すだろう。そして、ここ
にいてさえ、逮捕しにくるだろう。

4

3
























































 しかし、これが、逃がすことのできないチャンスだった。うまくゆく
可能性は、低かったが、3人は、地球の植民星の外でも、彼がどこにい
るのかわかっていた。さらに、3人は、軍には忠実だが、あまり賢くな
い連中であった。
 救命艇は、休むために、静かに着陸した。ハッチが開き、彼が跳びお
りて、ビーチに向かって歩きだした。すぐに、立ち止まって、振り返り、
救命艇を案内してくれた、ふたりの乗員が、彼の私物の入ったチェスト
を運び出し、ビーチを横切って、林のへりに建っている、ブリキ小屋へ
運ぶのを待った。その小屋は、かつては、宇宙レーダー基地であった。
設備は、ずっと以前に廃止され、アンテナは、根元から折れていた。し
かし、小屋は、ちゃんとまだ、建っていた。しばらくの間は、彼のすま
いになるだろう。かなり、長いあいだかもしれない。ふたりの乗員は、
出発の準備のため、救命艇へ戻っていった。
 船長は、彼の正面に立った。厳粛な面持ちだった。船長が、右手をわ
きから動かさなかったのは、強い意志によるもので、これは、命令から
だった。敬礼は、なかった。
 船長の声も、厳粛で、感情を、押し殺していた。「ナンバーワン・・
・」
「静かに!」と、彼。それから、きつさを、ゆるめて。「もっと、気楽
にしゃべれるように、救命艇から、ここまで、歩きなおしたらどうです

6

5
























































か?」ふたりは、小屋に着いた。
「おっしゃるとおりですな。ナンバーワン・・・」
「いや、もう、オレは、ナンバーワンではない。たまたまここへ連れて
きた、いとこのミスタースミスとして、オレのことを考えてくれません
か?そうすれば、トンチンカンな言い間違いもなくなります」
「わたしができることは、もう、ないですかな、ミスタースミス?」
「なにも。もう、行ってください」
「いや、きちんと、引き渡すよう、命令を受けています」
「命令なんてありません。戦争は、終わったんです。敗北です。むしろ、
どの宇宙エアポートに帰るかが問題ですね。人間的扱いを受けられれば、
いいですが、そうでなければ・・・」
 船長は、うなづいた。「そうでなければ、大変な扱いをうけますな。
わかりました。それだけですか?」
「それだけです。船長、宇宙封鎖を抜けて、途中で燃料補給してくれた
ことは、勇気ある行動でした。そのことに対して、オレができることは、
感謝を述べることだけです。さぁ、行ってください。さよなら」
「いや、さよならではありません」と、船長。衝動的に、うっかり口を
すべらせた。「またな、ベイビー!さらばじゃ!また会える日まで!・
・・あ、許してくれたまえ。これが、言葉をかけられる最後の機会なん
でな。敬礼してもよいですかな?」

8

7
























































「おすきに」厚いコートの男は、肩をすくめた。
 船長は、かかとを踏み鳴らし、最敬礼して、言った。
「さらばじゃ、ナンバーワン」
「さらば」と、彼。あきあきしたように。






            1
 
 ミスタースミスは、上空から見れば、まぶしいほどの白い砂浜の上の
黒い点だったが、救命艇が、青のなかへ、ついには、ベヌースb星の上
空のもやのなかに消えてゆくのを見ていた。その永遠のもやは、彼の失
敗やつらいひとり暮らしをあざ笑うために、いつも、そこにあった。
 もつれた日々がゆっくり過ぎてゆき、ベヌースb星の太陽は、にぶく
輝き、マリギーは、夜明け前から、1日じゅう、日暮れまで鳴きさけび、
時には、林のなかから、サルのような、6本足のヒヒが現れて、彼に向
かって、キャッキャッとないた。雨がきて、そして、過ぎていった。

10

9
























































 夜には、遠くでドラムの音がした。軍隊の行進のようでもなく、野蛮
で残忍な響きもなく、ただの、ドラムだった。規則正しいリズムで、原
始的なダンスや祈祷きとうのような、おそらくは、森の夜の精霊のためのドラ
ムだったのだろう。ベヌースb星の原住民は、他の原住民とおなじよう
に、迷信をもっていたのだ。それは、なんの脅威でもなく、規則正しい
リズムは、ジャングルの心臓の音のようだった。
 ミスタースミスの知るところでは、彼の運命の選択は、早まった選択
ではあったが、いろいろな報告書を読む時間を与えてくれた。原住民は、
無害で友好的であった。銀河防衛軍は、すこし前まで━━━戦争の起こ
る前まで、彼らといっしょに住んでいた。原住民は、単純で、弱い人種
であった。村から遠く離れることは、めったになく、宇宙レーダー基地
の報告書にも、原住民を見たという報告はなかった。
 原住民と出会わないようにするのは、やさしかったし、もしも、出会
ったとしても、危険はなかった。
 つらさ以外は、心配することは、なにもなかった。
 つらさは、後悔からくるものではなく、敗北からくるつらさであった。
完璧な敗北。くそいまいましいマルスd星人に、あの不毛の星から戻る
途中から尾行された。ユテピールe星の衛星連合艦隊が、日々、なんど
も地球に来襲して、無数の宇宙艦船からの攻撃で、巨大都市はすべて灰
と化した。あらゆる努力にもかかわらず、彼の強力な秘密兵器による抵

12

11
























































抗もむなしく、彼の軍隊の最後の決戦のあと、生き残りは、わずかに2
0名か40名だった。彼の軍隊内の将軍でさえ、敵に内通したものがい
て、月の連隊の裏切りが、決定的な敗北をもたらした。
 彼は、部下とともに、ふたたび決戦にのぞむこともできただろう。し
かし、大敗北のあとでは、彼の生きているあいだは、無駄だった。独裁
者の最後だった。
 銀河系からうらまれ、そのことをのろった。
 そのことは、がまんができるし、ひとりにされたことも耐えられた。
ひとりになることは、予想してもいた。ひとりだが、まだ、彼はナンバ
ーワンだった。もしも、他人がいたら、彼の地位がみじめなくらいに落
ちぶれてしまったことを、思い知らされただろう。ひとりでいるから、
彼のプライドは守られて、自尊心は傷つけられることはなかった。
 
               ◇
 
 長い日々。マリギーたちの鳴き声。波の音。6本足のヒヒたちの幽霊
のように静かな森の移動。あるいは、彼らのキャッキャッというかん高
い鳴き声。ドラムの音。
 これらの音は、それぞれ、単独だった。しかし、もっと静かだったら、
ずっと、つらいものになっていただろう。

14

13
























































 それは、静かだったら、聞きたくないものの音が、もっとやかましか
ったからだ。たまに、彼は、夜に海岸を歩いた。上空には、ジェットや
ロケットの轟音ごうおんがひびいた。その宇宙船は、彼が逃亡する前の数日間に
も、彼の本拠地のニューアルバカーキにやって来ていた。爆弾の炸裂音。
人々の悲鳴に血しぶき。それに、彼の配下の将軍たちの、抑揚のない話
し声。
 征服された憎しみの波が、まるで、嵐に、海の波が岸壁に打ちつける
ように、人々に打ちつけた。戦うことをやめて、同盟を結ぶことは、人
々には、明らかに、憎むべきもの、復讐すべきもの━━━息するのも話
すことも困難な、薄い空気のようなものに感じられた。
 宇宙船。ジェット機。それに、ロケット、あの憎むべきロケットが、
毎日、昼も夜もやって来て、1機が10に分かれて爆発した。空から、
地獄の雨を降らせ、破壊され、大混乱になって、希望をたたれた。
 最近、彼が気づいたことは、なにか別の音がするということだった。
たまに、聞こえ、長く続くこともあった。それは、声だった。ののしる
叫び。憎しみからのわめき声。時には、地球の底力や人々の運命を賞賛
する声。
 それは、彼自身の声だった。白い砂浜の波で反響して、彼がいるとこ
ろまで戻ってきたのだ。ヒヒたちにも、叫び返し、彼らを黙らせた。な
んども、彼が笑うと、マリギーたちも笑った。たまに、ベヌースb星の

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15
























































奇妙な形をした木々たちも話しをした。しかし、彼らの声は、ずっとか
すかであった。木々たちは、従順で、よき従者であった。
 ときとして、すばらしい考えが浮かんだ。木々の種族は、純血種であ
って、他種と混ざることはなく、常に、しっかりと立っている。つまり、
いつの日か、木々たちは━━━。
 いや、これは、たんなる夢、空想だった。当面の問題は、むしろ、マ
リギー、それに、キフという地球のアリに似た虫だった。こいつらは、
いつも、彼を困らせた。大声で鳴くマリギーがいた。「すべて取り逃が
した!」彼は、縫い針銃で、何百回も撃ったが、いつも取り逃がした。
ときには、逃げさえしないマリギーもいた。
「すべて取り逃がした!」
 ついには、もう、縫い針を無駄にするのをやめてしまった。マリギー
に忍び寄り、素手で絞め殺そうとした。この方が、ずっとよい方法だっ
た。何千回目に、やっと、1匹とらえ、殺した。手にあたたかい血がし
たたり、羽が飛び散った。
 これで、終わりにしてほしかったが、そうでは、なかった。今では、
何十匹ものマリギーが鳴き叫び、すべて取り逃がした。もしかしたら、
ぜんぶで、1ダースしかいなかったのかもしれない。今では、すっかり
あきらめて、マリギーを手でふりはらうか、石を投げるだけになった。
 キフは、地球のアリに似た、ベヌースb星の虫で、食料を盗んだ。し

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17
























































かし、このことは、多くの食料があったので、それほど、重大ではなか
った。小屋にあるのは、宇宙船の貯蔵用であったが、使われたことはな
かった。カンを開けるまでは、キフたちはたかることはなかった。カン
を開けて、一度にすべて食べなければ、残したものはなんでも、キフた
ちに食べられた。しかし、このことは、重大ではなかった。カンはいく
らでもあったし、ジャングルには、フレッシュなくだものがいつもあっ
た。シーズン中は、いつも。そして、ここには、雨をのぞいて、季節と
いうものはなかった。
 キフたちが、役だったこともあった。それは、彼に、なにか強い感情、
憎んだりといったマイナスの感情を与えることで、正気を保つのに役だ
ったのだ。
 そう、はじめは、それは、憎しみではなかった。たんなる、いらだち
だった。キフたちを、最初にそうしたように、ただ、殺していた。しか
し、キフたちは、また、戻ってきた。食料庫のどこにしたとしても、い
つも、キフたちがいた。簡易ベッドの4本の脚を、すべて、ガソリンの
入った皿の中に置いても、キフたちは、ベッドの中に入ってきた。たぶ
ん、キフたちは、見たことはなかったが、天井から落ちてきているのだ
ろう。
 眠りも邪魔された。からだの上を走りまわるのを感じた。アセチレン
ランプのひかりで、1時間かけて、ベッドをきれいにしたことさえあっ

20

19
























































た。キフたちは、むずむずするような小さなあしで走り回り、眠らせて
くれなかった。
 キフたちを、だんだんと憎むようになった。不思議だったことは、夜
の作戦が、昼間を、逆に、居心地のよいものにしてくれたことだった。
キフたちをやっつける作戦だ。1匹のキフに食料のかけらを与えて、辛
抱強くあとをつけ、やつらの穴を見つけた。その穴に、ガソリンを注い
で、土でフタをした。そして、地下で起こっているであろう、やつらが、
もだえ苦しみ、死んでゆくさまを想像して、ほくそえんだ。なんども、
キフたちを狩りにでかけ、あとをつけ、やっつけた。おそらく、何百万
匹のキフたちを、殺した。
 しかし、いつも、無数の生き残りが現れた。ほんの少しでも、数が減
ったという様子は、まったく見られなかった。まるで、マルスd星人の
ように。マルスd星人とちがうのは、キフたちは、決して、仕返しには
来なかった。
 キフたちのやり方は、巨大な生産性によって、受動的に抵抗するとい
うものだった。休むことなく、キフたちの子を増やし、圧倒的な数で増
え、何百万だったものを、何十億にして返すというやり方だった。キフ
たちの個体は、殺すことができたので、そのことで、野生的な喜びは得
られたが、彼の方法は、キフたちを全滅させるという目的からは、程遠
いことも分かっていた。ときには、殺す喜びも、役に立たないことで薄

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21
























































れ、ただ、機械的にキフたちを殺しているだけだった。
 わずかな蔵書の中から、キフに関する本をさがし出してきて、注意深
く、読んだ。キフは、驚くほどに、地球のアリと似ていた。両者を比較
検討する書物には、興味がなかった。どうやって、キフたちを全滅させ
るか?それだけだった。
 1年のある時期、キフたちは、地球の軍隊アリのように行進するとい
う。穴から無数のキフたちが出てきて、列をなし、行進をじゃまするあ
らゆるものを、むさぼり食うという。これを読んだとき、彼は、しめた
と思った。ここに、きっと、キフたちを全滅させる手がかりがあるはず
だった。
 ミスタースミスは、今では、人々のことも、太陽系のことも、それが
なんであれ、ほとんど、完全に忘れていた。新しい世界で、重要なのは、
自分のことと、キフたちのことだった。ヒヒたちやマリギーたちも、ど
うでもよかった。ヒヒたちやマリギーたちには、秩序もなければ、シス
テムもなかった。しかし、キフたちには━━━。
 憎しみは、すこしづつ、うらやみながらの、賞賛に変わっていった。
キフたちは、完全な、全体主義の国を作っていた。彼が、かつて、より
強い国を作るために、演説したとおりのことを、キフたちは、すでに、
実現していた。しかも、人間の理解を越えた、完璧な方法で、実現して
いた。

24

23
























































 キフたちには、ひとりの王に対して、完璧な服従心をもっていた。ひ
とりの王が、過酷なまでに無情に、たみを支配し、個々のキフたちは、自
分の命をかけて、勇敢な兵士として戦った。
 しかし、キフたちは、ベッドに入りこんできた。服にも、食料にも。
 キフたちは、むずむずするような小さなあしではい回った。





            2
 
 夜には、海岸を歩いた。その夜は、やかましい夜だった。月光の下、
高く飛びながら轟音ごうおんをあげるジェット機の機体や、海の黒の水面に浮か
ぶ機影があった。それらの飛行機やロケット、ジェット機は、都市を破
壊し、鉄道をただの曲がった鉄にし、稼動していた工場に、水爆を落と
した機体だった。
 彼は、それら夜空の機体にむかって、こぶしをあげ、大声でのろった。
 叫ぶのをやめると、海岸に別の声がした。コンラッドの声だった。そ
の声は、ある日、コンラッドが官邸にやって来て、白い顔をして、敬礼

26

25
























































も忘れて、こう言った日のことを思い出させた。
「デンバーが突破されました、ナンバーワン!トロントやモンテレーも
危険です。他の都市においても」コンラッドの声は、うわずっていた。
「マルスd星人と月の反逆者たちは、アルゼンチンに侵攻しました。ニ
ューペトログラード近郊にも上陸してます。敗北です。すべて敗北です
!」
「ナンバーワン、おーい!」と、声。「ナンバーワン、おーい!」
 声は、だんだん、大きく高くなり、ほかの音より、ずっと激しくなっ
た。自分の声の記憶が、なん重にも、積み重なって、まるで、自分の演
説を聞かされているようだった。
 子どもたちの賛美する声。「ナンバーワン、ナンバーワン━━━」そ
の先を、思い出せなかった。美しい言葉だったことしか覚えていなかっ
た。それは、ニューロサンゼルスにある公立小学校の会合でのことだっ
た。今、ここで、そのことを思い出すのは、じつに、奇妙なことだった。
自分の声のトーンの上げ下げや、子どもたちの目の輝き。思い出したの
は、子どもたちだけだった。その子どもたちは、彼にとっては、死につ
つあるものだったが、みんなにとって必要なのは、しっかりしたリーダ
ーに従うことだと、かたく信じていた。
「すべて敗北だった!」
 突然、巨大なジェット機が、急降下してきた。彼は、白い月光の砂浜

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27
























































では、自分がいかに目立つ存在かに気づいた。やつらは、自分を見つけ
たにちがいない。
 走るにつれ、エンジン音も大きくなった。今や恐怖にかられて、ジャ
ングルに逃げ込むと、巨大な木々の影に隠れながら走った。
 つまづいて、倒れ、起き上がると、ふたたび走った。そして、今、ほ
のかな月光の中で、頭上の木々の枝を通して、なにかが見えた。夜の中
で、かき混ぜられたもの、いろいろな声。夜の中の声、夜の声。ささや
き声や、苦痛にあえぐ叫び。そう、苦痛だった。今、拷問ごうもんにかけられて
いる人々の声が、木々のあいだの、ヒザまでおい茂った、夜露よつゆにぬれた
草のあいだを、追いかけてきた。
 夜は、ぞっとするほど、雑音に満ちていた。赤の雑音、肌にじかに感
ぜられるほどの騒音、それらを、見たり、聞いたりするのと同じように、
感じることができた。しばらくして、息が切れ、心臓の鼓動が荒くなり、
鼓動の音は、まるで、夜のドラムのようだった。
 もはや、走ることができなくなった。倒れないように、1本の木につ
かまり、腕はふるえ、顔は、まるで、ほえる荒々しさが、そのまま刻印
されたかのようだった。風はなかった。しかし、その木は、前後にゆれ、
体もいっしょにゆれた。
 そのとき、まるで室のスイッチがつけられたかのように、不意に明る
くなって、雑音が消えた。まったくの静けさ。木を握っている手に力を

30

29
























































こめて、まっすぐに立つと、あたりを見まわした。1本の木が、ほかの
木と同じようにそびえ、その瞬間、ここに、朝までいなければならない
という考えにとらわれた。それから、波の音が方向を教えてくれたこと
を思いだして、波の音に、耳をすました。波の音は、かすかに、はるか
遠くに聞こえた。
 別の音も聞こえた。今まで聞いたこともないような音で、かすかに、
しかし右方向の、しかもすぐに近くに来ている気がした。
 その方向を見ると、木々の上に、開けた空間があった。そこを、月光
が照らし、草が奇妙なかんじにそよいでいた。草をそよがせる風もない
のに、動いていた。音は、波の音に似ていたが、間隔がなく、連続して
いた。かわいた葉が、さらさら音をたてているようなのだが、かわいた
葉は、どこにもなかった。
 ミスタースミスは、音のする方へ1歩踏み出して、下を見た。見てい
るあいだにも、多くの草が、曲がったり、落ちたり、消えたりした。草
地が消えてゆく、へりの向こうに、キフたちが行進する茶のじゅうたん
があった。
 行列の先に、さらに行列、秩序立って、整列して続いてゆく、誰にも
はばむことのできない前進。何十億のキフたち、軍隊キフたちが、夜を
徹して前進し、前進する先にあるものを、すべて食べつくしていた。
 不思議なことに、彼は、キフたちを見下ろしていた。行進は、のろか

32

31
























































ったので、危険は、なかった。1歩づつ後退しながら、最前列との距離
を保った。キフたちが、ものを噛み砕く音がした。
 行列の一方のへりを見ると、そこは、きちんと整えられた、秩序のあ
るへりだった。ほかのところには、中央から、より外側へ広がってゆこ
うとする一群がいた。
 彼は、さらに、一歩後退した。すると、突然、からだが燃えるように
熱くなって、四方八方に引き裂かれそうな痛みが走った。先陣部隊だっ
た。行列の先頭で、草を食べつくしていた部隊だった。
 ブーツは、キフたちで、茶に変色していた。
 痛みに叫び声をあげ、からだをねじって、燃えるように痛いところを
手で叩きながら、走り出した。前方の1本の木を目指して、おそろしさ
に顔をゆがめながら、走った。燃えるような苦痛から、夜は赤く感じら
れた。
 よろめき、ほとんど目が見えないまま、走り、もがきながら、服を引
き裂いていった。
 これは、痛みだった。耳には、自分が発したに違いない叫び声が聞こ
えた。
 走れなくなると、った。もはや、はだかに近く、とりついているキ
フたちも、わずかであった。必死にに逃げてきたために、軍隊キフたち
の方向とは、じゅうぶん離れたところに来ていた。

34

33
























































 しかし、強い恐怖と、耐え難い痛みの記憶から、さらに、進んだ。ひ
ざは、むき出しで、もはや、うことさえできなかった。ふたたび、震
える足で立ち上がり、すこし、よろめいた。1本の木をつかんでは、か
らだを押し出し、つぎの木をまたつかんでは、からだを押し出した。
 倒れ、起き上がり、また、倒れた。のどは、憎しみにまかせて叫んだ
ことで、ひりひりした。ブッシュやかたい木の皮で、からだは、キズだ
らけであった。
 
               ◇
 
 夜明け前の村に、よろめきながら、ひとりの男が入ってきた。ほとん
ど、はだかの地球人だった。彼は、うつろな目で、あたりを見回したが、
ほとんどなにも見えていないか、なにも理解していないようにみえた。
 女たちと子どもたちが、彼のところまで走ってきた。男たちは、遠巻
きに見ていた。
 彼は、震えながら、その場に、立っていた。疑り深い原住民たちは、
彼のからだが傷だらけで、見ることさえできないのを知って、驚いたよ
うな目をした。
 彼には、敵意のある動きが、まったく見られなかったので、ベヌース
b星の原住民たちは、だんだんと周りに集まって、うろうろしたり、ぺ

36

35
























































ちゃくちゃしゃべったりした。なん人かは、なんでも知っている、首領
と首領の息子のところへ走っていった。
 この一見まともでない、ほとんどはだかの男は、なにかしゃべろうと
して、口を開いたが、しゃべるかわりに、倒れてしまった。まるで、死
んだかのように倒れた。しかし、みんなに、地面から抱き起こされたと
き、彼のほほは、まだ、赤く、苦しそうな息をしていた。
 アルワという老人の首領と、息子のヌラタがやってきた。アルワは、
すばやく、するどい口調で命令を下した。ふたりの男が、ミスタースミ
スを首領の小屋の中へ運んだ。そして、、首領の妻たちと息子が、傷を
いやす軟こうをぬって、地球人の手当てをした。
 しかし、数日たっても、彼は、身動きもせず、話しもせず、目を開く
こともなく、ただ、横になっていたので、彼が生きているのか、死んで
いるのかさえ分からなかった。
 そして、ついに、彼は目を開いた。そして、話し始めたが、みんなに
は、なにを言っているのか、まったく、わからなかった。
 ヌラタがやって来て、聞いていた。ヌラタは、みんなの中では、地球
の言葉が、もっとも得意だった。それは、しばらくのあいだ、特別顧問
として、地球の軍隊といっしょに行動していたからだった。
 ヌラタは、聞いていたが、頭をふった。
「彼の言葉は」と、ヌラタ。「たしかに、地球の言葉だが、なにを言っ

38

37
























































ているのか、まったく、わからない。彼の心が、病んでいるようだ」
「そうかもしれぬな」と、老人のアルワ。「たぶん、彼のからだが回復
すれば、彼の言葉は、美しい言葉になるじゃろう。地球人の言葉で、神
とその善について、われらに語ってくれた、われらの神父の言葉のよう
にな」





            3
 
 ふたたび、みんなは、彼を看病した。やがて、彼の傷は、かなりよく
なった。目をあけ、となりに座っている、ヌラタのハンサムな青い肌の
顔を見ることができる日が来た。
「いい日だね」と、ヌラタ。「ミスター地球人、気分はどうだい?」
 返事は、なかった。地球人のふかくくぼんだ目は、自分がずっと寝て
いたマットを見てから、ヌラタを見つめた。ヌラタは、彼の目は、まだ、
完全には回復していないことが分かったが、以前のような支離滅裂さは、
なくなっていることも分かった。ヌラタは、精神錯乱とかパラノイアと

40

39
























































いった言葉は、知らなかったが、その違いは、区別できた。
 地球人は、荒れ狂った状態は脱した。ヌラタは、文明人ならもっとし
そうな、間違いをしていた。ヌラタは、パラノイアは、一般的な精神異
常よりは、ましだと考えていた。ヌラタは、地球人も話してほしいと思
いながら、話しつづけたが、なにも話さないことが、危険であることを、
分かっていなかった。
 「地球人、あなたを、歓迎いたします」と、ヌラタ。「われらと、い
っしょに住んでください。われらの神父、ゲルハルト神父のように。ゲ
ルハルト神父は、空高い天国におられる神々にお祈りするよう、教えて
くれました。ヤハウェやジーザス、それに、天空からの預言者たちを。
神父は、また、われらの敵に祈りをささげ、愛することも教えてくれま
した」
 ヌラタは、頭を、悲しそうにふった。
「しかし、われらの部族のおおくは、昔からの神々、無慈悲な神々に戻
っていってしまいました。彼らが言うには、地球人とは争いがあったが、
今は、残っていない。しかし、父のアルワとわれは、地球人を歓迎しま
す。あなたは、昔からの神々に戻っていってしまった者たちを救うこと
ができます。愛とやさしさを教えることができます」
 独裁者の目は、閉じられた。ヌラタには、彼が眠っているのかどうか、
分からなかったが、小屋を出るために、静かに立ち上がった。ドア口で、

42

41
























































振り返って、言った。
「あなたのために、祈ります」
 ヌラタは、うれしそうに、走って、村を出ると、4番目のお祭りのた
めに、ベラベリーを集めている仲間をさがしに行った。
 ヌラタが、なん人かの仲間と村に戻ったとき、地球人は、去ったあと
だった。小屋は、からっぽだった。村の外をさがしまわったあげくに、
地球人が通った足あとを見つけた。彼らがたどると、足あとは流れに出
て、流れに沿って続いていた。グリーンプールという、彼らにとって、
その先はタブーであるところに来ると、その先は、進めなかった。
「地球人は、下流に行った」と、アルワ。重々しく。「海と海岸に向か
った。地球人は、すべての流れは、海へ行くことを知っていて、そうし
たのだ」
「たぶん」と、ヌラタ。心配そうに。「空の船が、海岸にあるのだろう。
地球人は、みんな、空から来る。神父が、そう、教えてくれた」
「おそらく」と、アルワ。老人は、目をほそめた。「地球人は、すぐに、
われらのもとへ。帰ってくるだろう」
 
               ◇
 
 そう、ミスタースミスは、みんなが願っていたよりも、ずっと早く、

44

43
























































戻ってきた。実際、自分の小屋で着替えると、すぐに戻った。その服装
は、いままでの服装とは、かなり違っていた。ピカピカの皮のブーツに、
銀河防衛軍の軍服、それに、縫い針銃のホルスターつきの幅の広いベル
トだった。
 しかし、夕暮れに村に戻ったとき、縫い針銃は、手に持っていた。
「オレは、ナンバーワン、この宇宙域の神、つまり、きみたちの支配者
でもある。きみたちの首領は?」
 アルワは、小屋にいたが、地球人の言葉を聞いて、出てきた。地球人
の言葉は、分かったが、どういうことなのかは、分からなかった。
「地球人」と、アルワ。「戻ってきてくれて、うれしい。われが、首領
だよ」
「きみは、首領だったことになる。今から、オレが首領になった。オレ
に従うのだ」
 アルワの老人の目は、おかしなことを言われて、とまどったように見
えたが、言った。
「いいとも、あなたにつかえよう。われらのみんなも、つかえる。しか
し、地球人がわれらの首領というのは、ふさわしくない━━━」
 縫い針銃が、ヒューと鳴った。アルワは、しわだらけの両手で骨ばっ
た首を押さえた。アルワの首の中央から寄ったところに、縫い針があた
った穴があいていた。老人の黒っぽい青の肌をつたって、赤い血がかす

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かにしたたっていた。毒を塗られた縫い針の激痛から、老人はヒザをつ
き、そして、倒れた。ほかの者たちは、老人のもとへ駆け寄ろうとした。
「もどれ!」と、ミスタースミス。「老人を、ゆっくり死なせてやるん
だ。なにが起こっているのか、すべてを見るがいい━━━」
 しかし、首領の妻のひとりは、地球人の言葉が分からずに、すでに、
アルワの頭をささえていた。縫い針銃が、ふたたび、ヒューと鳴った。
彼女は、アルワに折り重なるように倒れた。
「オレは、ナンバーワンだ」と、ミスタースミス。「そして、この宇宙
域、全惑星の神だ。オレにはむかう者は、ただちに殺される━━━」
 そのとき、村のものみんなが、ミスタースミスにむかって走ってきた。
彼の指は、引き金を引いて、押し寄せてくる前列の4人を殺した。ヌラ
タは、真っ先に走ってきたので、殺された。ミスタースミスは、押し寄
せてきた村人たちに、押し倒され、取り押さえられた。
 地球人は、しばりあげられ、小屋のひとつに、放り投げられた。女た
ちは、死んだものたちを、嘆き悲しみ、泣き叫んだ。男たちは、話し合
いを始めた。
 その話し合いで、カラナが、新しい首領に選ばれた。カラナは、みん
なの前に立ち、言った。
「われらの神父、ゲルハルト神父は、われらをだましていたのだ」おそ
れと不安から、彼の声はふるえ、青い顔は、心配そうだった。「もしも、

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あの地球人が、神父が語ったような神だというのが、ほんとうなら━━
━」
「あの地球人は、神なんかではない」と、ひとりの男。「ただの、地球
人さ。この惑星には、はるか、はるか、はるか昔から、多くの、多くの、
多くの敵が、空から降りてきた。しかし、今、彼らは、みんな、死んで
しまった。お互いに殺しあってね。そうさ、さっきの最後のひとりも、
彼らの仲間さ。しかし、あの地球人は、正気じゃないがね」
 彼らは、長いあいだ話しあった。夕闇が夜になっても、なにをしたら
よいのかについて、話しあっていた。炎のゆらめきが、彼らのからだを
照らし、待っているドラム打ちも照らした。
 問題は、むずかしかった。正気でないものを傷つけることは。タブー
であった。もしも、彼が、ほうとうに神だったら、もっと、悪いことに
なるかもしれない。雷や稲光が空から落ちてきて、村を破壊するだろう。
だが、あえて、彼を逃がすことはしなかった。ヒューと鳴って人を殺す
悪い銃を奪って、埋めたが、彼は、別の方法で人を殺すかもしれない。
前に戻ったところへ行って、別の銃をもってくるだろう。
 そう、それは、彼らにとっては、むずかしい問題だったが、一番年上
で、一番かしこい老人のマギャンが、ついに答えをみつけた。
「カラナ」と、マギャン。「あの地球人には、キフたちをあてがうこと
にしよう。もしも、キフたちが、彼を殺したとしても━━━」老人のマ

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ギャンは、歯の抜け落ちた歯茎を見せて、不気味にニタリとした。
「それは、キフたちがやったことで、われらのしたことではないことに
なる」
 カラナは、肩をふるわせた。
「それは、どんな死よりも、一番むごたらしい死だな。もしも、彼が神
なら━━━」
「もしも、彼が神なら、キフたちは、彼を傷つけやしないさ。彼が、も
しも神でなく、ただの正気でない男だったとしても、われらが、彼を傷
つけたことにはならない。木に縛りつけることは、直接、彼を傷つけた
ことにはならないからさ」
 カラナは、よく考えた。それは、村のみんなの安全にかかわることだ
ったからだ。考えながら、アルワとヌラタが殺されたときのことを、思
い出した。
「わかった」と、カラナ。「そうしよう」
 待っていたドラム打ちは、話しあいのおわりのリズムを叩きはじめた。
若者たちは、たいまつを手に、キフたちをさがしに森へはいって行った。
今はまだ、軍隊キフたちが行進している時期だった。
 しばらくさがしたあげくに、軍隊キフたちの行進を見つけ、戻ってき
た。
 彼らは、地球人を連れ出して、1本の木に縛りつけた。地球人を、そ

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こに残して去った。地球人のさるぐつわは、そのままだった。それは、
キフたちがやってきたときの、地球人の悲鳴を、聞きたくはなかったか
らだった。
 さるぐつわの布は、やがて、かみくだかれもするだろうが、そのとき
までに、悲鳴を上げるだけの肉が、残されていることもないだろう。
 彼らは、地球人を残して、村に戻った。ドラムは、彼らがしたことに
対して、神の許しを乞うリズムになった。それは、彼らのしたことが、
タブーのラインぎりぎりだったことが分かっていたからだ。しかし、彼
らの怒りの原因は大きかった。それでも、彼らは罰せられないことを望
んだ。
 夜を徹して、ドラムの鼓動は続いた。










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            エピローグ
 
 木に縛られた男は、なわをほどこうと、もがいたが、きつく縛られて
いて、もがけばもがくほど、結び目は、さらに、きつくなった。
 彼の両目は、暗闇に慣れてきた。
「オレは、ナンバーワンだ!神だ!」と、叫ぼうとした。
 しかし、叫べず、なわもほどけなかったので、すこし、正気が戻った。
自分がだれなのかを思い出し、昔の憎しみやら辛さが、わきあがってき
た。
 村で起こったことも思い出した。それで、ベヌースb星の原住民は、
なぜ、自分を殺さなかったのか、不思議に思った。なぜ、殺すかわりに、
縛って、夜のジャングルにひとりで置き去りにしたのだろう?
 はる遠くに、ドラムの鼓動が聞こえた。夜の心臓の鼓動のようだった。
そして、もっと大きな音、すぐ近くに音がした。恐怖がやってきた瞬間
の、自分の耳の血管の鼓動だった。
 彼らがここに縛ったわけが分かったことによる、恐怖だった。恐ろし
さから、わけの分からないことをしゃべりだした。そして、ついに、軍
隊キフたちが、彼にむかって、行進してきた。
 恐怖が、徐々にひろがってくる時間が、まだあった。自分の魂のたましい黒の
かどに、なにかが、確実に這ってくるという恐怖。ある軍隊キフたちは、

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耳やら鼻腔にはってきて、別のグループは、目を食べるために、まぶた
をかじり出した。
 それから、まさに、それが最後であったが、彼は、かわいた葉が、さ
らさら音をたてているような音を聞いた。じめじめして、暗いジャング
ルには、かわいた葉などないし、草をそよがせる風もなかった。
 哀れにも、ナンバーワンは、最後の独裁者であったが、ふたたび、正
気を失うようなことはなかった。それは、正確ではないかもしれない。
ナンバーワンは、笑っていた。笑って、笑って、ただ、笑っていた。
 
 
 
                            (終わり)









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