ザ・オフィス
          原作:フレドリックブラウン
          アランフィールド
 
          パート1=始まり
          パート2=始まりの終わり
          パート3=終わりの始まり
          パート4=終わり
           
            登場人物
 
コンガ氏:コンガ&ウェイ社の経営者、機械類を工場に売っている。
マーティレインズ:簿記係、21、ステラをデートに誘いたい。
ステラクロスターマン:ファイル係、ヒールをはくと男より背が高い。
ウィビロービィ氏:オフィスマネージャー、鋭い目線で監視している。




2

1
























































フレッド:オレ、語り手、高卒で雑務係に応募。読書好き、作家志望。
メアリーホートン:速記タイピスト、たまに指をすべらす。
ブライアンダナー:営業マン、その1
ジョージスパーリング:営業マン、その2






パート1=始まり
            1
 
 コンガ&ウェイ社のオフィスは、かつてはシンシナティのコマースス
トリートに建っていたビルの2階にあった。そこは当時有名だった
橋からそれほど離れてはなかった。り橋は、ケンタッキー州コビント
ンへと流れる広い泥だらけのオハイオ川にかっていた。
 フォンテインスクエアやコマースストリートといった町の中心部から
数ブロックのところだったが、そのあたり3ブロック一帯は、すべて家
賃が安かった。それは建物が古い、それもすごく古いせいもあるが、わ

4

3
























































ずかフロントストリートとウォーターストリートをへだてただけで、川か
ら非常に近かったからだ。大きな川が増水であふれると、しばしば洪水こうずい
なった。しかしこれは、オレが書いているこの物語の短いあいだは、一
度も起こらなかった。
 そのビルは今はもうない。20世紀初頭の当時においても、そのビル
は非常に古かった。ビルのあった場所は、橋に出る新しい通りの一部に
なった。そのビルは今はもうないというだけでなく、そもそも建ってい
た場所がない。もしもその場所が土やコンクリートで埋められていたら、
ビルはなくなったと言えるかもしれない。そこは名前も知らないビルに
なった。
 コンガ&ウェイ社は、一方で、本来のもの以外に多くの社名があった。
特殊なビジネス用語で、20世紀初頭固有の、スクリューマシンプロダ
クツやミッドウェスト旋盤サプライ会社、仕上げ研磨会社といった名前
だった。すり減ってはいるがくっきりとした、黒で縁取られた金色の文
字で書かれた社名は、コンガ&ウェイ社の看板の下、オフィスの出入り
口のドアに書かれていた。
 こんなふうに名前が4つもあるのは、詐欺ではないかとあんたは言う
かもしれない。ビジネスは、もっぱら、エドワードB・コンガという名
前の一人の男によって行われていた。ウェイ氏は10年近く前に亡くな
っていた。しかし共同経営規約に従って、ウェイ氏の未亡人は利益の2

6

5
























































5%を受け取った。彼女が生きてるあいだはずっと。しかしそれ以外の
ことに関しては、彼女は一切口出しせず、すべてをコンガ氏にゆだねる
代わりに、社名に亡き夫の名前を残すことを主張して譲らなかった。コ
ンガ氏は、みんなの利益のために、彼女に関しては例外を認めたが、自
分に関しても同様に感じた。ウェイ夫人をとても嫌っていた一方で、共
同経営者のハリーウェイはずっと最良の友人であったので、会社の看板
に彼の名前を残すことでハリーの思い出を大切にしたいと感じた。会社
の別の名前に関しては━━━仕上げ研磨会社は、メアリーホートンの一
番上の引き出しにある爪やすりのようなものを含めなければ、研磨機は
扱ってなかった。ミッドウェスト旋盤サプライ会社は、コンガ氏にとっ
ては紙の重さくらいの重要性しかない、モーステーパシャンクに設置す
る4分の3インチの第2中心軸しか扱ってなかった。スクリューマシン
プロダクツが扱うスクリューマシンに最も近いものは、エンピツ削りや
パウダー状の黒鉛だった。扱う量はとても少なく、ほとんど利益につな
がってなかった。
 このような小さな不備は、かといって別段、大きな不備につながって
もいなかった。コンガ氏は全面的に信頼できるという男ではなく、ただ
の仕事人だった。シンシナティやその近くの店から機械を仕入れ、ピッ
ツバーグやアクロン、シカゴにある工場に売っていた。
 コンガ氏のもとで、7人が働いていた。

8

7
























































 
            2
 
 人間は、生まれて、そして死ぬ。つまり、始まりと終わりがあって、
どちらも時間的にはっきりとした地点がある。情熱的な興味深いできご
とが、生まれる前に起こったり、葬儀屋やうじ虫たちのできごとが、死
んだ後も続くことはあるが、その人間自身に関する限り、はっきりとし
た始まりとはっきりとした終わりがある。
 場所については、時間で定義するのは、より難しい。場所はいつもそ
こにあるし、これからもいつもあるだろう。その光景は変わるかもしれ
ないが、そこには時間的な境界がない。
 コンガ&ウェイ社があった場所は、かつては別の会社やさまざまな会
社があった。あるときは、平屋の小屋だったり空き地だったりした。そ
れより以前は、ロサントビルという町の初期移民のひとりが耕した広大
な土地が広がっていた。のちにそこはシンシナティとなった。その前は、
そこには1本のオークの木が枝を広げていて、インディアンの少年が木
登りをしていた。インディアンたちが来るはるか昔、オークの木のずっ
と以前は、どんぐりのなるトゲのある木が立っていた。過酷な季節のあ
いだ、モズは獲物をトゲに突き刺して保管し、そこに巣を作り、その場
所がのちに正確に、簿記係のマーティレインズの机の上のインクつぼを

10

9
























































置いた場所となった。
 
            3
 
 1922年6月29日木曜の午後、そこから始めよう。この年は好況
が始まる年だった。また、不況が始まる7年前でもあった。2年に及ぶ
不況の終わりを見た年で、20世紀がうなりを上げ始めた年だった。
 マーティレインズを登場させる。年令は21、身長5フィート7イン
チ、体重130ポンド、普通のブロンド髪で、簿記係。モズの巣にペン
を刺したり、借り方に項目を記入したり、自分の勇気を知るためだけに
ファイル係のステラクロスターマンをデートに誘ったりするようなやつ。
研磨剤10パウンドと半ガロンの接着剤を借り方に記入してから、台帳
から顔を上げて、オフィスの奥で、ステラがファイルキャビネットの下
から2番目の引き出しに腰を曲げているところへ目をやった。
 ステラは、ほどよく肉付きのよい、すばらしい体をしていた。顔は別
の方を向いていたが、マーティは、彼女が温かい茶の目をして、ときど
き涙でかすむことを知っていた。髪は肩までのショートヘアでやはり温
かい茶だった。彼女は背が高く、ふつうのハイヒールでは、目の高さが
ほとんどマーティの背の高さだった。ときどき彼が少し不快に思い悩む
のは、夜に高いヒールをはいてきたら、彼より背が高くないように見せ

12

11
























































られるかどうかだった。また、ステラはまだ背が伸びるのではないかと
悩んでいた。いや、そんなことはないと彼は考えた。彼女は19だし、
19になったらふつうはもう背は伸びない。少なくとも、彼、マーティ
は、17で背が伸びるのが止まった。17から20才のあいだ、もう1
インチか2インチ、背が伸びないかと虚しい望みをかけながら、注意深
く背を測ってきたが、1年前に彼はあきらめた。
 さらに2つの項目を記入すると、ふたたび目を上げた。ステラは今は
一番下の引き出しに体を曲げていて、スカートが数インチめくれて、巻
き上げたシルクのストッキングの上1インチか2インチ、滑らかなオリ
ーブ色の肌が見えた。
 それは、マーティには興味があるところだったが、気にしていいのか
悩むところだった。それは不謹慎だった。娘はヒザの下までストッキン
グを巻き上げるべきでないし、そんなふうに腰を曲げるべきでない。彼
がまた思い悩むのは、ほかの男たちはオフィスでこのようなものを見る
のかどうか。営業マンのふたりは不健全な心があったが、ふたりとも外
出していた。年寄りのコンガ氏は、自分のオフィスにいた。雑務係のマ
ックスならどうするかと捜したが、思い出した。マックスは2日前に辞
めていた。しかし、オフィスマネージャーのウィビロービィ氏は自分の
デスクにいたので、マーティは彼を見た。そしてすぐに、数字を記入し
ていた台帳に目を落とした。ウィビロービィ氏の目は、ステラクロスタ

14

13
























































ーマンの足を見ていなかった。マーティを見ていた。目からレーザービ
ームが出て、こちらに向かってきていた。ウィビロービィ氏の、なんと
いう嫌味っぽい目!すべてを見ていて、すべてお見通しであるかのよう
な。マックスが前にこう言っていた。ウィビロービィは、頭の後ろにも
目がある。それほど間違ってはなかった。
 マーティレインズは今度は目を上げずに、さらに6項目記入した。グ
レイソン会計を終え、項目にしるしをつけて、ページをめくった。彼の
顔はまだ、先ほどの気まずさから少し紅潮していた。
 なぜ、と彼は思い悩んだ。ほかのやつらのような図太い神経がないの
だろう?ひどく恥ずかしがり屋なことを、なぜ悩んだりするのだろう?
彼は恋人がなく、白人で、21だった。ハンサムではなかったが、醜くみにく
もなかった。背は平均より少し低かった。それはそれほど重大なことで
もないし、それによってなにかができなくなるわけでもなかった。週2
0ドル稼ぎ━━━一部を貯金した。
 ステラクロスターマンは、まだ19で、ただのファイル係だった。
(いや、と彼の内部のなにかが言った。彼女は女神だ!彼女は特別な存
在だ!彼女はなぞに満ちている!)
 しかしなぜ、つぎのチャンスで、自然に「ステラ、今夜の予定は?」
けないのだろう?彼は、彼女には好かれていると考えていた。たぶ
ん、彼女はすぐいい返事をくれるだろう。あるいは、悪くても、なにか

16

15
























































予定があって、こう言うだろう。「なぜって、今夜は忙しいの、マーテ
ィ。でも━━━」そして、つぎの予定のない夜になにを約束するかは、
彼に託される。
 「ステラ、今夜の予定は?」たったの4ワードを言うだけだ。しかし
自然に4ワードを言おうとしても、自分の声がなにか変なのが分かって
いた。正しく言い始めても、最後には自然な質問にしてはピッチが高く
なりすぎて、自分がアホに思えて、たぶん恥ずかしくなって、後悔する
ことになる。なにか欠けていることでもあるのだろうか?
 彼は、また、ステラを見た。今は立ったまま、一番上の引き出しで作
業していた。キャビネットの上に書類の入ったカゴが置いてあった。一
番上の紙を取り上げて、名前を見て、それぞれのファイルに入れていた。
単調な仕事に違いない、とマーティは考えた。
 すばらしいアイデアを思いついて、彼の目が輝いた。彼女が取り上げ
た手紙のひとつが、ヒーラー&リー社やシンシナティ旋盤会社といった
宛名でなく、ミス・ステラクロスターマン宛てになっていたら?なぜだ
めなんだ?彼女をデートに誘ううまい方法だ。コンガ氏が手紙を口述筆
記させるときの形式ばったビジネスレターのように書ければ、なにかの
目的のためにうまくしゃべれるようになる第一歩になるだろうし、今ま
で恥ずかしがり屋だと思われていたのは、ただの気まぐれだったと見な
されるようになるだろう。

18

17
























































      「ミス・ステラクロスターマン
      コンガ&ウェイ社様方
      シンシナティ、オハイオ州
      親愛なるミス・ステラクロスターマン:」
 よく考える時間がなく、少し怖かった。つまり、少し考えて、心に決
めてしまったので、彼女がどう考えるだろうかとかどういう返事をくれ
るか心配し出した。ウィビロービィ氏が見てないことをさっと確認して、
デスクの引き出しから1枚紙を出して、ひらいたままの台帳の上に広げて、
書き始めた。自分の大きな誇りになっている、きれいなスペンサリアン
書体で、デートという目的のために書いた。簿記係として、マーティは
単に適任というだけだった。コンガ&ウェイ社の簿記システムは、同様
に、シンプルというだけだった。
 マーティレインズは鈍感な少年だった。彼の前に何人かの登場人物を
登場させたが、彼は物語の要にかなめなっている。
 彼が鈍感な少年だというのは、なにも彼のせいではないし、仕事がそ
うさせていたのでもなかった。実存主義者は、もちろん、すべて彼の責
任だと言うだろうが、実存主義の思想は、1922年には、まだ台頭し
てなかった。フロイトもアメリカでは知識人にしか知られてなかった。
 語り手であるオレは、それは彼の母親のせいだと言いたい。陽気な1
990年代の終わりにかけて、彼女はバルチモアの売春宿の娼婦をして

20

19
























































いた。そこで敬虔な長老派教会のビジネスマンと知り合い、愛し合い結
婚した。しかし3年もしないうちに、彼は心臓発作で亡くなった。彼女
には、幼い息子と質素な生活なら暮らしてゆけるだけの財産を残した。
彼女は、そのように暮らすことにためらいはなく、過去の仕事に戻るこ
とはなかった。夫の宗教については、やめたわけではなかったが、それ
ほど熱心でもなかった。彼女のよくない過去への心からの償いつぐなの気持ち
から、過度に自分を責めていた。
 マーティに対しては、多くの者が無条件に信じる神を強く信じるだけ
でなく、女性の神聖さを強く信じるように教えた。彼女の教えによれば、
純粋さは神にもっとも近い場所で生まれると言う。このことは、なんど
も強調された。考えることの純粋さは、おこないの純粋さと同じように、
とても重要だった。
 この信念を過剰投与されれば、どんな男でも曲げられてしまう。マー
ティは過剰よりもっと多く吹き込まれた。彼の父は、ふつうに良心的な
男で、生き、そしてまったく違う形の物を残した。最悪でもマーティは、
比較的健全なエディプスコンプレックスを発展させた。しかし、ほとん
ど覚えてない父を憎む理由がなかった。物については、全く違っていて、
長老派よりもカソリックを支持した。この場合には、処女マリアの崇拝
から、彼は、純粋な女性像をあがめることになった。それにより、彼の母
親も含めて、他の女性たちは、肉体および神聖さからは程遠いなにかで

22

21
























































作られていることを、見抜くことができた。物に支えられて、21にな
って彼は完全に、おこないと同様、考えることにおいて純粋だった。彼が
セックスの仕組みが分かっていなかったと言ってるのではなく、なにか
そこには嫌悪すべきものがあって、純粋に、少なくとも彼の意識下の心
では、そう考えるようにしつけられていたのだ。もちろん、彼はそれが
出産のために必要な行為で、種の保存につながるということを知ってい
た。もちろん、彼はそのことが分からない程おろかではなく、彼が今い
るのは、過去にそのようなことが行われたからということを知っていた。
彼の母親の結婚生活において、あとで彼の父親となる、見知らぬ男と。
しかし、彼の心がシャイでその事実から離れたがって、それについて考
えるのをこばんだ。つまり、互いに愛し合っている結婚生活の場合は、事
情はまったく異なっていた。その行為が単独で行われようと、あるいは
基本的に出産のために行われようと。
 友好的でない精神分析医は、当時でさえ数少ないが、たぶんこう言う
だろう。マーティレインズは予想もされなかった、ただの事故で生まれ
てきただけで、装填した銃の引き金に髪が引っ掛かっただけだったと。
 しかし彼の母親は、彼はパーフェクトだと考えた。彼女の基準に照ら
して、そうだった。
 
            4

24

23
























































 
 1922年6月29日木曜日。いい天気だった。
 オフィスマネージャー、ジョフリーウィビロービィは、そのことに感
謝した。太陽は出ていて、暖かかった。ウィビロービィ氏は、暖かい日
を愛し、寒い日を憎んだ。彼に寒い日々が訪れたのは、自分の残りの人
生すべてを賭けて戦った、1917年から1918年の冬の4ヶ月だっ
た。4年半前は、塹壕ざんごうの中にいた。神に誓って彼が決心したことは、も
う2度と塹壕ざんごうには入らないということだった。たとえ殺されようとも。
彼の遺書は、それがなければ重要でもないが、埋葬ではなく火葬にして
くれということだった。
 彼は少し身震いした。死だとか埋葬やら、軍隊や塹壕ざんごうのことを考えさ
せたのは、なんだったのだろう?死は、避けることができるなら、考え
ないでも済むものだ。塹壕ざんごうでの数ヶ月間を除けば、彼は軍隊でイヤな日
々を過ごしたわけではなかった。1917年の志願兵の中では、彼は年
齢が少し上の方で、少し優秀だった。事務の経験があったので、補給部
の仕事に回され、すぐに軍曹になって、フランスの港へ送り込まれた。
そこでは今とさほど変わらない仕事、それほどやっかいでもない仕事が
与えられた。その後、悪い時期に、彼は愛国主義の影響を受けて、世界
を救うために自分の生涯を捧げるべきだという大胆な考えを抱き、前線
に配置替えしてもらった。彼が犯した哀れな間違いによって、成し得た

26

25
























































ことのなんと少なかったことか!
 
               ◇
 
 彼のデスクから、オフィスの開いたドアを通して、いろいろ見ること
ができた。外廻りから戻った営業部のふたりが、デスクについていた。
窓から明るい日射しが差し込んでいるのが見えた。
 彼の視線は、窓から、ファイルキャビネットで忙しい、ステラに移っ
た。日射しを見ていたので、彼の目には日射しが残った。ステラは、明
るく、暖かい日射しのようだった。もしも彼がもう少し若ければ━━━。
 本当のところ、それほど年寄りではなかったが、彼女は彼をたぶん中
年と見るだろうし、彼女は自分をどちらかというと少女と考えているだ
ろう。あまりにきれい過ぎて、彼女の年令の2倍にわずかに届かない男
や、結婚する気などまったくない独身者からも、からわれることはなか
った。
 その上、数年前、彼がオフィスマネージャーになってすぐ、彼の下で
働く女性を口説いたり、デートに誘ったりは決してしないとかたく決心し
た。そのことを今思うと、「彼の下で働く」というところが、苦しいシ
ャレに思えて、ニヤリとした。ウィビロービィ氏は、シャレや2重の意
味を楽しめる心を持っていて、無理やりのこじつけでさえ楽しんだ。ぎ

28

27
























































りぎりのきわどさを楽しむために、多くの人から心が汚いと言われなが
らも、彼は言葉遊びを楽しんだ。きれいなものであっても。同様に、色
気さえ、きわどさを増してくれるものだった。
 色気があろうがなかろうが、彼は言葉を愛していた。精神的にそれら
と遊ぶことを愛していた。輪でそれらを遠くに跳ばしたり、さかさまに
したり、あるいは、道に迷わしたり。今朝のように、速記タイピストの
メアリーホートンが、デスクサイズもある計算機を両腕にかかえてオフ
ィスを横切って、ウィビロービィ氏の方へ運んでいた。メアリーは計算
機を胸に押し付けていた。そう考えると、明るい1日がさらに明るくな
ったように彼には思えた。
 ウィビロービィ氏は、言葉の連想や乖離かいりを愛していた。彼はかつては
優秀な語源学者であった。それに真剣に取り組んでいたという意味で。
語源学について言うと、彼はかつて、とても若いころ、虫を研究する、
昆虫学の言葉と混乱する傾向があった。結論として彼は、~する人を表
すエントが、昆虫学の蟻のエントと同じことに突然気づいて、幸せな気
分になった。
 誤植による間違いは、2重の意味を持てば、彼を幸せにさせるチャン
スだった。速記タイピストが指をすべらすか気分が乗っていない時に、ど
んな奇妙なことが起こるかを見て陶酔するには、あまりに短い間で、一
瞬のスリルとなる。たとえば、先週の月曜日は赤文字の日とされた。メ

30

29
























































アリーホートンがコンガ氏の手紙をタイプしているときに、あるワード
の1文字をとばしてしまった。電話を修飾するpublicのlをとば
してしまった。pubic電話(かげの電話)というフレーズは、魔法で
呼び出されたかのようなすばらしいフレーズだ!慎重に作り出されたよ
うな、おもしろさがあった。偶然できたにしても、真珠やルビー以上の
ものだ。
 もちろん、彼はそのことを誰かに見せるわけではない。みんなと共有
するような種類のものではなかった。少なくとも、コンガ&ウェイ社で
働いている者たちとは。彼は、ただ修正を行うだけだった。コンガ氏の
手紙を読んだり修正するのは、彼の仕事の一部であったので、修正しな
ければならなかった。ときどき、美しいものを破壊しているかのように
感じた。
 今、彼はため息をつくと、これから出される手紙の最新の束をチェッ
クする仕事に戻った。5通あり、どれも間違いはなかった。それぞれに
コンガ氏自身のサインを完璧にまねた筆跡で、エドワードB・コンガと
サインした。他人の筆跡をまねることは、ウィビロービィ氏の多くの才
能のひとつで、これがあまりにけていたために、にせ物作りの公衆の
敵として、犯罪的な活動に手を染めていた時期があった。
 彼はまた、ため息をついて顔を上げた。ステラクロスターマンは一番
下の引き出しに、手紙をファイルしようと、体を曲げていた。ウィビロ

32

31
























































ービィ氏には、マーティレインズにあるような、そのようなことについ
て考える上での、いかなる禁止事項もなかった。例えば、ステラのスカ
ートのふちと、巻き上げたストッキングの間の露出した温かそうな肌は、
なんとすべすべして、なんていい感じでさわれるんだろう、というような
ことを考えても。彼の心は、それがなんであれ、さらに白昼夢を見て、
彼の下で働く部下たちを楽しくみだらな想像をすることに、なんのルール
もなかった。
 そのとき、彼は簿記係のデスクを見て、愉快なことを思いついた。マ
ーティレインズは、ステラのことを、まるで月に取りかれた子牛のよ
うに見ていた。マーティの目はオフィスを見まわして、彼の目と合った。
マーティの顔は赤面して、すぐにまた台帳を見るように頭を下げた。
 ウィビロービィ氏はマーティをしばらく見続けて、彼の愉快なことは、
ゆっくり哀れみへと変わっていった。それは地獄に違いない、と彼は考
えた。その子が縛られているように結び目に縛り付けられているのは。
女のことはもちろん、影にもおびえて。それに彼は20だ。いや、21
だ。ちょうど1年前に仕事を始めたときは、20だった。21は、感情
的にも、少なくとも女に関しては、彼は、まだ幼稚園レベルだ。たぶん、
まだ彼の生涯で、女にさわったことはなく、夢に見たことさえないだろう。
ステラを見つめる彼の目を見れば分かる。子犬の恋で、降り積もる雪の
ように純粋だ。

34

33
























































 なにがマーティをそうさせるのだろう?過度に溺愛されたから?過度
に純粋な母親に?それはありうる。彼はマーティの応募書類の履歴書か
ら、彼が母親と住んでいて、父はマーティがまだ幼い頃に亡くなったこ
とを知っていた。ほかの少年たちの多くは、母親に育てられた子どもた
ちで、それが普通だった。
 ウィビロービィ氏は、手紙を、送信バスケットに入れた。それから彼
は、マックスレイスマンは辞めて、手紙を出す雑務係がいないことを思
い出した。手紙を折って封筒に入れて、封をして、切手を貼って━━━
封書の切手は2セント?
 マックスはかわいそうに、と彼は考えた。なぜ職業紹介会社は、雑務
係の仕事にもっと敬意を払わないのだろう?今朝早くに、そのことで電
話した。
 彼はまた顔を上げた。マーティレインズは、台帳ではなく、1枚の紙
になにかを書いていた。それはうしろ暗いかんじがした。たぶん、と彼
は考えた。開いた台帳の上に置いて、見えないがなにかしている。勤務
時間中に、私的な手紙を書いているのだろうか?そうに違いない。しか
し、ウィビロービィ氏は、そのことをおこる気にはなれなかった。社員た
ちがそのようなことをしないように、見張るのが彼の仕事だった。しか
し、彼は奴隷の監督官ではなかった。マーティが内職しているのを見つ
けたのは、初めてだった。マーティがしょっちゅうそんなことをしない

36

35
























































限り、注意する気にはなれなかった。
 マーティは書き物を終えて、注意深く見回した。ウィビロービィ氏は、
そのときは目を下げていた。頭を下げながら、見てないふりをしながら、
こっそり監視していた。マーティが前かがみになったのが見えた。そし
て今書いたものを、送られてきた送り状書類の手紙を入れる、受信バス
ケットに入れた。それは、ステラがつぎに調べるものだった。しかも、
マーティは注意深く、送り状書類の一番上ではなく、束の中央あたりに
入れたのが見えた。あは、ウィビロービィ氏は考えた。マーティは、が
んばってる。ステラに伝言か手紙か、弱々しい1歩を打とうとしている。
最初の1歩には違いない。
 しかし、なんと弱々しい!
 突然、ウィビロービィ氏は、悪魔のアイデアを思いついた。なんとか
抑えようとして、いったん押し戻したが、打ち負かされた。
 彼は顔を上げて、呼んだ。「マーティ、少しいいかな?」
「ええ、もちろん、ミスターウィビロービィ」マーティは、高いスツー
ルから降りて、彼のデスクを回って、オフィスを横切って、ウィビロー
ビィ氏のデスクに来た。
 ウィビロービィ氏は言った。「マーティ、今日出す手紙の切手が足り
なくなりそうだ。あいにく今日は、雑務係がいないから、代わりに、郵
便局まで行って、いくつか買ってきてくれないか?」

38

37
























































「ええ、もちろん、ミスターウィビロービィ、喜んで!どのくらい?」
「10ドル分あれば十分。2セント切手を9ドル分、1セント切手を1
ドル分。おカネは現金ボックスから取って、マックスがしていたように
伝票に残せばいい。5時までに戻れる?」
 マックスは壁の時計を見た。「片道15分はかからない。4時半には
戻れる。お安いご用。ほかになにか?」
「ないが、出るついでに、郵便局で、ここの手紙は出してきて!」彼は
送信ボックスにある、封済みの切手が貼られた手紙の方にうなづいた。
マーティはそれらを持って行った。
 
               ◇
 
 マーティが出て行ってから、ウィビロービィ氏は、小声でなにか言い
ながら、マーティのデスクまで行き、受信バスケットを取った。それを
自分のデスクに持ち帰り、その手紙が出てくるまで、送り状書類を1枚
1枚辿たどった。
 読んでから、悲しそうに頭を振った。それは、ステラに今夜いてい
ればデートに誘う手紙で、形式は、堅苦かたくるしいビジネスレターのように書
かれていた。大げさな書体で。
 ウィビロービィ氏は、顔をしかめた。引き出しから1枚の紙を出し、

40

39
























































ペンを手に取って構えた。マーティのスペンサリアン書体をまねる練習
はいらなかった。ウィビロービィ氏は、そのような書体にはかなり熟練
していて、眠りながらでもまねできた。
 なにを書くかも考える必要なかった。それは、他ならず、ソロモンの
愛の詩だった。マーティの純粋な惚れ込みは、聖書の中の純朴さ以外に
なにがある?彼がすぐ思い出すのは、第7章の詩で、内容はそれで十分
だった。
 あるいは、少しためらい、
  「ステラ、きみの美しさは、古代船のように━━━」
 いや、ソロモンは、よくない。別なふうに書いた。
  「ステラへ
  なんじの靴をはいた足は、なんて美しい
  王子の娘のように、ため息は宝石のよう、
  手は熟練した大工のように動き、
  胸は2匹の双子のノロジカのよう、
  偉大な美しいアートのよう、愛と喜びの
  なんじのくちびるは、最愛のワインのように、
  甘くしたたり、なんじのへそは、酒杯の下で
  いざ、まいらん、いとしの」
 

42

41
























































 書き終え、すぐに、無造作にM・R・とサインした。(元のビジネス
レターは、マーティレインズとあった)満足気に読み直した。よくでき
たラブレターだ。
 書き忘れたことを思い出して、また、顔をしかめた。結局、マーティ
の手紙は、平凡だが、1つのことをいていて、ステラが今夜会ってく
れるかどうか、その返事が欲しいのだ。
 ソロモンなら、娘をどうデートに誘うのだろう?彼ならそんなことは
しない。娘の両親に娘を買う交渉をするだけだ。ソロモンは置いておい
て、彼は役目を果たすため、もっと現代的に、要点を抑えて、一行付け
加えた。
  「PS ステラ、今晩、いている?」
 これはソロモンとは相容あいいれないが、付け加える必要があった。
 ウィビロービィ氏は、元の手紙を丸めて自分のゴミ箱に捨て、書き直
したものを、受信バスケットの元あった場所に入れた。彼はバスケット
をマーティのデスクに運ぶと、自分の席に戻った。時計を見て、また、
バスケットを見ると、ステラがちょうどそこからファイルしているとこ
ろだった。タイミングは完璧だった。彼女は数分の間に送り状バスケッ
トから、1通取り出すだろう。マーティは、あと10分くらいで戻る。
気が変って、バスケットを捜して自分の手紙を取り返すチャンスはない
が、彼女がその手紙を取り上げるまでには、自分のデスクに戻っている

44

43
























































だろう。そう、タイミングは完璧だ、と彼は考えた。
 誰か少年が、エントランスとオフィス本体を仕切るレールのところに
立っているのに気づいた。ウィビロービィ氏のデスクは、レールの脇に
あったので、彼は、セールスマンやご用聞きの応対をしたり、断ったり
する受付の役目を果たしていた。
 彼は振り返り、尋ねるようにオレを見た。
 オレは息を飲んだ。「あ」と、オレ。「クイーンシティ職業紹介から、
ここへ来るようにと言われて。雑務係の募集で」
 
            5
 
 オフィスの概観を説明させてくれ!実際と違うかもしれない。それは、
当時の記憶はあいまいだからだ。だが、ここで説明しておいた方がいい。
 パーティッションがあっても、基本的に、そこは1つの室だ。25フ
ィートから30フィートと広い室で、天井は12フィートと高い。1つ
しかないドアから入ると、そこは南側の中央で、入り口は1つの、木の
レールで区切られた狭いエリアになっている。左には、南側の壁に向か
って置かれたタイプラーターのデスクがあって、速記タイピストのメア
リーホートンの席になっている。右には、壁に背を向けてなにが起こっ
ているか見ることのできる、オフィスマネージャーのウィビロービィ氏

46

45
























































のデスクがある。西の壁近くに、壁に背を向けてマーティレインズの簿
記のデスクがある。それは(当時でさえ)旧式の高いスツールに座るデ
スクだ。
 メアリーホートンの席と簿記デスクの間のかどに、金庫が置かれてい
る。重厚な旧式の金庫で、少し腕に自信のある泥棒なら、タンブラーを
回せばはっきりと解除の音が聞こえるので、1・2分ですぐに開けられ
そうな単純な組み合わせ鍵だった。オレでさえ、昼休みにひとりでいる
時に、おもしろがって、(ちょうど「盗賊ラッフルズ」を読んだところ
だったので)、ロックしたあと、その方法で解錠でかいじょうきた。5分しか掛か
らなかった。金庫の目的は、わずかな現金を泥棒から守ることではない。
ビジネス取引は、切手代のような小額の購入を除いて、すべて小切手で
行われるので、現金ボックスにある平均の金額は、ごくわずかなものだ。
金庫の本来の目的は、コンガ氏が望むように、会社の最も大切な書類を
火災から守ることだった。当時の周辺の土地では、もっとも身近な災害
が火災だった。すべての重要な取引等の書類は金庫で守られ、マーティ
のすべての台帳も夜は中に入れられ、朝に取り出された。
 東の壁には、ステラクロスターマンが担当する4段のファイルキャビ
ネットが並んでいて、古いタイプライターが置かれたテーブルもあった。
ステラはファイル係で、勤務時間の半分は実際にファイルを整理してい
たが、他の仕事もした。彼女は速記はできないが、送り状書類の手助け

48

47
























































で、タイプが上手じょうずだった。
 ほかに2つの保存用キャビネットがあった。そこには手紙や封筒や営
業マンの書類や、備品などが入れられていた。もうひとつのテーブルや
イスは、雑務係の作業用で、ものをめたり、シールを貼ったり、封筒
に切手を貼ったりした。
 下半分3フィートが木製で、上半分4フィートが曇りガラスのパーテ
ィッションが、オフィスの北側を2つの小さい室に分けていて、1つは
コンガ氏が私室として使っていた。もうひとつは、2つのデスクが向か
い合って置かれ、ふたりの営業マンがオフィスにいるとき、つまり通常
は営業日の最初と最後の1時間に使用した。
 窓は、北側のはしにのみあって、パーティッションに遮らさえぎれていたが、
窓は4つで、大きく、ほとんど天井に達するくらい長い窓だった。光は、
パーティッションの上を越えて十分に届き、明るい日には、曇りガラス
を通して、メインオフィスに十分な光をもたらした。各デスクの上には、
円錐えんすい形の緑のシェード付きの照明もあって、曇りや雨の日にはそれらを
使った。
 すべての家具を説明しただろうか?2脚の予備のイスがあった。帽子
掛けにかさ用スタンド。オレの記憶では、それですべてだ。家具はどれも
新しくはなく、いくつかは、特に、簿記デスクとファイルキャビネット
のいくつかは、かなり使い古していた。しかし頑丈にがんじょう作られていて、こ

50

49
























































の先もまだまだ同じ年数くらい使えそうだった。
 オレが一番よく覚えているのは、タイプ用テーブルと同じくらい小さ
なテーブルだ。外の用事がなくて、オフィスで仕事するときは、オレは
いつもそのテーブルで作業していた。時々、すばらしい日に、外の用事
もオフィスでの仕事もないときは、そこに座って、読書が許された。そ
のような時に読む本や雑誌を用意していて、ウィビロービィ氏は、オレ
にすることがない場合に限り、読書していても文句は言わなかった。オ
レは読書依存症だった。アル中が酒に依存するように、読書に依存して
いた。当時は、昼食時にも本を脇に置いて、食事中も本を読んでいた。
もちろん、図書館で借りた本だった。多くの本をかなりなスピードで読
んでいた。もしも借りた本でなければ、稼ぎのすべてを使っても、読ん
だ本のほんの一部にもならなかっただろう。
 それが、オレの知ってるオフィスだった。
 しかし、第一印象は、最初の日のレールの外に立って見た印象だった。
こざっぱりして、整理されてはいるが、すすけたかんじだった。ビルは
かなり古く、設備はすべて老朽化していた。だが、当時は、ちゃんと動
いていた。コンガ氏の目的にもかなっていて、新しいスマートなオフィ
スと同じように機能していた。彼は受付を置かなかった。顧客は、営業
マンを呼ばなかったし、コンガ氏も顧客を呼ばなかった。つまり、おも
な顧客は、注文を手紙か電話でした。

52

51
























































 そう、そのオフィスは、特別な印象を与えたわけではなかった。しか
しオレには仕事が必要だった。高校を卒業して2週間、オレは仕事を捜
していた。
 4時20分だった。ウィビロービィ氏は、オレがレールの上から手渡
した、職業紹介会社の応募書類を見ていた。
 彼は言った。「入りたまえ、中へ━━━」応募書類を一瞥いちべつして、オレ
の名前を呼んだ。「━━━フレッド」
 オレはレールのゲートを越えた。数千回のうちの最初に。
 
            6
 
 メアリーホートンは、口述のため、コンガ氏のオフィスにいた。
 ドアはいていた。コンガ氏のオフィスに女がいるときは、ドアはい
つもいていた。彼はそのことをはっきり口で言ったわけではなかった
が、もしも、ある状況下で不適切にも部分的にでも、ドアが閉まってい
たら、コンガ氏は言い訳をして外側のオフィスに出て行って、おそらく
はウィビロービィ氏となにか話して、戻ってきたときには、ドアを広く
けたままにしておいた。
 コンガ氏の年令では、これはバカげた警戒だったが、ずっとそのよう
な習慣でやってきたし、バカげていると感じたことはなかった。

54

53
























































 メアリーホートンは、もちろんこのことは知っていた。彼女が本能的
に常識的に分かっていたことは、コンガ氏は年取ったカナリアのように
性的に危険だということだった。ドアについての彼のルーチンは、時々
は彼女を驚かして、たまたまドアをほとんど閉めて室に入ってしまった
ら、コンガ氏がルーチンを始めるまで何秒かかるか計ったりした。コン
ガ氏はすぐに言い訳をして室を出て、戻ったら、ドアを大きくけた。
今のように。
 しかしこの時は、午後の遅い時間でコンガ氏の口述をしていたが、メ
アリーホートンは驚かなかった。
 なぜなら、開いたトアを通して、チックタック言う音が聞こえて、時
計の針も見えたから━━━
 (おっと、オフィスの家具を説明した際、オレは重要なものを忘れて
いた━━━時計だ。時計はオレたちの生活をりっするものだ。12時に向
かってゆっくり針が上っていけば、その時刻で、1時間自由になるし、
5時に向かってゆっくり針が下ってゆけば、その時刻で、翌朝の8時ま
で自由になる。時計の名前は、ハモンドだった。その名前は、数字と同
じくらいの大きさの文字で、刻まれていた。大きく、前面が矩形くけいガラス
の角ばった時計だった。真鍮のしんちゅう振り子でチックタックと大きな音で、ウ
ィビロービィ氏のデスクの背後の壁の上に掛かっていた。正確に時を刻
み、1週間で1分以上ずれることは決してなかった)

56

55
























































 メアリーホートンは、コンガ氏のデスクと同じ側に座っていたので、
そこから、ハモンドの針をはっきり見ることができた。彼女は絶望しな
がら、文章を読んだ。コンガ氏は、午後の遅くに手紙を口述することは
めったになかった。しかし今日は、4時を過ぎていたが、彼はまだ続け
そうだった。午後早くに口述して、すでにタイプに変換した5通は、ウ
ィビロービィ氏に回してあったが、今ちょうど口述した8通は、そのう
ちの3通は、ゆうに1ページを越えるものだった。そして今、彼はつぎ
の口述を始めようとしていた。もしも彼が今日中にすべて済ませたけれ
ば、いつもは手紙はすべて片付けたいと思うので━━━
 彼は今、ハス&カンパニーのコールマンの手紙を読んでいて、(すぐ
に彼女にその名前を告げるだろう)、返事を考えていた。太った下唇を
前に突き出し、それがよく考えてる時のくせだった。
 時計はチックタック言って、時は過ぎた。もしも彼が手紙の半分だけ
でも、今夜中に済ましたいと言えば、彼女は少なくても6時まで縛り付
けられる。そして、エディは彼女をもうしばらく待つことになる。しか
しそれほど長くないかもしれない。彼も考えるだろうから━━━
「ウー」と、コンガ氏。メアリーホートンは、鉛筆を止めた。
 ああ、神様!と彼女は祈った。
「紳士殿」と、コンガ氏。「ターレット盤のロスタイムに関する18番
目の事例の返事は、我々のお勧めの方法━━━として━━━」

58

57
























































 困った、とメアリーは考えた。また、長くなりそう、ああ、困った、
困った━━━
 メアリーは、不謹慎な娘ではなく、野生的でもなかった。若さが燃え
上がる時期で、そう、プラスチック世代だった。もう少し若い世代は、
パラダイスの側にいた。彼女は単に、恋に深く落ちる少女だった。あま
りに深く恋するあまり、それが彼女の唯一悪い点で、恋に捧げ過ぎて、
しかし完全に悪いわけではなく、教会がなんと言おうが、たぶん、悪で
はありえなかった。特に、彼女が彼と決して結婚できないのは、教会の
せいである場合には。
 エディ、エディ、エディ。彼は、彼女にとって唯一重要なものだった。
ハンサムで、頭が良くて(彼女よりずっと)、とてもやさしかった(彼
女が電話してくるのは嫌うけど)しかし、真の熱心なカソリック少女に
とって、恋に落ちたことは、なんと望みのない選択だったのだろう!彼
は、完全な無神論者でないとしても、不可知論者で、完全な共産主義者
でないとしても、急進派であった。しかも失業中で、無一文で、雇用者
ブラックリストにのっていた。
 彼についてのそうしたことは、徐々じょじょに分かってきて、彼女が気づいた
ときには、問題とするにはあまりにおそ過ぎた。それ以来、望みのない恋
に真っさかさまに落ちていって、恋以外に重要なものなどなくなってしま
った。イエスへの愛や天国への憧れあこがさえも。

60

59
























































「であるから」と、コンガ氏。「2トン容量のハイスピードチェーン起
重機が貴方の問題を解決すると思われる。昇降は9フィート、価格は、
税抜きで160ドル、回転ベアリングと下部スイベル付き━━━」
 エディ、と彼女は考えた。
 聞いて、そんなことってある?盲目の激しい恋、他のことを考えない
恋、結果を考えない恋、永遠の恋だとしても。
 メアリーの鉛筆は、速記ノートの枠をはみ出し、ページから下へ。
いたドアの向こうの、彼女を見てみよう!
 デリケートに着飾った、小さな少女。背は5フィート1インチ(ステ
ラより4インチ低い)、漆黒の髪(ステラはブラウン)、青白く、透き
通ったような肌(ステラはオリーブ色)、恋するハート(ステラのは、
相手に応じる愛、愛に応じての愛)、ステラより3つ年上の22。
 メアリーホートンは、いわゆる世紀またぎ世代だった。1900年の世
紀が変わる年に生まれ、1922年に22才だった。
 彼女は、オハイオ州アセンズ郊外の農場で生まれ、両親によって敬虔けいけん
なカソリックとして育てられた。18で高校を卒業すると、ベールをかぶ
った尼僧になると本気で考えていた。なにかが、彼女にも分からないな
いかが、彼女を止めた。代わりに、当時開校されたばかりのアセンズ速
記タイピストスクールに通い、ローカルな農機具販売会社の仕事を見つ
けた。しかし1年後、社長が亡くなって、息子が会社を引き継いだ。そ

62

61
























































の1週間後に、メアリーは仕事をめた。めた理由は言わなかった。
 彼女が決心したことは、都会に行くということ。明確な理由はなかっ
た。両親には、彼女のオフィスでの経験から、速記タイピストの仕事は
都会に行けばたくさんあると説明した。両親が期待して送り出してくれ
るほど、うまく説得できた。そうならなくても、明確な意志があったの
で同じことをしただろう。納得のゆく折り合いをつけて、両親の黙認を
取り付けた━━━シンシナティへ。シンシナティは、結局、まだオハイ
オ州だった。家とそれほど離れてなかった。もともとは、ニューヨーク
へ行くことが最初の希望だったが。シンシナティの最初の仕事は、6ヶ
月後に終わった。会社は、1919年の戦後不況に巻き込まれた。
 当時、仕事はまれで、彼女はつぎを捜すのに苦労した。1ヶ月以上か
かった。彼女はわずかな貯金を使い果たし、両親の元に帰るか、両親に
カネの無心の手紙を書くかの楽しくない選択に迫られた。そのとき、1
つの仕事が、ついに、彼女にやって来た。それが、コンガ&ウェイ社だ
った。
 1年後に、エディレーノルズに出会い、彼女の世界、彼女の宇宙が引
っくり返った。彼女は最初のデートで頭脳と心臓を失い、2回目のデー
トで、処女性と━━━そして、心のほとんどを失った。それは、さからう
ことのできない出来事のひとつだった。彼女は抵抗するチャンスさえな
かった(彼のやさしさにもかかわらず、彼女は強制されもせず、なすす

64

63
























































べなく説得された)、まるで太陽の中心でける氷のように。
「それに鉄製で安全保証付き」と、コンガ氏。「ここで終わり。メアリ
ー、終わらすのを忘れないように!この起重機のフルスペックのパンフ
レットを入れて!かならずご期待に沿えるものと━━━」
 彼女の人生は、今までは、法悦と苦悶だった。それは普通でなく、彼
女自身も普通でないことが分かっていた。彼女の宗教や両親と交わした
厳かおごそな約束、宗教からはずれた結婚はしないという約束は、克服できな
障碍だしょうがいった。そういったものがすべて存在しなかったとしても、エデ
ィ自身が存在した━━━言うならば、財政的無責任。結婚は、子どもを
持たないなら、ほとんど意味がなかった━━━メアリーは少なくとも6
人は欲しかった━━━しかし働き続けなければならないなら、子どもは
持てない。そして、エディが仕事につけない、あるいは、つかないなら、
彼女はどうやったら自分の仕事をやめられるというのだろうか?それは、
エディが頭が悪いからではなかった。エディは頭が良かった。彼は輝か
しかった。彼は、あまりに独立心が強すぎて、口答えをした。特に、彼
が考えていることが、仲間の労働者たちの権利侵害や搾取さくしゅについてのこ
とである場合はいつも。彼は1・2週間以上仕事につこうとすることは、
まれで、すぐに別の仕事を捜し始める。そして、ふつうは、仕事の面接
中も、将来の労働者の権利さえも遠ざけるようにふるまっていた。彼が
規則的に食事ができたのは、唯一、ビリヤードの腕前がプロ並み、いや、

66

65
























































プロ以上だったからだ。ビリヤード場をめぐり歩き、小さく賭けて、負け
るより勝つ方がしばしば多かった。たまに、大きく賭けて、5ドルや1
0ドル、20ドルかせぐと、いつも彼女をお祝いに連れ出した。彼女がカ
ネを貯金するように言ったり、明日のことを考えるように言う意味が、
彼はまったく理解できなかった。
 コンガ氏は繰り返した。「かならずご期待に沿えるものと━━━」
 静かだった。ハモンドのチックタック言う音と、コンガ氏のイスのス
イベルがキーキー言う音以外はなんの音もしなかった。彼は後ろにのけ
ぞって、「満足」よりもっと満足のいく言葉を捜して天井を見た。
 外の通りで、トラックの警笛けいてきが単調に鳴った。
 神よ!メアリーは祈った。どうか彼に、そこの手紙を全部、今夜じゅ
うに片付けようとさせないで!エディは30分は待つけれど、それ以上
は待たせないで!彼に、わたしが約束を破ったのだから言い訳も聞かな
いと、決めつけさせないで!
「━━━満足」と、コンガ氏。「すみやかに納品可能。過去のご愛顧に感
謝。等々。あとひとつで今夜は終わりだ、メアリー。ひとつは、バファ
ム製作所。残りは明日の朝にしよう!」
「分かりました、ミスターコンガ」
 そして、神に感謝。
 彼女は手紙を予定通り出せるだろう。オフィスを横切ってタイプライ

68

67
























































ターのデスクに向かうとき、彼女のヒールがクリック音を立てた。
 彼女が知らないだれか、少年が、オフィスのレールの外に立っていた。
しかし、ウィビロービィ氏がすでに彼と話していた。たぶん、雑務係に
応募してきた誰かだろう。
 それで、彼女は、まったく注意を払わなかった。デスクに座って、レ
ターヘッドを上げて、カーボンとセカンドシートをタイプライターにセ
ットして、2通の手紙の最初に取り掛かった。彼女は、日付をタイプし
た。
「1922年6月29日」
 
            7
 
「入りたまえ!」ウィビロービィ氏は、オレに言った。
 それでオレは、レールの入り口をまたいで、ウィビロービィ氏のデス
クの前に立った。彼は、壁に立て掛けてあった予備のイスの方を向いて、
言った。「それを引っ張ってきて、座って!」彼は、今チェックしてい
る送り状書類の山を横にどかした。オレは彼のデスクのはしにイスを引い
て、そこに座った。
 オレは、金銭的猶予の喜びから、自分自身を見た。高校を卒業して2
週間で、8回目の面接だった。オレはだんだん、面接がイヤになり始め

70

69
























































ていた。雑務係の仕事は、見つけるのが困難になりつつあった。ほとん
どの雇い主たちは、雑務係のような地位の低いポストであっても、1つ
の仕事に10人以上の応募者と面接してから1人を選んだ。しかもそれ
は、多くの応募書類の中から、職業紹介会社が最初にマッチングした会
社の面接がほとんどなのだ。
 いたドアから、速記タイピストが━━━それは手に、速記ノートを
持っていたから分かったのだが、ちょうど出て来るところだった。ひと
りの男が見えた。年寄りで、プライベートオフィスがあることから、ボ
スだと思われた。会社名がコンガ&ウェイ社だったことを思い出して、
ふたりのボスのうちのひとりだろうと訂正した。デスクに向かって後ろ
にもたれ、天井を見ていた。ボスは、上が少し丸いボタンをしていて、
それが似合っているように見えないのだが、後ろに頭を傾けているせい
で、ピンクの禿げの中心にある茶のほくろを見ることができなかった。
けれど、彼は背が低く、太っていて、年寄りであることは分かった。オ
レが座っているアングルからは、2つあるプライベートオフィスのもう
ひとつは、見えなかった。オフィスの一方のはしに、簿記係のデスクがあ
った。たまたま不在だったが、台帳や紙が広げたままになっていたので、
誰かがいたことが分かった。向かいの壁が見えるように、オレは頭の向
きを変えた。ほとんどがファイルキャビネットで、そのひとつに、その
時、作業中らしき少女の背中が見えた。しかしオレの目は、彼女を素通

72

71
























































りして無視した。彼女は背の高い女で、その頃のオレは、自分より背の
高い女に、強いコンプレックスを持っていた。
 もうひとりの少女は、オレがレールの外側に立っていたときに、オレ
の方に歩いてきた女で、今、レールのないエントランスの向こうのデス
クで、忙しそうにタイプを打っていた。もう一度見返す必要はなかった。
ひと目で、彼女は背が低く、少し年寄りなことは分かった。年寄りとい
っても、オレから見てという意味で、彼女は20代だった。いずれにせ
よ、デートの見込みはなかった。デートするために来ているのではなく、
仕事をもらいに来たのだ。いずれにせよ、前者の前に、後者が先行しな
くてはならない。
 オレは、そのときは名前を知らなかったが、ウィビロービィ氏の方を
向いた。彼は書類から目を上げて、オレを見た。彼は、笑っても微笑ほほえ
でもなかったが、なにか顔は愉快そうに見えた。たぶん、目尻が上がっ
ていたせいだ。彼は、表面だけでなく、オレの内側も見ているかのよう
に、オレを見た。オレが考えていることが、正確に読み取られている感
じがした。その感覚は、オレを落ち着かなくさせ、その後、2年間にわた
ってしばしばやって来た感覚だった。
 それを別にすると、彼は、不快そうに見えた。中年で━━━まだ10
代の者から見れば、30代は中年に見える━━━中肉中背、少し薄くな
りかけた灰色の髪。遠近両用めがねのようなものを数に入れなければ、

74

73
























































取り立てて、特徴的なものもなかった。こざっぱりと、こせこせと着飾
っていた。しかし、一方で、ごてごてと、こってりして、想像力に欠け
るところもあった。ただし、彼の目と、彼の見かけは別だった。特に、
彼の目はオレを驚かした。
 
               ◇
 
「フレッド、としは?」と、彼はいた。
「18」と言ってから、気づいた。1つ若く言えばよかった。16か1
7なら、雑務係によりふさわしかった。ほかのもっといい職を見つける
まえに、1年多く勤められるからだ。18だと、数ヶ月で辞めてしまい
そうだった。しかしオレ自身は、手助けができるなら、ほかを捜す気は
まったくなかった。実際のオフィス業務に十分長く勤められれば、つぎ
に簿記係や事務員、あるいは少なくともタイピストの仕事を捜し始めら
れる。オレは、多かれ少なかれ、それらのどの仕事にも訓練は受けてい
た。高校は商業科だった。実際、それらのカテゴリーのいずれかで、ほ
とんど2週間、職を捜したが、それらの仕事に空きがあるのはまれで、
空きがあったとしても何十人も応募者が殺到するので、オレはすでに2
箇所から面接で落とされていた。オレはとしより若く見えて、オフィスワ
ークの経験がどれもまったくなかった。

76

75
























































「う~む」と、ウィビロービィ氏。「経験は?」
「夏休み中のアルバイトで」オレは彼に言った。「ヒューズ高校を2週
間前に卒業したので、定職にはまだいてない。しかし去年の夏、ワー
リッツァーで働き、その前の夏は、ポッターショアで働いた」
 どちらも有名な会社で、名前を挙げても、経歴を傷つけることはない
と思った。また、そのような仕事の経験から、オレが卒業した高校が商
業科で、あらゆるオフィス業務の訓練は受けていることを言わなくても、
分かってもらえると思った。望むのは、雑務係の仕事も短く終わらせて
もらうことだった。すぐにけると思っていた良い仕事に、なんども落
とされる前の2週間前は、もっとずっとあざ笑うかのように楽観的だっ
た。
「そう」と、ウィビロービィ氏。「今は親といっしょに?」
「両親はくなった」オレは彼に言った。「母は5年前、父は1年前」
「それはすまない、フレッド。それじゃ、高校で最後の1年は?」
 オレは言った。「父は死亡保険に入っていて、死後、少しだけカネが
残った。オハイオ州オックスフォードにいる叔父が、遺産の管財人にな
ってくれて、ヒューズ高校を卒業することに賛成してくれた。毎週少し
づつ仕送りしてくれて、最後の1年を過ごせた。室は、友人の家に下宿
させてもらった」
「今でもそこに?」

78

77
























































「いいえ、ノースサイドに引越した。卒業したときダウンタウンに自分
の室を借りて、そこで仕事を捜し始めた。レースストリートにある」
「高校の成績は?」
「かなり上位」と、オレ。「4年間の平均は、91点」
「大学に行く予定は?」
 それは、オレが夏休みに、アルバイト先を捜したことに通じる。9月
めてる。幸いなことに(ほかでもなく)オレは正直に答えた。オレ
は言った。「その可能性はない。カネが底をついた。あと1年も、もた
ない。シンシナティ大学の夜間スクールなら、来年の秋に通うかもしれ
ない」
「よく分かった。聞いていいかな?フレッド、将来の夢は?どのような
職業を、究極的に目指したいんだね?」
「そう」と、オレ。少しためらった。そのとき、オレは決心した。結局、
本当のことを話すしかないと。そうすれば、傷つくより、良いことの方
が多いだろう。オレは作家になりたいと、彼に話したら、生活のために
書くことは、かなり時間がかかると思うだろう。それは確かだ。ストー
リーを売って生活するまで、すでに、2年掛かっている(オレは15で
作家を目指した)一方、彼は思うだろう、雑務係としてどんな仕事を任
されるかは、オレにとってはたいしたことではないと。つまり、ビジネ
スマンを目指したいと言うより、扱いやすいと思うはずだ。それで、オ

80

79
























































レは言った。「オレはストーリーを書きたい」
 彼は驚いて、興味を持ったように見えた。「どのような種類のストー
リー?」
「そう、確かには決めてないが、たぶん、さまざまなものを書いてみた
い。もっとも書きたいものが見つかるまでは」
「なるほど。あんたがもっとも読みたいストーリーが、たぶん、あんた
がもっとも書きたいストーリーだよ。好きな作家は?」
 オレは言った。「HGウェルズ、ジュールベルヌ」ほかに、声には出
さなかったが、サックスローマー、エドガーライスブローズ。ウェルズ
とベルヌをより尊敬する。「あと、イプセン」オレは付け加えた。
 そう付け加えたことで、ウィビロービィ氏の目尻が少し上がったが、
そのことで彼を責める気はない。オレの言ったことは本当で、少なくと
もイプセンを読んだことまでは。公立図書館で借りられた、イプセン戯
曲の全巻を1巻づつ頑固に読み続けた。そしてついに、それが自分にと
ってどう良かったのか分からないが、全巻を読み終えた。今、その戯曲
のどれもあいまいな印象しか残ってない。最近読み返した数冊と、上演
されたものを見た以外は。しかし、頑固に読み続けたことは誇りに思っ
ているし、ウィビロービィ氏の目尻には、断固として、ひるんだりはし
ない。
「ふ~む」と、ウィビロービィ氏。「そう、フレッド、あんたがこの仕

82

81
























































事ができることは疑いもない、イプセンを1冊も読んでなくても。唯一
の問題は、もっと若い者をやとったことがないことだ。数週間や数ヶ月で
辞めてしまう者を、やといたくはない。少年を雇って、すぐ辞めて、裏切
られるのはつらい」
「分かる」と、オレ。「別の職は捜してない。夜は書いてるので」
 ウィビロービィ氏は、それほど疑ってなかったので、オレは希望を持
ち始めた。しかし、彼は言った。「もうひとつ。職業紹介会社から、こ
こで支払う給与の額を知らされていると思うが、それがすべてで、少な
くとも最初は。その額は自宅から通う者には十分だが、ひとり暮らしの
者にはどうか━━━それでやって行ける?」
「はい」と、オレ。「自分にとっては、十分。すぐにストーリーを売り
始めて、それを足しにするつもりなので」
「それじゃ━━━」一瞬、疑ってるように見えたが、彼は言った。「よ
し、あんたに仕事のチャンスをあげる。明日の朝8時から、どうかね?」
 オレはできると言った。彼は手を差し伸べた。「オーケー!ついでに、
オレの名前は、ウィビロービィ、ジョフリーウィビロービィ。ほかのみ
んなは、明日の朝、紹介する」
 オレは彼の手を取り、握手した。オレは仕事を得た。
 立ち上がって、向きを変えると、面接中にオフィスの人数が増えてい
た。オレより少し年上で、少し背の高い若者が、オレが入って来た時は

84

83
























































誰もいなかった、簿記係のデスクに座っていた。
 ふたりの営業マンが、ほとんど同時だが、まったく別々に入ってきて、
もうひとつのプライベートオフィスに、入れ替わりながら向かった。
 オレは彼らの名前を、ウィビロービィ氏以外は知らなかった。彼らの
すべてを、オレが見ていた、あるいは、見ているということを、そのと
きは気づかなかった。しかし、彼らはみんな、そこにいたのだ。ジョフ
リーウィビロービィ、ブライアンダナー、ジョージスパーリング、マー
ティレインズ、メアリーホートン、ステラクロスターマン、それに、エ
ドワードB・コンガ。人生の半分、35年の霧をとおして、その時や続く
そのあとも、彼らを見ているように、今、オレは彼らを見ている。
 あんたは、彼らすべてをふたたび、1つのオフィスに集めることはで
きないだろう。何人かは死に、ほかの3人だけ、まだ、シンシナティに
住んでいる。ほかのみんなはバラバラになった。オレ自身も、25年間、
シンシナティには帰っていない。そして、2000マイル離れた場所で、
これを書いている。そう、彼らすべてをふたたび、集めることはできな
いだろう。今、ここで、オレの心の中で、集めるのでない限り、そして、
望むべきは、これらのページで、集めるのでない限り。
 
            8
 

86

85
























































 コンガ氏は、少年が出て行くを見ていた。彼は、「ジェフ」と呼んだ。
ウィビロービィ氏は、ちょうど電話の受話器を持ち上げていたところで、
それをふたたび下に置いて、コンガ氏の私室のドアのところへ行った。
「はい、ミスターコンガ?」
「雑務係の応募者かね?雇った?」
「はい、彼もいいようで」
「いいね、マックスの給与と同じ?」
 ウィビロービィ氏は、頭を振った。「1ドル半、低く。彼の仕事ぶり
が良ければ、すぐに昇給させる。その方が、最初から高いより、彼の喜
びは長く続く」
「いいね、スタートは、明日の朝から?」
「はい、職業紹介会社に電話して、ほかの応募者を廻さないように言っ
たところ」
「オーケー、ジェフ。知りたかったのは、それだけ」
 ウィビロービィ氏は、デスクに戻り、コンガ氏は、そこに座った。
 コンガ氏は、マンガのように顔をしかめているが、背が低く、太って
いた。
 
 
 

88

87
























































                            (つづく)




















90

89