ミットキーふたたび
            原作:フレドリックブラウン
            アランフィールド
             
            プロローグ
             
 壁の暗がりに、動くのは、ミットキー。彼は、ふたたび、ただの、小
さな、灰色のねずみで、床板の穴から、ちょこちょこ、はい出てきた。
ミットキーは、おなかがすいていた。穴を出たところに、オッペルバー
ガー教授の冷蔵庫があって、その下には、チーズがあった。
 太った、小さなネズミのミットキーは、ミニートと同じくらい太って
いた。ミニートは、教授の寛大さのせいで、スマートとはいいがたい体
型だった。
「いつも、ミットキー」と、オッペルバーガー。「冷蔵庫の下には、チ
ーズがあるんだよ。いつもね」



 

2

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 たしかに、いつもあった。普通のチーズとは、限らなかった。ロキュ
フォートやベアケース、ハンドチーズやカマンベール、時には、ネズミ
が住みついているかような、ネズミにとっては、すばらしい楽園の味が
する、輸入物のスイス産チーズであったりした。






            1
 
 ミニートは、よく食べ、ミットキーもよく食べた。壁にも穴があり、
床板の穴も大きかったことは幸運で、そうでなければ、ぽっちゃりたち
の通れる穴はなくなっていた。
 なにか別のことが、起こりつつあった。なにか楽しいことだが、教授
は知っていて、心配していたことだった。
 小さな心の暗闇に、壁の中を、ねずみが、ちょこちょこ、はいまわる
のとは違う、渦巻きが現われた。奇妙な記憶の、渦巻き。言葉や意味の、
記憶。ロケットの暗い個室での、耳をつんざく騒音の、記憶。チーズや

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ミニートや暗闇よりも、ずっと、重要な、記憶。
 ゆっくりと、ミットキーの記憶と知性は、よみがえった。
 冷蔵庫のかげで、ミットキーは立ちどまり、耳をすました。隣の室で
は、オッペルバーガーが仕事をしていた。いつものように、自分に話し
かけながら。
「よし、着陸用の翼を取り付けよう。この翼があれば、ずっといい。月
に着いたら、軟着陸ができる。空気があればだけど」
 ほとんどすべて、ミットキーは、意味がわかってきた。言葉は、なじ
みのあるもので、彼の小さな灰色の頭に、いろいろな概念や映像を送り
込んだ。理解しようとすると、彼のヒゲが動いた。
 教授が歩くと、体重で床がゆれた。台所のドアまで歩いてきて、立ち
止まり、床板のねずみの穴をのぞきこんだ。
「ミットキー、また、わなを設置すべきかな?いや、やめよう。ミット
キー、わしの小さなスターマウス、きみは、平穏な休息が必要だろ?月
へのロケット、第2号には、別のねずみに乗ってもらおう。いいかい?」
 ロケット、月━━━小さな灰色のねずみの心は、冷蔵庫の下のチーズ
の皿で、いっぱいだったが、かき乱されて、影でおおわれた。ほとんど
すべて、ミットキーは、思い出した。
 教授の足音は、戻っていったので、ミットキーは、チーズに向かった。
 しかし、ミットキーは、不穏なかんじを抱きながら、聞いていた。

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 受話器を上げる、クリック音。教授の声が、番号を告げた。
「ハートフォード研究所ですかな?こちら、オッペルバーガー教授。ね
ずみが必要なんじゃが。いいや、ねずみじゃ。そうじゃ、白いねずみ。
いや、色は、重要ではあらん。紫でも。ないって、ええ、紫のねずみが
いないことは、わかっておる。時期は、別にいそがん。1週間くらいの
うちに、都合のよろしいときに、送ってくだされ!」
 受話器をおく、クリック音。
 冷蔵庫の下のねずみの心にも、クリック音。ミットキーは、チーズを
かじるのをやめて、代わりに、それを見た。そのものの言葉が浮かんだ。
チーズ。
 静かに、ミットキーは、自分に言った。「チーズ」ちゅうちゅう鳴く
声とそれの、中間くらいで。というのは、プロックスが教えてくれた発
音は、さびついていたからだ。しかし、次は、もっとうまく発音できた。
「チーズ」と、ミットキー。
 それから、別の2つのワードが、考えなくても、浮かんできた。「そ
れは、チーズです」
 そのことに、少し驚いて、ミットキーは、壁の穴に逃げ込んだ。暗闇
が、居心地がよかった。それから、別のワードが浮かんで、ミットキー
は、さらに少し、驚いた。「失敗につぐ、失敗」
 もはや、それは、心に浮かんだ、ただの絵ではなく、それが意味する、

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音だった。とても混乱していて、だんだん思い出すにつれ、さらに、混
乱していった。








            2
 
 教授の家のまわりは、暗くなり、壁の中にも暗闇。しかし、教授の仕
事室には、明るい光があった。ミットキーの心の、薄暗さにも、影にな
った帯から見てるように、光がさし始めた。
 仕事机の台におかれた、にぶく光る金属製のシリンダー━━━ミット
キーは、前にも、そのようなものを見た。そのワードも、浮かんだ━━
━ロケット。
 そして、どしんどしんと歩く、大きな生き物は、仕事を続けながら、
いつも、自分に話しかけていた━━━。

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 ほとんど、ミットキーは、「教授!」と呼びそうになった。
 しかし、ねずみとしての自覚が、彼を黙らせて、聞いていた。
 今や、それは、坂道を下る、雪だるまのように、ミットキーの記憶は、
膨らんでいった。教授が話すと同時に、言葉と意味が押し寄せてきた。
 間違った形のジグザグの記憶が降ってきて、ひとつづつ、意味のある
絵に収まっていった。
「さて、ねずみ用の個室に、流体のショック吸収器具、これで、ねずみ
は、安全に軟着陸できる。それに、この超短波送信機が、月の大気中で、
彼が生きているかどうかを、教えてくれる━━━」
「大気」という教授の声には、侮辱の響きが含まれていた。「月には、
大気がないと言っていたバカどもめが!たしかに、分光器では、そうだ
が━━━」
 教授の声に含まれる、ちょっとした痛みは、ミットキーの小さな心に、
広がりつつある痛みとは、まったく、別のものだった。
 ミットキーは、今や、ふたたび、ミットキーであった。記憶は、その
ままでは、すこし混乱して、バラバラであった。マーストラリアの夢や
ら、ほかのすべても。
 帰ってきて、ミニートを、最初に見て、電気の通った、金属ホイール
を踏んだ一歩が、彼の夢のすべてを終わらせた。わな。そう、わながあ
ったのだ。

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 教授は、ミットキーを裏切って、彼の知性を繊細に破壊する、ひょっ
とすると、命さえも奪いかねない、電気ショックを与えた。どしんどし
んと歩く、人間たちの利益を、知性あるねずみから守るために。
 おー、そうだ、教授は、頭がよかった、と、ミットキーは、にがにが
しく考えた。ミットキーは、教授と呼びそうになった時に、そう呼ばな
かったことを、喜んだ。教授は、彼の敵だったのだ。
 ひとり、暗闇の中で、ミットキーは、働かなければならなかった。ミ
ニートが、もちろん、最初だ。プロックス人が作り方を教えてくれた、
X19光線プロジェクターを作って、ミニートの知能レベルを上げよう。
それから、仲間の別のふたりを━━━。
 教授の助けなしに、秘密裏に、機械を作るのは、難しいだろう。しか
し、たぶん━━━。
 仕事場の床に、ワイヤーの切れ端があった。ミットキーは、それを見
つけて、明るい、小さな目をにぶく光らせて、ヒゲを動かした。オッペ
ルバーガーが、別の方向を向くまで待ってから、ワイヤーに向かって、
静かに走った。そして、ワイヤーを口にくわえて、壁の穴に走りこんだ。
 教授は、ミットキーを見てなかった。
 ミットキーは、ワイヤーをくわえても、暗闇の中で、安全であった。
よし、始めよう!もっと、ワイヤーが必要だ。コンデンサーも。たしか、
教授がひとつ、持っていたはずだ。あと、太陽電池━━━これは、扱い

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が難しい。ミットキーは、教授が寝ているあいだに、床をころがして運
んだ。ほかのものも。何日もの時間がかかった。しかし、時間がかかっ
ても、なんの問題があろう?
 教授は、その夜、遅くまで、かなり、遅くまで仕事をしていた。
 しかし、ついには、仕事場が暗くなった。暗闇と、とても忙しい、小
さなねずみ。




            3
 
 そして、明るい朝。ドアベルが鳴った。
「小包ですよ!教授、オ、オッペルバーガー教授!」
「やぁ、なかみはなんじゃ?」
「知りません。ハートフォード研究所からです。注意深く、運べと」
 小包に、小さな穴が、いくつも、あいていた。
「やぁ、ねずみじゃ」
 教授は、サインをした。仕事場に運んで、木製の箱の包みを開いた。
「おお、白いねずみじゃ。小さなねずみよ、きみは、長い長い旅に行く

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んじゃよ。どう、呼ぼうかね?ホイットニーは、どうじゃ?チーズが欲
しいかい、ホイットニー?」
 そう、ホイットニーは、喜んで、チーズを欲しがった。彼は、つやや
かで、こざっぱりした、小さなねずみで、互いに寄り添った、ビーズの
目と、えばったようなヒゲをもっていた。もしも、横柄なねずみの絵を
いたとしたら、ホイットニーがそうだった。都会ずれした、ねずみだ
った。研究所の貴族の血統で、チーズは食べたことがなかった。チーズ
のような一般大衆的なものは、彼のビタミン中心の食事には、ありえな
かった。
 しかし、ホイットニーは、チーズをおいしいと感じた。とりわけ、カ
マンベールが、貴族の血統には、美味だった。彼は、喜んで、チーズを
欲しがった。彼は、優美に、育ちのよさそうなふうに、少しづつかじり
ながら、食べた。そして、もしも、ねずみが笑顔を浮かべるとしたら、
笑顔を浮かべた。悪党が浮かべるような、笑顔かもしれない。
「それから、ホイットニー、見せてあげよう。きみのケージで録音した、
食事するかすかな音を、送信するんだ。もう少し、調整して━━━」
 机のすみに置かれたスピーカーから、ねずみがチーズを食べる音の、
千倍の巨大な咀嚼そしゃく音。
「よし、動いた。分かるかい、ホイットニー?説明しよう。ロケットが
月に着いたとき、個室のドアがひらく。だが、きみは、まだ、外へ出ら

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れない。バルサ材でできた、バーがあるからね。そいつをガリガリかじ
ってしまえば、外へ出られるよ。生きていればね!分かるかい?」
「それで、きみのかじる音が、超短波で送信されて、それを、わしが受
信する。ロケットが着陸して、受信機から、ガリガリかじる音が聞こえ
てくれば、きみが無事に、着陸したことが分かる」
 ホイットニーは、教授の言うことが分かったら、不安になったかもし
れない。しかし、もちろん、彼には分からなかった。彼は、傲慢で至福
な無関心さで、カマンベールをかじった。
「そして、それが、大気について、わしが正しかったかどうかを、教え
てくれるじゃろう。ホイットニー、ロケットが月に着いたとき、個室の
ドアが開いて、空気が遮断される。月に大気がない限り、きみは、5分
かそれ以下しか、生きられない」
「もしも、きみが、バルサ材を5分以上かじり続けていたら、月には大
気があることになるから、天文学者や分光器は、間違っていたことにな
る。スペクトルからライプニッツ曲線を引く際に、大間違いを犯してる
ことになる。そうだろ?」
 受信機のスピーカーの振動版に、チーズをかじる音、チャップチョッ
プチョップ。そう、マイクロフォンの音は、美しく響いた。
「それじゃ、今から、ロケットに、送信機をセットしよう!」


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            4
 
 昼が来て、夜が来た。そして、また、昼が来て、夜が来た。
 人間は、ロケットを作り、うしろの壁の中では、ねずみが働いていた。
なにか小さいもの、しかし、同じくらいに複雑なものを完成させようと、
もっと一生懸命に、働いていた。ねずみの知能を高める、X19光線プ
ロジェクターを。もちろん、使うのは、ミニートが、最初だった。
 盗まれた鉛筆の使い残しが、黒鉛の芯をもつ、コイルになった。芯に
は、盗まれたコンデンサーがつながり、1マイクロファラッドの正確な
容量になるまで、少しづつかじった。コンデンサーには、ワイヤがつな
がった。しかし、ミットキーにも、それがなんなのか分からなかった。
彼の心には、どう作ったらいいのかの設計図が書かれていたが、なぜ、
そう動くのかの理由は、書かれてなかった。
「さて、盗んでおいた、太陽電池を━━━」そう、ミットキーも、仕事
しながら、いつも、自分に話しかけていた。ただし、小さな声で、教授
には聞こえない、小さな声で。
 壁からは、のどの奥から出てくるような、いつまでも続く声。
「さて、個室の音を送信させよう━━━」
 人間とねずみ、どちらも、忙しく、働いていた。


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            5
 
 ミットキーが、先に、仕事を完成させた。小さな、X19光線プロジ
ェクターは、おせいじにも、見た目が美しいとは、言えなかった。実際、
電線やらのスクラップを、集めただけのように見えた。明らかに、壁の
外の室にある、ロケットのように、流線型の輝きはなかった。ルーブゴ
ールドバーグが描いた、複雑そうなだけの、にせ機械のようだった。
 しかし、それは、ちゃんと動いた。あらゆる本質的な機能において、
ミットキーがプロックスの科学者におそわった通りに、動いた。
 最後のワイヤを、つないだ。
「さて、ぼくのミニートを連れてこよう━━━」
 ミニートは、家の反対側のすみに、隠れていた。彼女の頭に照射して、
なにか神経的な作用をする、変なものから、できる限り離れた場所に。
 ミットキーが来たとき、ミニートの目に、恐怖が浮かんだ。真の恐怖。
「ぼくのミニート、なにも、恐れることは、ないんだよ。プロジェクタ
ーにもっと、近づいてごらん!知能の高いねずみになれるんだよ!そう、
ぼくのように、じょうずに、英語が話せるようになるんだよ」
 この数日間、ミニートは、混乱して、不安だった。彼女の夫が奇妙な
行動をして、ねずみのちゅうちゅう鳴く、理にかなった声とは違う、雑
音を発っしたりして、彼女をこわがらせた。今、夫は、彼女に向けて、

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気味の悪い雑音を発っし始めた。
「ぼくのミニート、大丈夫だよ。プロジェクターにもっと、近づいてご
らん!すぐに、話せるようになれるよ、ぼくのようにね。そう、プロッ
クス人は、うまく話せるように、ぼくの声帯を少し直したけど、直さな
くても、きみは、うまく話せるようになるよ━━━」
 静かに、ミットキーは、ミニートに近づいて、すみに押し出して、隣
の室の壁のうしろのプロジェクターの方へ、誘導しようとした。
 ミニートは、キーキー鳴くと、走った。
 プロジェクターの数フィートのところを過ぎて、床板の穴を通って、
右方向に向かい、台所の床をちょこちょこ走って横切ると、ドアの網戸
の穴を通り抜けた。外へ、芝刈りのされてない、庭の草地へ逃げ込んだ。
「ミニート、ミニート、ミニート、戻っておいで!」
 ミットキーは、ミニートのあとを、かなり遅れて、ちょこちょこ走っ
た。
 足の高さのある芝生や雑草の中で、ミニートを完全に見失い、足跡も
なかった。
「ミニート、ミニート!」
 かわいそうな、ミットキー。もしも、ミットキーが、彼女がただのね
ずみであることを、思い出していたら、そして、彼女を呼ぶ代わりに、
ちゅうちゅう鳴いていたら、ミニートは、隠れ場所から出てきたに違い

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なかった。
 悲しみながら、ミットキーは戻ってきて、X19光線プロジェクター
を、シャットダウンさせた。
 あとで、ミニートが戻ってきたら、ミットキーは、いろいろ工夫する
つもりだった。ミニートが寝ているあいだに、プロジェクターを近くに
運んで、安全に作業するために、ミニートの足を縛って、もしも、神経
的な振動で、彼女が起きたとしても━━━。



            6
 
 夜。ミニートは、いなかった。
 ミットキーは、ため息をついて、待った。
 壁の外で、いつまでも続く、教授の声。
「おお、パンがなくなってしまった。食料がない。買い物に行かなきゃ
ならんな。食料か。大事な仕事があるのに、食わなきゃならんとは、人
間は、やっかいなものじゃ。ところで、わしの帽子は、どこいった?」
 そして、ドアがあいて、閉まる音。
 ミットキーは、穴から、はい出てきた。仕事場をさがして、ミニート

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の細い、かわいい足を縛るための、やわらかい紐をさがすのに、いい機
会だった。
 そう、電灯は、つけたままで、教授は、出かけていた。ミットキーは、
室の真ん中に、ちょこちょこ、はい出てきて、まわりを見回した。
 ロケットがあった。ミットキーが見たところ、それは、完成していた。
たぶん、教授は、ロケットを発射させる時を、待っているところだった
のだろう。壁側に、受信機があって、それは、ロケットの着陸時の、自
動送信を、受信するためであった。
 作業テーブルの上に、ロケットが置いてあった。美しく輝く、シリン
ダーで、教授の計算が正しければ、最初に月に到着する、地球発の物体
になるはずだった。
 それを見る、ミットキーの息使いが、スピーカーから聞こえた。
「美しいよね?」
 ミットキーは、空中に1インチは、ジャンプした。それは、教授の声
ではなかった。奇妙なキーキー声で、人間の声域より、1オクターブは
高かった。
 かん高い含み笑い。「驚かしたかな?」
 ミットキーは、ふたたび、まわりを見回した。今度は、声の主をさが
して。作業テーブルの上にある、木製のケージに、なにか白いものがい
た。

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 ケージのドアバーの間に、白い手が見え、ラッチを上げて、白いねず
みが、出てきた。小さな明るい目が、すこし軽蔑したように、床にいる、
小さな灰色のねずみを、見下ろした。
「きみは、教授が、話していた、ミットキーだろ?」
「ああ」と、ミットキー。とまどいながら。「きみは?━━━う、そう
か、なにが起こったか、分かった。X19光線プロジェクターが、きみ
のケージの外から、誤射したようだ。そして、きみは、ぼくのように、
教授の話から、英語がしゃべれるようになったんだ。きみの名前は?」
「ホイットニーと、教授は、呼んでいる。それが、名前だろう」と、ホ
イットニー。「X19光線プロジェクターって、なんだい、ミットキー
?」
 ミットキーは、説明した。
「ふ~ん」と、ホイットニー。「可能性が、多くの可能性があるね。月
への旅行より、ずっといい。プロジェクターを使った、きみの計画は?」
 ミットキーは、説明した。ホイットニーの、小さな明るい目が、さら
に、明るく、小さくなった。しかし、ミットキーは、それに気づかなか
った。
「月に行かないなら」と、ミットキー。「降りてくれば、壁の中の隠れ
方を、教えてあげるよ」
「いや、まだだ、ミットキー。ほら、ロケットの発射は、明日の夜明け

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だ。急ぐ、必要はない。すぐに、教授は、戻ってくる。教授は、少しの
間、仕事して、話す。ぼくは、聞いて、もう少し、学べる。夜明け前に、
教授は、眠るから、ぼくは、逃げられる。簡単だろ?」
 ミットキーは、うなづいた。「頭がいいね。でも、教授を信用しちゃ、
だめだよ。もしも、きみに知能があると知れたら、きみを殺すか、決し
て逃げられないように、するからね、教授は、知能のあるねずみを、恐
れているんだ。そう、金属ホイル。ケージに戻って、気をつけて!」
 ミットキーは、穴に向かって、ちょこちょこ走った。途中で、紐のこ
とを思い出して、紐のところに戻った。ミットキーの尾の先が、穴に消
えたときに、オッペルバーガーが、室に戻ってきた。
「チーズだよ、ホイットニー」と、オッペルバーガー。「チーズを買っ
てきたよ。ロケットの個室に、置いておこう。旅の途中で、食べられる
からね。きみは、優秀なねずみだったんだろ、ホイットニー?」
「ちゅうちゅう」と、ホイットニー。
 教授は、ケージをのぞきこんだ。
「もうすこしで、きみが答えてくれると思うところだったよ」と、オッ
ペルバーガー。「ホイットニー、イエスということかい?」
 沈黙。長い沈黙が、木製のケージから━━━。
 ミットキーは、待った。さらに、待った。
 ミニートは、帰って来なかった。

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「ミニートは、隠れてなんか、いないさ」と、ミットキー。自分を元気
づけるように。「彼女は、明るいうちに帰ってきたら、危険なことを知
ってるのさ。暗くなれば━━━」
 暗闇が、訪れた。
 ミニートは、帰って来なかった。
 外が暗くなると、壁の中も暗くなった。ミットキーは、台所のドアに、
こそこそ近づいて、ドアがあいていて、網戸に穴があることを、確かめ
た。彼は、穴を頭から通り抜けて、呼んだ。
「ミニート!ぼくのミニート!」そのとき、彼は、ミニートは英語が分
からないことを、思い出して、ちゅうちゅう鳴いた。しかし、となりの
室にいる教授には、聞こえないように、小さい声で。
 返事は、なかった。ミニートは、いなかった。
 ミットキーは、ため息をついた。そして、台所の暗いすみから暗いす
みへ、ちょこちょこ走って、穴に無事に戻った。
 戻って、すぐに、ミットキーは、待った。さらに、待った。
 まぶたが重くなり、目がふさがった。ミットキーは、眠った。深く、
眠った。
 誰かにさわられて、起こされた。ミットキーは、跳びあがった。ホイ
ットニーだった。
「しっ!」と、白いねずみ。「教授は、眠ってる。もうすぐ、夜明けだ。

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教授は、目覚まし時計を、1時間後にセットした。目覚めたら、ぼくが
いないことに気づく。教授は、別のねずみを、つかまえようとするだろ
う。ぼくたちは、隠れて、外には出ないことだ」
 ミットキーは、うなづいた。「頭がいいね、ホイットニー。しかし、
ぼくのミニートがいないんだ!彼女は━━━」
「どうにもできないよ、ミットキー。待って!隠れる前に、X19光線
プロジェクターが、どう動くか見せてくれないかな?」
「すぐ、見せてあげるよ。そしたら、ぼくは、教授が起きだす前に、ミ
ニートを見つけなければならないんだ。ほら、これだよ」
 ミットキーは、ホイットニーに、それを見せた。
「ミットキー、ぼくたちほど、頭のいいねずみにしないように、パワー
を下げるには、どうしたらいいんだい?」
「ここで、調整するんだ」と、ミットキー。「でも、どうして?」
 ホイットニーは、それには、答えず、肩をすくめた。「不思議に思っ
ていることがあるんだ、ミットキー。教授が、すごく特別な種類のチー
ズをくれたんだ。新しいチーズさ。それを、ちょっと持ってきたから、
食べてみてくれないか?そしたら、ミニートをさがしに、いっしょに行
ってあげるよ。あと、1時間しかないからね」
 ミットキーは、チーズを食べた。「新しくなんか、ないさ。リンバー
ガーだよ。ただ、リンバーガーにしては、かなり変な味がするね」

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「どっちが好きかい?」
「分からないよ、ホイットニー。でも、あまり、食べたくない━━━」
「不思議な味がするかい、ミットキー?すごいだろ。全部食べていいよ、
きっと、好きになるよ」
 失礼のないように、また、議論するのもめんどうなので、ミットキー
は、残りも食べた。
「悪くは、ないね」と、ミットキー。「さぁ、ミニートをさがしに行こ
う」
 しかし、ミットキーの目は、重くなり、あくびをした。ミットキーは、
穴の端まで来ていた。
「ホイットニー、少しだけ、休むよ。5分だけくれないか━━━」
 言い終わる前に、ミットキーは眠りに落ちた。いびきをかいて、今ま
でかいたことのないような、いびきをかいて、眠りに落ちた。
 ホイットニーは、ニタリとしてから、忙しく働くねずみになった。
 






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            7
 
 目覚まし時計が、鳴り出した。
 オッペルバーガーは、眠たそうに、目をひらき、今日がロケットの日
だったと、思い出して、あわてて、ベッドから出た。今から、30分後
が、ロケット発射の時だった。
 家の外へ出て、発射台を点検した。発射台は、問題なかった。ロケッ
トも。ただし、もちろん、個室のドアは、まだ、ひらいたままだった。
最後の瞬間に、ねずみを乗せるまでは、そのままだった。
 教授は、ふたたび、家の中に戻り、ロケットを発射台に運んだ。注意
深く、所定の位置に合わせ、スターターピンを点検した。すべて、異常
なかった。
 10分前だった。ねずみを、連れてこよう。
 白いねずみは、木製のケージで眠っていた。
 オッペルバーガーは、ケージの中に、注意深く、手を入れた。
「さて、ホイットニー、これから、長い、長い旅に行くんじゃよ。かわ
いそうな、小さなねずみよ、できれば、起こさないようにしよう。スタ
ートの号砲で起されるまでは、眠っていなさい」
 静かに、そっと、静かに、教授は、眠り続ける荷物を、庭に運び、ロ
ケットの個室に入れた。

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 3つのドアが、しまった。内側のドアと、バルサ材の格子と、外側の
ドア。バルサ材の格子以外は、ロケットの着陸時に、自動的にひらき、
送信機は、ねずみが、バルサ材をかじって、外へ出ようとする音を拾っ
て、送信することだろう。
 もしも、月に大気があれば。もしも、ねずみが━━━。
 懐中時計の分針を見ながら、教授は、待った。秒針が、今━━━。
 教授の指が、正確にタイミングをはかった、遅れて作動する、スター
ターボタンに触れると、家の中に走った。
 ドドドドドーーーン!
 ロケットが通った空中に、飛行跡ひこうせき
「グッバイ、ホイットニー。かわいそうな、小さなねずみ、でも、いつ
か、きみは、有名になるよ。わしのスターマウスのミットキーと同じく
らいに、有名になるよ。いつか、わしが本を出せば━━━」
 さて、日記に、出発の章を始めよう。
 教授は、ペンに手を伸ばした。自分の手の内側を見ると、その手は、
ねずみをつかんだ手だ。
 白だった。少し、混乱した。電灯の下に、手をかざして、調べた。
「白ペンキだ。わしは、どこで、白ペンキにさわったのかな?少しはあ
るが、使ってはおらん。ロケットにも、室でも、庭でも━━━」
「ねずみ?ホイットニー?わしは、ホイットニーをつかんだ。しかし、

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なんだって、研究所は、白ペンキを塗った、ねずみを送ってきたのじゃ
ろ?たしかに、わしは、どんな色でもよいとは言ったが━━━」
 教授は、肩をすくめ、手を洗いにいった。それは、不思議で、実に、
不思議だったが、重要では、なかった。しかし、地上にある、研究所が、
なぜそんなことをしたんだろうか?
 
               ◇
 
 轟音ごうおんを上げて、上昇するロケットの、暗い個室。月へ一直線、衝突。
 睡眠薬入りの、リンバーガーチーズ。
 黒い裏切り。
 白ペンキ。
 おお、かわいそうな、ミットキー!帰りのチケットなしで、月へ一直
線。
 
               ◇
 
 夜。ハートフォードは、雨だった。教授は、望遠鏡で、ロケットを追
えなかった。
 だが、すべては、順調で、問題なかった。

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 送信機が、そう、教えてくれた。ロケットの轟音ごうおんが、大きすぎて、中
のねずみが生きているかどうか、確信がもてなかったが、たぶん、生き
ているだろう。ミットキーは、プロックスへの旅でも生きていたのだか
ら。
 ついに、教授は、長椅子でうたた寝するために、電気を消した。起き
たときには、雨はやんでいるだろう。
 教授は、うとうとして、目は閉じられた。そして、しばらくして、ふ
たたび、目をあける夢を見た。自分の見ているものが夢だということは、
分かったいた。
 4つの小さい白い点が、ドアから床を横切って、動いた。
 4つの小さい白い点は、ねずみのようだったが、ねずみの夢を見てい
るのでない限り、ありえなかった。それらは、軍隊のように整然と、正
確な四角形で、動いたからだ。ほとんど、兵士のように。
 それから、音が、あまりにかすかで聞き取れなかった。4つの小さい
白い点は、1つのかたまりになって、消えた。1つ1つ、正確なインタ
ーバルで、床板から消えた。
 教授は、目が覚めて、自分に笑った。
「夢ではない?白いねずみや、手についた白ペンキのことを考えて、眠
ったから、それで、そんな夢を━━━」
 伸びをして、あくびをして、起き上がった。

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 しかし、小さい白い点は、つまり、白いなにかは、また、床板に現わ
れた。別の点が、合流した。教授は、目をパチクリさせて、それらを見
た。立ったまま、夢を見ているのだろうか?
 ひっかくような音がして、なにかが床を進んだ。最初の2つの白い点
は、壁から離れ、別の2つが現われた。ふたたび、四角形フォーメーシ
ョンで、床を横断して、ドアに向かった。
 行進は、続いた。4つの点は━━━これらが、白いねずみということ
はあるだろうか?━━━なにかを運んでいた、2つが引っぱり、2つが
押していた。
 しかし、それは、バカらしかった。
 教授は、電気のスイッチまで行って、点けた。光が、一瞬、教授の目
をくらませた。
「止まれ!」と、高い、金切り声がした。
 教授は、今、見えるようになった。それは、4匹の白いねずみだった。
彼らは、なにかを運んでいた。教授の持っている、鉛筆タイプの懐中電
灯の部品のひとつのようなものを、周りにくっつけた、奇妙な、小さい
物体だった。
 3匹のねずみは、大急ぎで、物体を運び始め、4匹目は、教授と物体
の間に立った。4匹目は、教授に、小さなチューブのようなものを向け
ていた。

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「動けば、ぶっ殺すぞ!」と、チューブを持ったねずみ。金切り声で。
 教授が動けなかったのは、チューブの脅威からではまったくなかった。
あまりに驚いたので、動けなかったのだ。チューブを持ったねずみは、
ホイットニーではないか?そう見えた。しかし、4匹とも、すべて、ホ
イットニーに見えた。ホイットニーは、月への旅の途中だ。
「なにが、どうして、どうなった?」
 3匹のねずみは、荷物とともに、台所のドアの網戸の穴に消えた。4
匹目も、彼らのあとを追った。
 網戸の手前で、立ち止まった。
「あんたは、バカか、教授?」と、ホイットニー。「人間は、すべて、
バカだ。オレたち、ねずみが、みな殺しにしてやる!」
 ホイットニーは、チューブを捨てて、網戸の穴へ消えた。
 教授は、ゆっくりと歩いて、ホイットニーが捨てていった武器を拾い
上げた。それは、マッチ棒だった。チューブでも、武器でも、まったく
なく、ただの、安全に燃やせるマッチ棒だった。
「しかし、なにが、どうして?」と、教授。
 教授は、マッチ棒を、燃えているかのように、手から落とした。そし
て、大きなタオルで、額をひたいぬぐった。
「しかし、なにが、どうして?」
 教授は、その場に、長い時間いたかのように、立っていた。それから、

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ゆっくり冷蔵庫に行って、あけた。一番奥のすみに、ボトルがあった。
 教授は、禁酒主義者だった。しかし、禁酒主義者も、1杯が必要なと
きがある。今が、そうだった。
 教授は、一杯を注いだ。






            8
 
 夜。ハートフォードは、雨だった。
 マイククラーリは、ハートフォード研究所のガードマンだが、やはり、
一杯飲んだ。骨にリューマチをかかえた男には、こんな天気の夜に、雨
の中庭を横切って歩いた後に、内から温めてくれる一杯が必要だった。
「カモたちにとっちゃ、いい夜だ」と、マイク。飲んだのは、初めてで
はなかった。自分のユーモアに、声を出さずに、くっくっと笑った。
 マイクは、3号棟の建物に入った。化学薬品の倉庫、測量室、発送室
を通った。彼は、ランタンを脇で揺らして、自分の前に、グロテスクな

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影を作った。
 しかし、これらの影は、マイククラーリを驚かせなかった。というの
も、この10年というもの、夜な夜な、この建物で、影たちと、追いか
けっこをしていたからだ。
 マイクは、生物室のドアをあけた。ドアをあけたまま、中へ入った。
「なんてこった!」と、マイク。「なにが起きたっていうんだ?」
 白いねずみを入れていた、2つの大きなケージのドアが、あいたまま
だった。2時間前に、巡回したときは、あいてはなかった。
 ランタンを高くかかげて、ケージの中を見た。ケージは、どちらも、
カラだった。ねずみは、すべて、いなくなっていた。
 マイククラーリは、ため息をついた。上司は、オレを責めるだろうな。
 よし、こう言おう。数匹のねずみなら、高いもんじゃないし、給料で、
なんとかなる。そう、オレのミスで、弁済することになるだろうな。
「ウィリアムさん」と、マイクは、上司に言うだろう。「最初、巡回し
たとき、これらのドアは閉まってました。2回目の巡回では、あいてま
した。ねずみをつかまえるのは、難しいでしょう。私に非があるのなら、
その分、給料を減額━━━」
 かすかな気配が、背後にした。マイクは、あたりを見回した。
 室のすみに、白いねずみがいた。あるいは、白いねずみに見えるよう
な、なにかがいた。しかし、それは、シャツとズボンを身に着けていた。

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「おお、神よ!」と、マイククラーリ。ほとんど、肺で声を出した。
「こいつは、アル中の妄想だ、オレは、ついに━━━」
 別の考えが、マイクを愕然とさせた。
「ええ、そうなのか?きみは、小人族のひとりなのか?どう、元気?」
 マイクは、震える手で、帽子をぬいだ。
「よっぱらいめ!」と、小さなねずみ。電光石火で、姿を消した。
 マイククラーリの額にひたいは、汗。背中や脇の下からも、汗が、したたり
落ちた。
「やつらに遭遇した!」と、マイク。「ついに、やつらに遭遇した!」
 まったく論理を越えて、彼の確固たる信念でもあったが、尻ポケット
の1パイントボトルを取り出して、いっきに、残っていた酒を飲み干し
た。









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            9
 
 暗闇と轟音ごうおん
 急に、轟音ごうおんが止んで、ミットキーは目がさめた。目覚めると、そこは、
真っ暗な、せまい場所だった。頭痛がして、胃も痛かった。
 突然、ここがどこなのか分かった。ロケットだ!
 ロケット噴射が止んだということは、軌道に乗って、あとは、月へ向
かって、落ちつつ、落ちてゆくだけだということだった。
「しかし、なにが、どうして?」
 ミットキーは、思い出した。送信機があって、ロケットの音を、教授
の超短波受信機に、送信していることを。彼は、絶望的になりながら、
呼びかけた。
「教授!オッペルバーガー教授!助けて!こちらは━━━」
 別の音がして、ミットキーは、黙った。
 口笛のような音、高いキーキー音、ロケットが大気中を、突き抜けて
るかのような音だった。
 月?月に関しては、教授が正しく、天文学者たちが間違ってたのか?
あるいは、ロケットが、地球に戻ったのか?
 ともかく、翼は、機能し始め、ロケットは、加速でなく、減速しつつ
あった。

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 突然、引っ張られて、ミットキーの呼吸を圧迫した。パラシュートの
翼がひらきつつあった。もしも、それらが━━━。
 クラッシュ!
 ふたたび、ミットキーの目の前も、後ろと同様、暗くなった。真っ暗
闇。ふたつのドアがひらいて、バルサ材の向こうに光がさしたが、ミッ
トキーは、それらを見なかった。
 しばらくして、ミットキーは目をあけて、うめき声を上げた。
 彼の目は、最初、木製のバーを見て、それから、その向こうを、見た。
「月」と、ミットキーは、つぶやいた。ミットキーは、バルサ材の門ま
で来たが、それを、あけなかった。恐ろしくて、彼は、小さな灰色の鼻
を、ドアから出して、周りを見渡した。
 なにも、起こらなかった。
 ミットキーは、頭を、後ろに引っ込めて、マイクロフォンに顔を向け
た。
「教授!聞こえますか?ぼくです、ミットキーです。ホイットニーじゃ
ありません。彼は、ぼくたちを、だましたんです。ぼくは、白ペンキを
塗られていました。それで、なにが起こったのか、知ったんです。あな
たは、そんなもの入れませんよね。白ペンキがあるはずないんです」
「だまされたんです、教授。ぼくは、ねずみなのに、裏切られたんです。
それに、ホイットニーは、今、X19光線プロジェクターを持っていま

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す。彼が、なにを計画しているのか、恐ろしいです。間違ったことでな
ければ、ぼくに、話したでしょうし」
 沈黙。ミットキーは、よく、考えた。
「教授、ぼくは、戻らなければなりません。ぼくのためでなく、ホイッ
トニーを止めるために。助けてくれますよね?見てください、ぼくは、
この送信機を、受信機に改造できます。たぶん、やさしいです。受信機
は、ずっと、単純ですからね?そして、教授は、超短波送信機を、すぐ
にでも、作れますよね?」
「そう、今から、始めます。グッバイ、教授。このワイヤを、変えてと
━━━」
            10
 
「ミットキー!聞こえるかい、ミットキー?」
「ミットキー、いいかい?地球に戻れるように、ロケットを改造する方
法を、今から教えるよ。すぐに作れないこともあるから、30分ごとに、
改造法を、なんども繰り返すからね」
「まず、方法を全部、聞いたら、電気を節約するために、回路を、シャ
ットオフしなさい!再出発のために、電気をバッテリーに、残しておく
必要があるんだよ。だから、送信はしなくていいよ。わしに、返答せん
ように!」

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「目的地の設定と計算は、あとにする。まず、チューブに残っている燃
料を、チェックしなさい!燃料は、多めに入れておいたから、十分だと
思うよ。重力の小さい月を出発する方が、地球を出発するより、ずっと、
ずっと、燃料が少なくてすむからね。それから━━━」
 教授は、話し終わっても、なんどもなんども、説明を繰り返した。教
授は、自分の手元にないので、どのようにしたらいいか分からないもの
も、いくつかあったが、ミットキーは、なんとか答えを見つけられた。
 ロケットの調整や、照準の角度や、タイミングの説明を、なんども、
繰り返した。ミットキーが、どうやって、ロケットを転回させ、照準を
あわせるかは、説明しなかった。しかし、ミットキーは、かしこいねず
みだったから、教授には、分かった。たぶん、レバーでなんとかするだ
ろう。レバーを見つけられれば━━━。
 繰り返し、繰り返し、夜遅くまで、親切な教授の声が、疲労でしゃが
れ声になるまで、そして、ついには、説明の繰り返しが、19回目の途
中で、教授は、いびきをかいて、眠りに落ちた。
 教授が目覚めると、明るい陽射しで、棚の時計は、11時を告げた。
起き上がり、つりそうな筋肉を伸ばしてから、座って、マイクロフォン
に向かった。
「ミットキー、聞こえるかい?」
 答えは、なかった。答えないように、言ってあったからだ。ミットキ

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ーは、前回の交信を、夜のはじめにしたとして、今は、夜遅くだった。
ミットキーの電池━━━つまり、ロケットの電池は、回路をまだ、つな
いでいたとして、かなり使い果たしているだろう。
 待つこと以外、今できることは、なかった。
 希望は、厳しく、待つことは、もっと、厳しかった。
 夜、昼、夜。夜と昼が続いて、1週間がたった。ミットキーは、いな
かった。
 ふたたび、前と同じように、教授は、鉄製のケージにわなを仕掛けて、
ミニートをつかまえた。ふたたび、前のように、ミニートの世話をした。
「ミニート、ミニート、たぶん、ミットキーが、もうすぐ、ここへ戻っ
てくるんだよ」
「ところで、ミニート、なぜ、きみは、ミットキーのように、話せない
んだい?ミットキーは、X19光線プロジェクターを作って、なぜ、き
みに、使用しなかったんだろう?なぜか、分からないのう」
 ミニートは、教授に、理由を話さなかった。理由を、知らなかったか
らだ。ミニートは、教授を疑わしそうに、見ていたが、話さなかった。
ミットキーが戻ってくるまで、ふたりは、理由が分からないだろう。そ
して、逆説的だが、ミットキーには、白ペンキを落とす時間がなかった。



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            11
 
 ミットキーの着陸は、完璧だった。ロケットから、はい出ると、しば
らく、歩いた。
 着陸場所は、ペンシルベニアだったので、ハートフォードまで、2日
かかった。もちろん、徒歩ではなかった。ガソリンスタンドに隠れてい
て、コネチカットナンバーのトラックがガソリンを入れにきたら、ミッ
トキーもついでにのせてもらった。
 最後の数マイルは、歩いて、ついに━━━。
「教授!ぼくです!ミットキーです!」
「ミットキー、わしのミットキー!もう、会えないかと思っておったよ。
どうやって、戻ったか、話してくれんか?」
「あとです、教授。あとで、全部お話します。さきに、ミニートはどこ
です?ミニートは、います?前は、行方不明で━━━」
「ケージにいるよ、ミットキー。おまえのために、ミニートにいてもら
ったんだよ。ミニートを解放しようか?」
 教授は、鉄製のケージのドアをあけた。ミニートが、ためらいながら、
出てきた。
「ご主人さま!」と、ミニート。ミニートが見ていたのは、ミットキー
だった。

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「なんだって?」と、ミットキー。
「ご主人さま!」と、ミニート。繰り返した。「あなたは、白ねずみで
す。わたしは、あなたの奴隷です」
「なんだって?」と、ミットキー。繰り返した。それから、教授を見た。
「ミニートは、なにを言ってるのだろう?さっぱり━━━」
 教授は、目を見開いた。「分からんよ、ミットキー。ミニートは、わ
しとは、まったく、話さなかった。ミニートがなにを言ってるのか━━
━待てよ、ミニートは、白ねずみって言ってるのぉ。たぶん━━━」
「ミニート」と、ミットキー。「ぼくのことを、覚えてないの?」
「あなたは、白ねずみです、ご主人さま」と、ミニート。「あなたと、
話します。わたしたちは、白ねずみ以外とは、話してはならないのです。
それで、今まで、黙ってました」
「ミニート、だれが」と、ミットキー。「白ねずみ以外とは、話しては
ならないんだい?」
「わたしたちです。灰色ねずみです、ご主人さま」
「教授」と、ミットキー。「分かってきました。ぼくの予想より、ずっ
と悪い状況です」そして、ミニートに。「ミニート、白ねずみに仕える、
灰色ねずみって、なんなんだい?」
「なんでもです、ご主人さま。奴隷であり、労働者であり、兵士です。
わたしたちは、皇帝と、ほかのすべての白ねずみに仕えます。そして、

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最初の、すべての灰色ねずみは、働き、戦うように訓練されています。
さらに━━━」
「待って、ミニート。分かった。2足す2は?」
「4です、ご主人さま」
「13足す12は?」
「分かりません、ご主人さま」
 ミットキーは、うなずいた。「ケージに戻りたまえ!」
 ミニートは、ケージに戻っていった。
「教授、分かりました?」と、ミットキー。「ホイットニーは、少しだ
け、灰色ねずみの知能レベルを、低くなるようにしたんです。0・2が、
ホイットニーのレベルですが、そして、それは、おそらく、ほかの白ね
ずみより、少しだけ賢いはずです。また、兵士や労働者になる、灰色ね
ずみの何倍も、賢いはずです。ひどいと、思いませんか?」
「ひどいね、ミットキー」と、教授。「ところで、人間と同じレベルに
なった、ねずみの知能レベルが、そんなに低いとは、思わなかった。人
間も、0・2レベルということかい、ミットキー?」
 ミットキーは、それには、答えなかった。
「教授、ぼくは、自分自身を、恥じています。マーストラリアの考え、
人間とねずみが、平和に共存できるというのは、夢でした。ぼくは、間
違ってました、教授。しかし、こんなこと考えてるひまは、ありません。

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やらなきゃならないことがあります━━━」
「どんなことかい、ミットキー?警察に電話して、彼らを、逮捕しても
らおうかい?」
「いいえ、人間には、彼らを、止められません、教授。ねずみは、簡単
に、人間から隠れられます。一生、隠れて、生活することさえできます。
100万の警察官、100万の兵士でさえ、皇帝のホイットニーを、見
つけられないでしょう。ぼくが、自分で、やるしかないのです」
「きみが、ミットキー、ひとりで?」
「そのために、月から戻ったのです、教授。ぼくが、唯一、ホイットニ
ーと同じ、知能レベルのねずみなのです」
「しかし、ホイットニーには、白ねずみの取り巻きがいて、ガードされ
ているのではないかのぉ?ひとりでは、無理では?」
「機械を、X19光線プロジェクターをさがします。それが、彼らの知
能レベルを、高めたのです。分かります?」
「その機械で、なにをするのじゃ、ミットキー?彼らは、すでに━━━」
「ぼくは、回路をショートさせられます、教授。端末を逆につないで、
回路をショートさせれば、それは、閃光とともに、爆発して、1マイル
以内にいる、人工的に知能レベルを高められた、すべてのねずみたちを、
以前の知能レベルに戻せられます」
「しかし、ミットキー、きみも、そこにおるのじゃ。きみ自身の知能レ

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ベルも、破壊されてしまう。それで、いいのかい?」
「ええ、いいです。世界のためですし、平和のためです。しかし、ぼく
には、切り札が1枚あって、それで、知能レベルを、元に戻せます」
「どうやるんだい、ミットキー?」
 小さな、灰色の人間が、頭を低く下げて、白ペンキの小さな灰色のね
ずみの上に。ふたりは、高貴な使命と世界の運命について、話し合って
いた。それが、おかしいと思う人は、もちろん、いないはずだ。
「どうやるんだい、ミットキー?」
「まず、白ペンキを、塗り直します。それで、彼らをだませますし、自
分を守れます。ハートフォード研究所の近くに行けば、ホイットニーが、
いっしょに働ける、新しい白ねずみを、見つけるわけです。
 ここを、出発する前に、ぼくは、別のX19光線プロジェクターを作
ります。それで、ミニートの知能レベルを、ぼくと同じレベルに、高め
ます。そして、ミニートに、プロジェクターの動かし方を、教えます。
分かります?
 それで、研究所で、機械をショートさせて、自分の知能を失ったら、
それでも、普通の知能や本能は残ってますから、ちゃんとここにいる、
ミニートのところまで戻ってこれます!」
 教授は、うなづいた。「すばらしい!研究所は、ここから、3マイル
じゃ。機械をショートさせても、ミニートには、影響せんじゃろう。そ

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れで、ミニートは、ミットキーを、もとに戻せるわけじゃ、そうじゃろ
?」
「そうです。ワイヤが必要です。すばらしいワイヤが。教授は、お持ち
ですよね?」
 このときばかりは、大急ぎで、X19光線プロジェクターが作られた。
ミットキーは、教授の手助けがあったし、暗闇で盗む代わりに、必要な
ものを言うだけですんだ。
 いっしょに働いているあいだに、教授は、なにかを思い出した。
「ミットキー!」と、教授。突然に。「きみは、月におったのじゃろ?
聞くのを、忘れておった。月は、どうじゃった?」
「教授、ぼくは、帰ることに夢中で、注意して見てませんでした。覚え
てないです」
 機械が完成する、最後の接続まできた。
「教授を信用しないわけでは、ありません」と、ミットキー。熱心に。
「しかし、プロックスの科学者たちとの、約束なんです。この機械が、
どのように動くのか、分かりませんし、教授も、理解できないでしょう。
人間やねずみの科学を、越えています。しかし、約束なので、最後の接
続は、ひとりでやります」
「分かるとも、ミットキー。もちろん、いいとも。ところで、きみが、
これから、ショートさせて破壊するプロジェクターの方は、誰かにみつ

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けられて、修理されたりされんじゃろうか?」
「まず、大丈夫です。それは、破壊されてますし、どう動くかも分かり
ません。教授でも、まず、無理です」
 ケージに近づくと、今、ドアは、ふたたび、閉まっていたが、ミニー
トが待っていた。最後のワイヤをつなぎ、そして、作動させた。
 クリック音。
 少しづつ、ミニートの目が変化していった。
 ミットキーは、急いで、ミニートに説明した。なにが起こっていて、
これから、どうする予定なのかを━━━。

            12
 
 ハートフォード研究所。本館の床下は、暗かった。しかし、ミットキ
ーの鋭い目には、すきまからの光で、短いこん棒を持った、白ねずみが、
近づいてくるのが見えた。
「誰だ?」と、白ねずみ。
「ぼくだよ。上の豚のケージから、逃げてきたんだ。なにか、食べるも
のない?」
「そうか。ねずみの皇帝のところに、連れていってあげよう。彼によっ
て、彼が作った機械によって、きみは、知能と気品を高められるんだ」

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「彼って?」ミットキーは、知らないふりをした。
「ホイットニーは、白ねずみの皇帝さ。白ねずみは、すべてのねずみを
支配していて、そのリーダーが、皇帝さ。きみも、宣誓すれば、すべて
を教えてもらえるよ」
「機械のことを言っているのかな?」と、ミットキー。「それは、なん
なんだい?どこにあるんだい?」
「本部さ。今から連れていってあげる。こっちさ」
 ミットキーは、白ねずみについていった。
 途中で、ミットキーは、いた。「賢くなった白ねずみは、どのくら
いいるんだい?」
「きみは、21番目さ」と、白ねずみ。
「それじゃ、20匹すべてが、ここに?」
「そうさ。それに、ぼくたちのために、労働したり、戦ってくれる、灰
色ねずみの奴隷部隊を、訓練しているんだ。すでに、100匹そろって
いて、兵舎で生活しているよ」
「灰色ねずみの兵舎は、本部から、どのくらい離れているんだい?」
「10ヤードか、たぶん、12ヤードだね」
「なるほど」と、ミットキー。
 通路の最後のかどを曲がると、機械があり、ホイットニーがいた。ホイ
ットニーの周りを半円状に、白ねずみが取り囲んで座り、聞いていた。

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「次にやることは━━━」と、ホイットニー。「なんだね、護衛?」
「新人です、閣下!」と、護衛。「逃げてきたそうです。参加したいそ
うです」
「いいね」と、ホイットニー。「今、世界征服を話し合っていたところ
だ。きみが、宣誓するまで、待とう。さて、機械の横に立って!片手を、
シリンダーの上に、もう片方を、手のひらを前にして、私に向けなさい
!」
「はい、閣下」と、ミットキー。半円状のねずみたちを回って、機械に
向かった。
「そう」と、ホイットニー。「手を高く!そう!私のする通りに、宣誓
しなさい!白ねずみは、世界の支配者である」
 ミットキーは、繰り返した。「白ねずみは、世界の支配者である」
「灰色ねずみや、人間を含めた、その他の生物は、白ねずみの奴隷とな
る」
 ミットキーは、繰り返した。「灰色ねずみや、人間を含めた、その他
の生物は、白ねずみの奴隷となる」
「さからったものは、拷問され、殺される」
 ミットキーは、繰り返した。「さからったものは、拷問され、殺され
る」
「そして、ホイットニーは、すべてのものたちを支配する皇帝である」

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「この機械は、きみが作ったものじゃない!」と、ミットキー。彼は、
X19光線プロジェクターのワイヤの間にもぐりこむと、ふたつの端末
のワイヤを、同時につかんだ━━━。
 
            エピローグ
 
 教授とミニートは、待っていた。教授は、自分のイスに座って、ミニ
ートは、作業テーブルの上で、ミットキーが行く前に作ってくれた、新
しいプロジェクターの横にいた。
「3時間20分たつ」と、教授。「ミニート、なにかまずいことが起こ
ったと思うかい?」
「そうじゃないことを、望むわ、教授」と、ミニート。「━━━ねずみ
って、知能を持ったら、幸せなのかしら?知能を持ったねずみは、不幸
なんじゃないかしら?」
「きみは、不幸かい、わしのミニート?」
「わたしも、ミットキーも不幸だわ、教授。はっきり言って、知能は、
心配の種だし、トラブルのもとよ。そう、壁の中で、冷蔵庫の下のチー
ズに囲まれて、わたしたちは、すごく幸せだったわ、教授!」
「たぶん、脳が、ねずみたちを悪い方向に導くんだろうね。人間のよう
に」

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「そうよ、でも、人間たちは、そのように生まれついているのだから、
仕方ないわ。ねずみたちも、もしも、知能が必要なら、そのように、生
まれてくるはずでしょ?」
 教授は、ため息をついた。「たぶん、きみは、ミットキーより、頭が
いいね。わしは、心配じゃよ、ミニート、もしも━━━見てごらん、ミ
ットキーじゃ!」
 小さい灰色のねずみが、壁に沿って、こそこそ歩いていた。白ペンキ
は、ほとんどはがれ、残りがもとの灰色を汚していた。
 床板の穴へ、飛び込んだ。
「ミニート!」と、教授。「ミットキーだよ!成功したんだ!さて、ケ
ージにわなを仕掛けて、ミットキーを、作業テーブルの機械の横に連れ
てこよう!いや、待てよ、その必要はないかな?プロジェクターを、壁
のうしろのミットキーに向けて、スイッチを押せば━━━」
「グッバイ、教授!」と、ミニート。ミニートは、機械に近づいた。教
授が、気づいたときには、もう遅く、ミニートがしようとしていたこと
を、止められなかった。
「ちゅうちゅう」
 そして、ただの、小さな灰色のねずみが、作業テーブルの上で、おお
あわてで、降りる道をさがしていた。作業テーブルの中央には、小さな、
複雑な、もう2度と動作しない、ショートされた機械があった。

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「ちゅうちゅう」
 教授は、ミニートをやさしく、つまみ上げた。
「ミニート、わしのミニート!そう、きみは、正しい!きみとミットキ
ーは、とても、幸せじゃろ?しかし、わしは、もう少し待ってほしかっ
た。ほんの少しだけでも、ミットキーと、もう一度、話したかった。ミ
ニート、でも━━━」
 教授は、ため息をついた。そして、灰色のねずみを、床の上に置いた。
「ミニート、壁の中のミットキーに、してあげられることは━━━」
 しかし、教えてあげることは、ミニートが、理解できたとしても、も
う、遅く、その必要もなかった。小さな灰色のねずみは、今や、床下の
穴に向かった、一直線の、小さな灰色の筋となった。
 そして、壁の中に隠された、深い暗闇からは、2匹の楽しそうな、小
さな、ちゅうちゅう鳴く声が聞こえてきた。
 オッペルバーガーは、その声を聞いて、やっと、笑顔を浮かべた。
 
 
 
                            (終わり)



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