殺しは10時15分
          原作:フレドリックブラウン
          アランフィールド
           
            プロローグ
             
 教科書にどう書かれていようと、耳の形から、あるいは、外見の輪郭
からすぐに分かる殺人狂としゃべる機会なんて、めったにない。
 ベニーボイルは、ゲリット署長に会いたいというりっぱな身なりの男
の応対をした。ずんぐりして力が強そうだが、ふつうの身長で表情もお
だやかだった。服のサイズは、だぶだぶで、ストローハットは2サイズ
は大きく、両耳の上に乗せて、歩くたびに、前後に傾いた。
 ベニーが、署長は多忙だと言うと、見知らぬ男は笑った━━━口が水
平に広がることを笑いと呼べるなら。「まったく急いでない」と、男は
ベニーに言った。「待ってる」




2

1
























































 
            1
 
 男は、署の壁の正面の長イスに座った。サイズオーバーのハットは、
かぶったまま、なにもすることがなく、すごくヒマそうな印象があった。
 ベニーは、警察署の受付にいて、たまに、奇妙な人々に会った。また、
ベニーは、刑事になるには体重が16パウンド足りなかったので、つぎ
に目指す高みとして、受付の主任を目指していた。
 しかし、同じことだが、タイプライターの仕事に戻るのは、すごく嫌
だった。もしも、ゲリット署長が、ドライアイスのように、規則にやか
ましい人間でなかったら、彼、ベニーボイルは、刑事の訓練を受ける前
に、今頃は、見習い生の制服になっていただろう。1つを除いてすべて
のテストは、見事にパスした。16パウンド足りないことで、タイプラ
イターの仕事を続けなければならなかった。
 平服に戻っても、どう見られるか、よく分かっていた。「ゆで卵のベ
ニー」と呼ばれても、みんな彼のことが好きだった。ゲリット以外のみ
んなに。ゲリットは、だれのことも好きじゃなかった。ルール通りやる
だけだった。尻ポケットには、1日中、アイスキューブが入っていて、
氷がけることはなかった。
 ベニーは、赤毛の頭をタイプライターから上げると、壁の時計を見た。

4

3
























































9時5分だった。だぶだぶのハットをかぶった男を、また見た。なんと
なく、ベニーは、男が落ちつかない気がした。なにかが、悪くなってい
る、しかも、かなり悪い。だぶだぶの服を着た男は、辛抱強そうは見え
なかった、自分で自分を抑えられるタイプには見えなかった。
 ベニーは立ち上がり、署長のプライベートオフィスのドアへ行った。
署長は、さっき、30分は誰とも会いたくないと言ったが、ベニーは、
変わった面会人に会ってもらうよう言おうとした。なぜ会いたいのかは、
知らない。
 ダンガルバン警部が、ベニーが入ったと同時に、反対側のドアから署
長のオフィスに入って来て、ゲリットは、イスのスイベルを回して、最
初に、警部に会い、ベニーは待たされた。
 ダンガルバンは、イヤな顔をした。「呪われた事件が、署長、いんも理
由もなく、ドラッグストアの店主は、ぺったんこになるまで頭を叩かれ
た。犯人は捕まってない、殺人狂がどこかに逃げている」
「強盗?」
「レジスターには触れてない。店主の服をぬがせて、持って行っただけ。
服のポケットにあったもの以外は、カネは奪ってない。見たところ、そ
れ以外は、まったく盗まれてない。店を、完全に調べたわけではないが」
 署長は、半分吸った葉巻を、灰皿に押しつぶした。「殺人狂だと?」と、
彼。イライラしたように。「どこにいるかは、天国しか知らない」

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5
























































「たぶん、あんたに会いに来る」
 ダンガルバンは、ニヤリとした。「やつを捕まえたことを覚えていて、
最後にあんたに会いに来ると誓った。とにかく、やつはあまり好いては
いない」
「ふん!」と、ゲリット。イスを回して、ベニーの方を向いた。「用件
は?」
 ベニーは、会話に割って入る気はなかった。「男が会いに来てる、ヘ
ンな服で」
「冗談を聞いてるヒマはない!」ゲリットの声は、皮肉いっぱいだった。
「要点は?男はだれで、用はなに?」
「聞いてないが、しかし━━━」
 ゲリットは、イスのひじ掛けを握った。「逃げた殺人狂に、朝食前の
殺人、冗談もいい加減しろ!それから、あんた、オレの命令を無視して、
なにを言いに━━━」
 もっと続いたが、ベニーは、室を出た。それが、助けてあげようとし
た結果だった。そう、刑事になるチャンスを得ようとしても同じことだ
った。
 ふさぎ込んで、印刷ルームに続く廊下を横切った。クラニー巡査部長
が、階段の近くに座っていた。勤勉に、ツメを磨いていた。
「今朝の殺人事件に、進展は?」と、ベニー。「ドライアイスじいさん

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7
























































は、まるで画鋲がびょうの上にいるようにイラ立っていた」
「ジョージカッツ」と、クラニー。答えた。「やつは、昨夜、収容施設
を出て来た」
「ジョージカッツって?」
 クラニーは、驚いて見上げ、ペンナイフを閉じて、ポケットにしまっ
た。「そうか」と、彼。「あんたは、ここに、彼がやつを取り逃がした
1年半前からしかいない。
 カッツは、スマートな方の殺人狂。署長がやつを捕まえる前に、未解
決の殺人が、3件あった。署長は、ほかの誰もやつを疑ってなかったと
きに、やつを出し抜いた。やつが、署長のガッツを憎んでいるのは、確
かだ」
「ダンガルバンは、やつが、ゲリットを脅していると言っていた」
「それを吹聴しないように!」と、クラニー。おごそかに。「時として、
みんな、そのことを忘れている。時として、それは巨大化してゆく」
「強迫観念?」
「そう、強迫観念、ベニー。カッツは、雌鶏の啼き声、暗い路地では会
いたくない。しかし、暗い路地もやつのスタイルじゃない。やつは繊細、
ベニー。頭がヘンなのかどうか知らないが、やつは繊細」
「きっと、出て来て良かったに違いない」と、ベニー。考えながら。
「ハンプスティード収容施設から。前に聞いたところでは、今まで、だ

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れもそこから出られなかったそうだ」
「今朝の、午前3時まではそうだった。やつは、3時くらいまではそこ
にいた。施設の職員は、6時にやつを見失った。それで、ここに電話し
て来た。ドラッグストアの店主が殺されたのは、7時」
「オフィスに戻らないと」と、ベニー。「店主殺しについて、なにか進
展は?」
「ほとんどない。オールナイトドラッグストアは、丘のふもとの石切り
場のちょうど上で、収容施設から5ブロックしか離れてない。やつは、
入って、ふつうに店主を殺して、服をがせた。5時と6時のあいだに。
だれも入って来なかったので、7時まで発見されなかった」
「フムフム」と、ベニー。オフィスに戻ることを忘れていた。「それで、
服は、やつに合ってないかもしれない。教えて、クラニー!カッツの人
相は?」ベニーは、できるだけ、小声でいた。もしも間違っていたと
きに、笑い者にされたくなかった。
「似顔絵を100枚は配ってある」クラニーは、ポケットから写真を取
り出して、ベニーに渡した。「やつは、それほど印象的な顔立ちはして
ない、ヘイ!」




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            2
 
 ベニーは、すでに廊下に戻っていた。受付のガラスドアを通して、服
のサイズが合ってない訪問者が、まだ、長イスに辛抱強く座っているの
が見えた。
 ぶしつけな訪問者が、署長のオフィスの廊下に通じるドアから入って
来る前に、なんとかして阻止しなければならなかった。ダンガルバンは、
オフィスを去るところで、ほとんど用事は済んでいた。ベニーは、断り
もなく署長のオフィスに入った。
「署長!受付にいる男、ジョージカッツ!今、写真を見せてもらったが、
同じ男!」
 ゲリットは、葉巻に火をつけようとしていた。静かにマッチをって、
葉巻にじゅうぶん火がつくと、ゆったりと煙を吐き出した。
「そんなに熱くなるな、ボイル」と、彼。「待って、ダンガルバン!」
立ち上がると、デスクの引き出しからオートマティックを出して、ポケ
ットに入れた。「やつは、ニトログリセリンのボトルか、オレたちへの
ビックリプレゼントを持ってるかもしれない。もしもそうなら、それは
オレへのプレゼント、やつは、あんたのことは知らない、オレがもらう、
ベニー。戻って、やつにしゃべり掛けながら、2ヤード以内に近づけ!

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準備は?」
「オーケー、署長、もしも━━━」
「もしも、オレが入って来たときに、銃か爆弾かなにかを出したら、や
つに跳び掛かれ!ダンガルバンとオレが着くまで、やつの手首か爆弾を
抑えておけ!やつを1か所に抑え込みたい」
 マスターした最も自然なポーカーフェイスで、ベニーは受付に戻った。
受付のデスクの外側で、書類の束を見てるふりをしながら、目のすみで
殺人狂を見ていた。ドアが開く音がして、ベニーは振り向いて、跳び掛
かる準備をした。
「思い掛けない楽しみだぜ、カッツ」と、署長。「両手を動かすな、あ
んたは包囲されてる」
 ゲリットの方を向いたとき、殺人狂は、うつろな顔で、表情がなかっ
た。「10時15分に、あんたの息子を殺すと告げに来た」
「立て!両手をからだから離すな!やつを身体検査してくれ、ダンガル
バン!」
 警部は、徹底的に身体検査した。「銃はなし、署長。画鋲さびょうえない!」
と、驚いたようなダンガルバンの声。
 カッツは、壁の時計を見た。「今、9時15分。ゲリット、あんたに
約束する、1時間で、あんたの息子は死ぬと」
「やつを、オレのオフィスに連れて来い、ダンガルバン!」と、署長。

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「ベニー、学校に電話して、番号は分かるな、ビリーが無事なことを確
かめてくれ!」
「ビリーは、すでに、死んでいる」と、カッツ。ダンガルバンが腕を取
って、署長のオフィスへ連れて行こうとした。「しかし、10時15分
になるまで、分からない」
「あんたは、ここにいる、お若いの」と、警部。「1015の約束を守
りようがない。どうかしてる」
「よく言われること」と、殺人狂。認めた。「いいところをついている。
しかし殺人狂に、2つ同時に殺人を犯さないようにできる?できやしな
い!」
 
            3
 
 署長のオフィスのドアが閉まったとき、やつは笑っていた。楽しそう
な笑いではなかった。ベニーはダイアルを回したが、指がすべって、ま
た、やり直さなくてはならなかった。
 会話はすぐに終わった。そのあと、別の番号に電話して、そこでも会
話はすぐに終わった。鉛のように重い足取りで、署長のオフィスへ向か
った。
 ビリーゲリット少年の写真を見なくても、14才のくしゃくしゃ頭で

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笑っている姿が心に焼き付いていた。たまに、署に来ては、いつも、ベ
ニーのデスクの端に座って、しゃべっていた。学校の話や、おもちゃの
飛行機や、切手のコレクションのことや、おとなになったら、本物の刑
事になると言っていた。
 ベニーが署長のオフィスに、ドアを開けて入ったとき、ゲリットは、
やつを問い掛けるように見ていた。カッツは、殺人狂は、どすんと落ち
るようにイスに座って、ダンガルバンとゲリットが、前に立っていた。
「息子さんは、1時間前に早退した、署長」と、ベニー。口が渇いて、
適当な言葉がなかなか出て来なかった。「電話が彼にあって、母親が事
故で傷を負ったので、すぐ家に帰るように言われたらしい」
 ゲリットの顔は、くもった。「家に電話は」
「した、あんたの代わりに電話していると。すると、あんたの奥さんは
無事で、学校には電話してないと言われた」
 カッツは、殺人狂は、どすんと落ちるようにイスに座っていた。ゆっ
くり息をして、なんとか体をまっすぐにしようとしているように見えた。
クックと笑った。
「オレを信じる気になった、ゲリット?あんたに誓ったように、息子は
1015に死ぬ。あんたにできることは、オレをもとの施設に戻すこと
だけ。オレは気にしない、今までいたところだし、少しは好きだから」
 ダンガルバンは、重い拳でスイングバックした。怒りに燃えていた。

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「少年はどこ?」
「1015ジャストに、分かる。前もって知らせようと思って来た。そ
うすれば、あんたが考える楽しみが増える、ゲリット!」
 カッツは、息が荒くなって、しゃべるのが難しくなったように見えた。
近くで見ると、ベニーは、やつの瞳孔が縮まって、ほとんど点になった
のが分かった。
 クラニー巡査部長が、ドアのところに立って、聞いていた。腕時計を
見た。
「9時20分、署長、あと1時間切った、やつに吐かせる時間がない。
すぐに始める?」
 ゲリットの顔が、明るくなった。「ディグリー3の方法しかない、ク
ラニー」
「それしかない、署長。まかして!15分で吐かせる!始めよう、署長」
クラニーは、大きな手を動かし始めた。拳は、手首を曲げるたびに、白
くなった。殺人者に1歩近づいて、また、ゲリットの方を向いた。
「今、9時26分」と、ダンガルバン。冷酷にうながした。「10分く
れ、ボビー」
 ゲリットは、座った。
「やつをなんとかしろ」と、彼。「まかせた!」
 ダンガルバンの腕は、カッツの肩をつかんで、足に向かって回した。

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殺人狂は、よろよろして、見えないテーブルにつまずいた。
「あんたの意図は、ぜんぶ、お見通しだ」やつは、あえいだ。「あとで、
会おう、ゲリット!」
 クラニーは、やつを、別の側からつかんで、ドアの方へつかんだまま
落とした。
「パル医師、すぐに来て!」と、ダンガルバン。「さっきオレが来たと
き、まだ、彼はいた。まだいるなら━━━」
 やつは、足を引きずって歩き、廊下に倒れ込んだ。
 ゲリットは、懸命に、受話器を持ち上げた。大声で命令して、救急車
を要請した。そして、ベニーの方を向いた。
「電話会社に、学校への電話をトレースできるか、いて!」
 ベニーは、受付に戻り、電話した。署長は、明らかに、わらをもつか
もうとしていた。学校のような忙しい場所に掛かって来た45分前の電
話を、トレースするチャンスは、万に1つもなかった。しかし、わらだ
としても━━━
 ベニーは、2分で、署長のオフィスに戻った。ゲリットを見て、頭を
振った。
「チャンスはなかった。電話会社は、トレースする方法はないそうだ」
 ダンガルバンは、戻って来た。顔は真っ赤だった。
「やつに、裏をかかれた。パル医師によると、やつは、モルヒネをたぶ

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ん2ゲレン飲んだそうだ。口の中に溶けてないカプセルが残っていた。
それを空けて持っていて、ここに連れて来られたときに、飲み込んだら
しい」
「ここに連れ戻せるかどうか、それまでに━━━」
「医者は、コーヒーを運ばせて、やつにカフェインを飲ませた。コーヒ
ーが効いて来れば、エンテロクリーシスで調べるなりできる。急げば、
なんとかなる。あとは、時間の問題だ」
「掛かる時間は?」
「早くて、2時間。やつは弱っているので、それ以上はムリだ」ダンガ
ルバンは、イスにどすんと座った。タバコに火をつけようとして、2本
目のマッチでやっとうまく行った。
「ふたりの刑事を学校に行かせて」と、彼。「少年の行先をたどらせた。
通った道は分かったようだが、そのうち、もと来た道に戻ってしまった。
それで━━━」言い終わらなかった。その必要はなかった。
 ゲリットのデスクの上の小さな時計のチックタック言う音が、室じゅ
うに響き渡った。9時35分を指していた。
 ベニーは、まだ、ドアのところで困ったように立っていた。ダンガル
バンやゲリットの顔を見ながら、自分が考えていることを、ふたりも考
えているかどうか、いぶかしんだ━━━出口はない、ということ。殺人
狂が仕掛けた死のわながなんであるにせよ、それを見つけるチャンスは、

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25
























































万に1つもなかった━━━1015までは。
 カッツには、強い確信があった。ひとりほくそ笑み、前もって、復讐
を遂げていた。
 ダンガルバンは、室を忙しく歩きまわり始めた、オリの中の野獣のよ
うに。行動がダンガルバンの本業だった。彼の影は、戦う影だった。そ
して、未知の影が、黒の墓布のように、室をおおった。ゲリットは、彫
像のように座っていた。
「たぶん、署長」と、ダンガルバン。あえて、しゃべった。「やつは、
少年を雑用に行かせたんだ━━━あんたにイヤな思いをさせるために。
たぶん、ただのギャグさ、たぶん━━━」
 
            4
 
 ゲリットの声が、ナイフのようにさえぎった。「カッツが2年前にや
った殺人を覚えてないのか、ダンガルバン?」
 ダンガルバンは、黙った。ベニーは、カッツの過去の犯罪歴の詳しい
経緯は知らなかった。しかし、カッツが今朝、冷酷に、知り合いでもな
い店主を殺したことを考えて、それは、どう考えても、ギャグとは思え
なかった。
 やつには、悪魔的なかしこさがあって、第三段階まで起こることを予

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27
























































想し、あらかじめ設定しておき、自分の活躍の機会を思い描いて、やつ
を問いただしても、すでに手遅れになるように仕組んであった。
 ゲリットは、ダンガルバンに命じた。「ドラッグストアへ行き、殺人
現場をもう一度調べろ!証拠なり、見逃していたことが発見できるかも
しれない」その声には、あまり望みは込められてなかった。
 警部は、することが与えられて、うれしそうに見えた。彼はドアから
出て行き、歩きながら腕時計をチラッと見た。10時15分前だった。
 署長は、ベニーの存在に気づいた。
「受付に戻っていい、ボイル」と、彼。「もしもなにかできることを思
いついたら━━━」
 ベニーは、うなづいて出て行った。ドアは、できるだけ静かに閉めた。
また、いつ来ようとも、2度とゲリットのことを、ドライアイスじいさ
んと呼ぶのはやめようと思った。この30分間、隠されたカラクリを考
えていた。
 署長が、今、感じていることの一部しか分かってないと気づいていた。
待つこと、待つこと、なにを待っているのか分からないまま、できるつ
ぎのステップもなしに、ただ、暗闇で待っていた。
 ベニーのデスクに白紙の紙があった。鉛筆を手に取り、指のあいだで
ねじった。彼は、少年のイメージを心から追い出そうとした、ビリーゲ
リット少年のイメージは、楽しそうに、盲目的に、死に向かっていた。

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あるいは、どこかで、彼が死ぬのを待っていた。
 しかし、どこで?どのようにして?よく考えてみるべきものがあった。
カッツがどのようにして、助けもなしに━━━収容施設から逃げて来た
殺人狂が、友人もなく、正気の沙汰でない冷酷な計画を実行できたのか?
カッツが歩いたり、施設に送り返されたりしたあとで、1時間立ってか
ら、少年が死ぬように、どう仕組んだ?
 そんな短い時間で、どうやって?時間━━━それが鍵だ。死のわなを、
そんなにすぐに準備できる?待つことなく掛けられるわな?午前3時に、
施設から逃亡し、ドラッグストアの店主を殺し、服とモルヒネ、それに
水に溶けないカプセルを奪った、それが、6時。
 9時頃に学校に電話して、ビリーを死に追いやる口実を使って、この
電話のあとすぐに駅に向かったに違いない。時間から考えて、ベニーは、
学校への電話は、ドラッグストアから駅のあいだのどこかの店で掛けた
のは確かだった!
 それは、たったの3時間で行われた。6時に店主を殺し、9時に駅に
入った。そこで、わなを仕掛けた。そのわなは、施設逃亡の前に、外の
世界に接触することのない男によって計画され、土曜の朝のたったの3
時間で実行された。どうやって?
 ベニーは、目の前の紙の1つの端に、四角を描いた。それが、丘の上
の施設。丘のふもとに石切り場、そのすぐ上で、最初の殺人。

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 受付の開いた窓から、裁判所の時計が10時を打つ最初の鐘の音が響
いた。ボーン、ボーン、ベニーは、音が聞こえないように耳をふさいで、
回数を数えなかった。
 その紙に描かれた施設を、10回以上見た。自分が、その窓から外を
見ながら、悪魔的なわなを練っているとしよう。短い時間で仕掛けられ
るのは、どんなわな?爆弾?
 石切り場のダイナマイトが置かれた小屋!施設の窓から見える!今日
は、土曜で、石切り場ではだれも働いてない。そう、時間はたっぷりあ
った。店主を殺したあと、石切り場に戻り、小屋のドアをあけた瞬間、
爆発するようにする時間は、たっぷりあった。小屋の窓から出ると、路
面電車で町に戻り、学校に電話した。
 しかし、ビリーゲリットを誘い出す口実は、どんな?
 
            5
 
 10時の最後の鐘の音から、2分たっていた!カッツが電話でなんて
言ったかなんてどうでもいいことに、ベニーは気づいた。それは、直観
だった。カッツが短い時間でできることを推理していった唯一の到達点
が、それだった。
 ベニーは、今度もなんの断りもなく、署長のオフィスに飛び込んだ。

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「署長!分かった!石切り場のダイナマイト小屋!車ですぐに!」
 ゲリットは、跳び上がった。ベニーには、この15分間で署長がずい
ぶん年取ったように見えた。ゲリットは、言葉に時間を費やさなかった。
走って飛び出ると廊下を走った。ベニーはいて走った。
 ダンガルバンは、足音を聞いた。印刷ルームから出ると、いて走っ
た、驚きながら。ステーションワゴンが走り出すまで、ゲリットはしゃ
べるための息をつけなかった。
「あんたが、どうやってそれを推理したのか知らない、ベニー」と、彼。
しゃがれ声で。「しかし、たとえ間違っていたとしても、ほかのオレた
ちの推理よりはましだ」
 ワゴンは4人を乗せて、ベニーの石切り場への簡単なスケッチ通りに、
施設への道をとばした。そこが、もっともわなが仕掛けられていそうな
場所だった。
 ダンガルバンは、腕時計を見て、運転手にもっととばすように言った。
10時15分だった。
「アクセルは、全開」と、運転手。「もっと速くしたいんなら、あんた
が外へ出て押してくれ!」
 ベニーは、殺人調査チームのストロベルとドッブスが、ドラッグスト
アの角から飛び出て、カーブでキーキー言わせて走るワゴンを見送るの
を見た。そこが、最初の殺人現場だった。

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 帽子なしの少年が、黄の髪を陽射しになびかせて、「危険!立ち入る
な!」と書かれた木造の小屋に向かって、通りを渡った。彼の手が、ド
アの取っ手に掛かったときに、ワゴンが最後のカーブを曲がって来た。
ダンガルバンは、運転手に寄り掛かって、サイレンのボタンを押した。
もう少しで、溝に落ちるところだった。
 サイレンの音で、少年は振り返り、待った。ベニーは、この30秒、
息してなかったことに気づいた。サイレンが警告を続けた最後の1秒ま
で、彼は息を飲んでいて、今、やっとリラックスできた。ワゴンは、金
切り声を上げて止まった。
 ゲリットは、少年を抱き寄せずに、肩をつかんだ。ベニーは、少年が
振り向いて笑う前に、少したじろぐのを見た。ベニーは、署長の顔を、
あえて見なかった。
 ダンガルバンは、窓から小屋の中を見た。ガラスが内側に散乱してい
た。クラニー巡査部長は、ドアの前のガラスの中から、壊された南京錠
を拾い上げた。
「ドアにイスが立て掛けてある、署長」と、ダンガルバンの声。小屋の
裏の窓から聞こえた。「それから━━━」声は、署長が裏へ歩いて行っ
て小さくなったので、ベニーには聞こえなかった。
 ダンガルバンは、窓から中へ入り、注意深い動きがあってから、しば
らくしてドアが開いた。彼は、額のひたい汗をぬぐった。

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37
























































「閉まっていた」ビリーゲリットを見て、声の調子を変えた。「ドアを
開けて、換気をしよう」
 殺人調査チームのストロベルとドッブスが、走って来た。ふたりは、
ワゴンのあとを追って来た。
「オレたちも、そこを通った、署長」と、ドッブス。「ここでなにが?」
「なにも!」と、ゲリット。ぴしゃりと否定して、ふたりに「し〜っ!」
というポーズをした。「通ったのなら、今日はもう残りはオフにすると
いうのは、どうだい?」
「ふん?」
「カーウィン公園やビーチへでもドライブして、ビリーもいっしょに。
息子があんたたちといっしょにいてくれたらうれしい━━━カッツとい
う名前の紳士が、もといた場所へ送り返されるまで」
 ストロベルは、やっと飲み込めた。「いいね、署長。カモン、ビリー!
カーウィン公園でローラーコースターに乗ろう!ふん?」







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39
























































 
            エピローグ
 
 帰りのワゴンの車内で、ゲリットが、ベニーにはまだ解けないパズル
の答えを教えてくれた。
「あとで息子にくが」と、彼。「カッツが電話で息子になんて言った
のか、だいたいはっしがつく。オレが呼んでいると言って、成人の男
ではできないが、少年ならできる救出を手伝って欲しいと」
 ベニーは、うなづいた。そのような話には、ビリーくらいの年齢の少
年が喜んで跳びつきそうだ。
「やつは、ビリーにどこかへ来てくれと言った」ゲリットは続けた。
「どこだか知らない。そこで、呼ぶまで待っていてくれと。しかし、1
0時になってもだれも呼びに来なかったら、石切り場へ行って、姿を見
られないように、中で待っていてくれと。ビリーがそこへ着くまでの時
間を15分と、やつは計算した」
「しかし、署長」と、ダンガルバン。異議を唱えた。「校長や先生らは」
「カッツは、そのような子どもみた話では、校長は納得しないと気づ
いていた。家で事故があったという作り話をして、校長らを納得させる
ようにとビリーに言った。いわばビリーを味方に抱き込んだ」
 ダンガルバンは、認めた。「浮きを水面に浮かべたわけだ、署長。あ

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のくらいの少年が喜んで食いつきそうだ、浮かせて、流して、沈んだ瞬
間に合わせて針を引っ掛ける」
 ゲリットは、運転手の肩を軽く叩いた。「ジョーウィルバーの石炭置
き場で止めて!」と、命じた。
 ダンガルバンは、驚いた顔をした。「ふん?この事件は、事実上、す
でに解決したのでは?彼は」
「気にするな、ダンガルバン!」と、ゲリット。ぴしゃりと。「ウィル
バー氏に会いたいだけ」
「ウィルバーに会いたい?なぜ?彼は━━━」
「うるさい!あんたのアドバイスが欲しければ、こっちからく、ダン
ガルバン」
 ベニーは、心の中で、ニヤリとした。ゲリットは、毅然とした態度に
戻った。しかし、ベニーは、ダンガルバンと同じように、なぜ、ウィル
バーのところに止まるのか疑問に思った。ウィルバーは、石炭の計量を
行う、小さな石炭業者で、計量測定部局から訴えられていた。手で持て
るサイズのバスケットや石炭ワゴン程度の石炭を売っていた。しかし、
署長が、そのような少量の石炭に興味があると思えなかった。
 ダンガルバンは、ワゴンが止まったとき、沈黙を決め込んでいた。
「ボイル」と、ゲリット。ジョーの石炭置き場へ歩いているとき言った。
「あんたが、刑事になるあらゆる試験に合格していることは知っている、

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体重が足りないことを除いて」
 ベニーは、うなづいた。希望がいて来た。
「運が悪いことに」と、ゲリット。「例外がないことは、あんたも、も
ちろん、分かっている。ルールはルールだ」声は、鋭くて、はっきりし
ていた。
 ベニーの表情は、落ち込んだ。そう、結局、ラッキーな予感がしただ
けで、期待は持てなかった。しかし、たぶん1年以内に、がんばって体
重を16パウンド増やして━━━
「ここは、砂漠のようだ」と、ゲリット。回りを見渡した。
「さっき署長に言ったように、ジョーウィルバーは」
「しかし」と、ゲリット。ダンガルバンの異議を無視した。「ここで、
体重計に乗って、体重を計ってみたらいい。前にテストしたときより、
増えているかもしれない」
 ダンガルバンの声が、ふたたび、割って入った。「ここの計量は、署
長━━━ジョーは、計量測定部局から訴えられているのを忘れた?」
「ダンガルバン」ゲリットの声は、辛らつだった。「自分の仕事だけに
集中しろ!かれてもいない余計な情報をもたらすな!さもなければ、
バッジを取り上げる!」
 ベニーは、体重計に乗った。ゲリットは、体重計の針を少しだけずら
した。

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「201パウンド」と、彼。読み上げた。「それなら、必要体重を上回
っている。証人になってくれ、ダンガルバン!つまり、署でのボイルの
再計量は必要がない」
 ダンガルバンは、熟れたトマトのように喜んだ。「オレは、これから
も、話しの分かる刑事でいるつもり、署長」歯を見せて笑いながら、新
しい部下を大歓迎して、両手を広げた。
 
 
 
                            (終わり)











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