人形の家で
          ウォルターグローマン、チャールスバーモント
           
            プロローグ
             
             
「想像力のキーで、ドアをあければ、そこは」と、ナレーター。
「異次元空間」宇宙空間にドアが現れて、自然にひらいた。
「音の次元」石膏でできた窓が、大きな音をたてて崩れた。
「視覚の次元」目玉が、通り過ぎた。
「心の次元」E=mc2という数式が、通り過ぎた。
「影と実在」マネキンが、通り過ぎた。
「精神と物質が混在する場所へ」時計が、通り過ぎた。
「足を踏み入れる、そこが・・・」異次元空間に吸い込まれる、音楽。
「ミステリーゾーン」




2

1
























































 10人ほどが、事務机で働くオフィス。チャイムが鳴って、正午の昼
休みを告げた。
 すぐに全員、席を立って、上着を手に外へ向かった。
「ヘイ、チャリー!」と、同僚。まだ、席を立たないチャーリーに。
「休憩時間だよ!」
「悪いが、これだけ、終わらしたいんだ」と、チャーリー。
「オレたちと、差をつける気かい、チャーリー?」と、別の同僚。
「差というと?」
「分かるだろう?」
「もういい、行こう!」と、最初の同僚。ふたりは、上着を取りに行っ
た。「見ろよ、いい子ぶりっこしてるぜ!」
 チャーリーも、すぐに、立ち上がって、上着を着て、外へ向かった。
それを、隣のガラス戸越しに、上司のディーメルが、いぶかしげに見送
った。
 
               ◇
 
 チャーリーは、昼食のために、バートン郡博物館へ行った。
「失礼!」と、チャーリー。玄関で、ぶつかったアイリーンに。アイリ
ーンは、黒のコートに、黒の手袋だった。あきれたように、頭をふって、

4

3
























































去っていった。アイリーンにぶつかったことが、チャーリーが見知らぬ
世界に迷い込むきっかけとなった。
 館内の食堂は、「改装のため休業」の立て札があった。階段を上って
いくと、下へ降りようとする、団体客にぶつかった。
「次は、古代の美術品です」と、案内する男性。「この盾は、100年
も前のものです。比較的新しい、1950年代のものもあります。アフ
リカの一部の地域は、開拓前で、文明化されていません。奥地の先住民
の中には、文明社会を知ることなく、死んでゆくものもいます。また、
彼らは、数百の言語を操ります」チャーリーは、団体客に押されて、2
階に上がれず、1階の団体客の中にいた。
「美術鑑賞協会のみなさまなら、彼らの作品の価値が分かるでしょう。
盾は、特別の目的のために作られています。たとえば、これは、悪霊を
追い払うための、盾です。別の、この盾は、病かやまいら身を守ります」
 チャーリーは、やっと、団体客から抜け出して、1階の展示室へ入っ
た。チャーリーが入ってゆくと、イスに座っていた、警備員が立ち上が
った。いろいろな博物品があった。チャーリーは、一番奥の、人形の家
の前に行った。豪華なつくりで、1階に応接室、2階に寝室、右側には、
螺旋階段があった。応接室に置かれたピアノには、若い女性が座ってい
た。
 腕時計を見ると、そろそろ、戻ったほうがよさそうな時間だった。

6

5
























































 そのとき、かすかな、ピアノの音色が聞こえてきた。どこから聞こえ
てくるのか、最初は、分からなかったが、人形の家を見ると、女性が弾
いているように見えた。
「博物館は、知識の場所です」と、ナレーター。「美と真実と不思議の
場所。学んだり、鑑賞を楽しんだり。訪れる理由は、人、それぞれ」
 ロッドサーリングが、タバコを手に、スーツ姿で腕を前に組んで、ナ
レーターをつとめていた。
「チャーリーパークスは、現実逃避のために訪れます。食堂を利用する
から、通うのではありません。ひとりの時間を過ごし、孤独を味わうた
めに、訪れるのです。少なくとも、ミステリーゾーンに迷い込むまでは」
 
             1
 
 チャーリーは、人形が、じつに生き生きとピアノを弾いていたので、
帰り際に、担当の警備員にいた。
「失礼、あの家について、聞きたいのですが・・・」
「あの家というと?」と、警備員。
「ガラスケースの中です」
「ああ、詳しくは知らんのですが、なにか、毛が1本の筆やら、細かい
道具を使って、根気強く作ったとか」

8

7
























































「あの女性が動く仕掛けは?電子部品かなにかで?」
「というと?」
「ピアノを弾く女性ですよ・・・音が止んだ!」
「何のことか・・・」
「こちらへ」チャーリーは、警備員を人形の家まで、連れてきた。
「つい、さっきまで、弾いていたんです。こんなかんじの曲を」
 チャーリーは、口笛で曲を聞かした。「聞きました?」
「私は、冗談は苦手です。特に、勤務中は」
「冗談では、ないつもりですが」
「では、幻聴ですね。ピアノに仕掛けはありません。人形も、1本の木
を彫った物です」
「あなたこそ、冗談を!」
「ご覧ください!」警備員が指さす壁には、説明書きがあった。
「19世紀の住宅」と、説明書き。「サマーズ夫妻の邸宅で、人形の娘
のアイリーンは、実際の家の木を掘った物」
「すみません。聞こえた気がしたんです」と、チャーリー。
「きっと、誰かが、ラジオでも持っていたんでしょう」
「動いているようにも、見えました」
「気のせいですよ」
「そのようですね・・・お騒がせしました」

10

9
























































「いいんです。大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。きまり悪いですが・・・」
「他にご用は?」
「いえ、もう戻らないと・・・」チャーリーは、腕時計をみて、走りだ
した。「お邪魔しました」
「いえ、とんでもない」
 
               ◇
 
 チャーリーが、オフィスに戻ったのは、1時35分だった。席につこ
うとすると、机の上に、上司からのメモ書きがあった。
「ミスターパークスへ。私のオフィスに来るように。ディーメルより」
 チャーリーは、隣のガラス戸をノックした。
「どうぞ」と、ディーメル。チャーリーが入室すると、「座りたまえ」
と、言った。
「遅れて、すいません」と、チャーリー。
「理由があるんだろう?」
「ありません・・・気づいたら、休憩時間を過ぎてました」
「この4年で、初めて、人間らしいところを見せたな」
「今、何と?」

12

11
























































「君は、いつも機械のように働き、いつも一人きりでいる。私たちが嫌
いか?」
「考えたこと、ありません」
「では、考えろ・・・同僚が好きか?」
「たぶん」
「たぶん、だと?」
「つまり、少なくとも、嫌いではありません」
「残念ながら、それでは、困るのだ。会社には、社員の団結力が必要だ
が、わが社は、一丸となっていない。原因は、君だ。人となじむのが、
苦手なのは、承知していたが、適応できると思っていた。しかし、無理
だったようだな。なじめないままだ。分かるね?」
「分かります」
「遅刻のせいにしようと思ったが、はっきり言おう。職場に合わないか
ら、解雇する」
「承知しました」チャーリーは、立ち上がった。
「パークス」
「はい」
「余計なお世話かもしれないが、実家を出たらどうだ?」
「母をひとりには」
「病気か?」

14

13
























































「違いますが・・・少し前に、父をなくして、妹は結婚しているので、
私がいないと」
「そうか。あと、数週間残って・・・」
「ありがたいお話ですが、結構です」
「給料は、渡そう」
「どうも」
 
               ◇
 
 午後、チャーリーの家。
「不当解雇だわ!」と、チャーリーの母。
「彼は、人事として、当然の仕事をしたまでだ」と、チャーリー。
「でも、なぜ、お前が?」
「適応できなかったからさ」
「どういう意味?」
「職場になじめなかったんだ」
「バカらしい!」母は、電話の方へ行った。
「なにを?」
「お前が、仲間はずれにされた理由を聞くの」
「やめてくれ、無意味だよ」チャーリーは、母から受話器を取り上げた。

16

15
























































「これから、どうするの?一生懸命、お前を育てたのに。何が悪かった
の?厳しくしすぎた?」
「いいや」
「甘やかしたせいね。お父さんの言うように、お仕置きすべきだった」
「母さん、心配ないよ。大した問題じゃない」
「その言葉は、聞き飽きたわ。なぜ、仕事が続かないの?いつも、職場
になじめないのは、どうして?」
「分からない」
「わたしと、同居しているせいだと、思われているようね。出て行った
ら、どう?」
「分かっている」
「いい人を見つけて、一緒になってちょうだい。家庭を築き、普通の人
生を送って」
 母は、涙声になった。
「泣かないで!」
「心配なのよ。落ち込むお前を、見たくない」
「ぼくは、平気だ」
「クビになったのよ。落ち込みなさい!お父さんが生きていたら、卒倒
してたわ」
「あした、職業紹介所に行くよ」

18

17
























































 チャーリーは、立ち上がって、室を出ようとした。
「どこへ?」
「自分の室へ」
「チャーリー、わたしの心臓の薬を持ってきて!」
 チャーリーは、キッチンに行って、飲み薬のビンとスプーンを持って
きた。
「チャーリー、なぜ、休憩のあと、遅れたの?」
「足止めされたんだ」
「どういう意味?」
 チャーリーは、母にスプーンと飲み薬を持たせた。
「引き止められたんだ」
「チャーリー、お前、大丈夫?」
「ああ、平気だよ」
 チャーリーは、自分の室に入ると、ドアはあけたまま、上着とネクタ
イを取るあいだ、さっき聞いた、ピアノ曲を口笛で吹いた。
「その曲は?」と、母。ドアのところに立っていた。
「なにが?」
「口笛の曲よ」
「ああ、覚えてない」
 母は、チャーリーの室に入って、ベッドを整え始めた。

20

19
























































「母さん!」
「少し昼寝しなさい!」
「分かったよ」チャーリーは、靴のまま、横になった。母は、さっそく、
靴をぬがそうとした。
「母さん、よしてくれ!」
「なぜ?面倒くらい見させて!」
「ありがたいが、自分の靴は、自分でぬぐよ!」
 母は、手を止めた。「ココアを入れてくるわ」
「ありがとう」
 母が出てゆくと、チャーリーは、また、あの曲を口笛で吹いた。
 
               ◇
 
 つぎの日の午後、チャーリーは、セレム職業紹介所から出てきた。紹
介してもらった会社の住所の紙を手にしていた。
 博物館の前に来ると、住所の紙をしまって、玄関の階段をのぼった。
1階の展示室へ入ると、前に話した警備員が、話しかけた。
「先日は、どうも」
「どうも」
 展示室の奥を見ると、前と同じように人形の家があった。チャーリー

22

21
























































は、まっすぐに、人形の家まで来ると、応接間を見た。しかし、アイリ
ーンは、ピアノの前にいなかった。
 アイリーンは、右側の螺旋階段を降りてきた。小さな手提げを持って、
外出用のドレスを来ていた。召使の女性が、応接間のイスに、コートと
白い手袋を置いて、一礼して出て行った。
 アイリーンは、待つ間、ピアノの前に座って、弾き始めたが、すぐに、
右側の玄関から、黒い服の男性が現れて、シルクハットとステッキを、
召使にわたした。男性は、応接間に入って、アイリーンに一礼した。ア
イリーンは、立ち上がって、手をさしのべた。男性は、アイリーンの手
にキスを始めたので、すぐに、召使が割って入って、シルクハットとス
テッキを、さし出した。
 アイリーンは、手袋をすると、男性にコートを肩にかけてもらって、
ふたりで腕を組んで、玄関を出ていった。
 チャーリーは、どういうことなのか、まったく分からずに、首をかし
げた。






24

23
























































            2
 
 チャーリーの家で、母と妹夫婦が朝食を食べていた。
「チャーリー、ご飯が冷めるわよ!」と、母。大声で、呼んだ。「ほら
ね。呼んでも来ないし、毎晩、遅くまで起きてるみたい」
「母さん」と、妹のマイラ。
「きっと、病気だわ」
「恋の病では?」と、妹の亭主のバディ。
「そんな、バカな!」と、母。
「ありえるよ、男前だからな。変わり者だけど」
「それなら、わたしに相談するはず。そうよね、マイラ?」
「ええ」と、マイラ。
「だから、色恋の話じゃない」
「そうかい」
「わたしは、子離れできない親じゃない。そうよね、マイラ」
「バターを取って!」と、マイラ。
 チャーリーは、ネクタイを締めながら、入ってきた。
「チャーリー、ご飯が冷めちゃったわよ」
「ごめん」と、チャーリー。
にい兄さん、元気かい?」と、バディ。威勢よく、握手をした。

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25
























































「バディは、どう?」
「オレは、絶好調さ!」
「マイラも元気そうだ!」と、チャーリー。マイラに、あいさつした。
 マイラは、メガネをかけて、チャーリーを見た。
「兄さんは、元気がなさそうね!」
「最近、あまり眠れなくて」
「仕事のことで、悩んで?」
「ああ、たぶん」
「毎日、暑いなか、歩き回っているからね」と、母。
「調子が悪くて、当然だ」と、バディ。
「チャーリー」と、マイラ。
「なに?」
「いい話があるの・・・話して!」
「クビになったと聞いて」と、バディ。「いや、職をさがしていると聞
いて、オレの上司に相談してみたんだ。そしたら・・・」
「雇ってくれるって!」と、マイラ。
「そうだ」
「よかったわ」と、母。
 チャーリーは、表情を変えずに、牛乳を飲んだ。
「チャーリー」と、母。

28

27
























































「ありがたいけど、断る」と、チャーリー。
「建築の仕事は、経験あるんでしょ?」と、マイラ。
「ああ」
「なら、どうして?」
「遠くまで、通勤したくない。市外だよね?」
「バディが車で送るわ」
「オレが送り迎えするよ!」と、バディ。
「チャーリー」と、母。「なんとか言いなさい!いい話じゃないの!」
「すまない」と、チャーリー。席を立った。「感謝してるけど、その話
は、断るよ」
「他に仕事が?」と、バディ。
「ああ」と、チャーリー。
「チャーリー、仕事って?」と、母。「チャーリー!」
 チャーリーは、何も言わずに出て行った。
 
               ◇
 
 チャーリーは、博物館で、人形の家を見ていた。
 応接室のテーブルに、召使が朝食を用意すると、一礼して出て行った。
アイリーンは、ナプキンをひざにしいた。

30

29
























































「おはよう」と、チャーリー。「母は、朝食が一番大切な食事だと言う
んだ」
 アイリーンは、チャーリーが話しかけても、気にせずに食事を始めた。
「うちの母は、いい母親なんだ。ぼくを、子ども扱いするけど、しかた
ない。母には、ぼくしか、いないからね。頼りない息子だけどね」
 アイリーンは、すぐに、ナプキンをテーブルに置いて、立ち上がった。
「余計なお世話だけど、朝食は、もっと食べないと!」
 アイリーンは、ピアノの前に座った。
「きみと同じくらいの妹がいる。マイラという、優しい子だ。義弟おとうとは、
美人だと言うが、きみほどじゃない!」
 いつもの警備員が、こちらを見ていた。
「きみは、世界一の美人だからね!聞こえてないから、言える。でも、
もしも、聞こえてても言うよ、なぜなら」
 警備員は、咳払いをした。チャーリーが、話をやめると、近づいてき
た。
「どうも」と、警備員。「きょうは、お早い!」
「ああ」
「ここが、よほど、お好きなんですね?」
「ええ、まぁ」
「この家が、とくに?なぜ、です?」

32

31
























































「別に」
「理由もなく、5時間も見続ける?」
「規則を破ってます?」
「いいえ」
「それでは、ひとりにしてください」
「分かりました」警備員は、すこし笑ってから、戻っていった。
 アイリーンは、また、ピアノを弾き始めた。
 
               ◇
 
 朝、チャーリーが外出すると、窓から母が顔を出して、車にいたマイ
ラに合図した。マイラは、車から降りて、チャーリーのあとをつけた。
 チャーリーが、博物館に入ると、マイラも続いた。
 チャーリーは、いつもの警備員に会釈して、また、人形の家の前に立
った。
 アイリーンは、応接間で、普段着姿で、刺繍を始めた。
「おはよう。新しい服だね。初めて、見たよ」
 マイラは、展示室の前まで来ると、警備員に声をかけられた。
「なにか、ご用で?」と、警備員。
「いえ、別に」と、マイラ。

34

33
























































 マイラは、奥の人形の家の前の、チャーリーを見つけて、近づいた。
「チャーリー」と、マイラ。
「やぁ、マイラ。なぜ、ここに?」
「たまたま、入るのを、見て」
「そうか」
「コーヒーでも?」
「食堂は、閉まっている」
「別の場所へ」
「そうだね」
 チャーリーは、人形の家が気になったが、マイラと出て行った。
 
               ◇
 
 チャーリーとマイラは、テーブルについていた。ウェイトレスが、コ
ーヒーを持ってきた。
「ありがとう」と、マイラ。それから、チャーリーに。
「正直に言うわね。ほんとうは、兄さんのあとをつけてたの」
「なぜ?」と、チャーリー。
「母さんに頼まれたのよ。わたしたち、兄さんのことが心配で。最近、
おかしいわ」

36

35
























































「そんなことは、ない」
「毎日、博物館に?」
「ああ。教養を高めようと、思ってね」
「違うでしょ?」
「違う?」
「別の理由があるはずよ。わたしたち、兄妹よきょうだい。兄さんのことは、よく
分かっている。ひとりになるために、行くんでしょ?現実逃避している
のね?」
「マイラ」
「大事な話だから、よく聞いて!もう、30過ぎた大人なのよ。なのに、
14才のころと変わってないわ。母さんのせいね?でも、兄さん自身の
責任でもある。よくないわ。兄さんも分かっているから、怖いのよ」
「そのとおりだ」
「わたしに、同意するのは、やめて!なんと言おうが、間違ったことで
も、同意するじゃない?」
「しないよ」
「心理学のことは、よく知らないけど、兄さんがかかえている問題なら、
わたしにも、分かるわ。恋人が必要よ!いい年なんだから、分かる?」
「あんまり」
「その、説明するのが難しいけど。つきあった経験は?」

38

37
























































「ない」
「やっぱりね。じゃあ、経験させてあげる」
「どうやって?」
「ハリエットを紹介するわ。同僚の女性で、すごくいい子よ。きっと気
に入る」
「マイラ」チャーリーは、まったく、気がすすまなかった。
「お願い。わたしのためだと思って、一度だけ会ってみて!会ってくれ
たら、二度と口出ししない」
「分かった」
「彼女の住所よ」マイラは、紙に書かれた住所を、テーブルに置いた。
「電話しなくていい。直接、迎えに行って!夜8時に」
 
               ◇
 
 夜の公園。チャーリーは、ハリエットと腕を組んで歩いていた。
「チャーリー」と、ハリエット。「なにを考えているの?」
「別になにも」と、チャーリー。ふたりは、ベンチに座った。
「口数が少ないのね。危険な男って、かんじ。静かな男は、信用できな
い」
「信用していいよ!」

40

39
























































「信用させたいの?」
「ぼくは、ただ」
「もっと、リラックスして!後ろにもたれて、力を抜くの!そうよ。い
い感じでしょ?」
「ああ」
「チャーリー?」
「うん?」
「わたしのこと、好き?」
「ああ、とても」
「態度で示してみて!」
「態度って?」
「たとえば、キスするとか」
「お互いのことを、知らないのに?」
「試してみて!」
 ハリエットは、自分からキスをした。チャーリーが、押すと、ハリエ
ットは、ベンチから落ちた。
「痛い!」
「すまない!大丈夫?」
「構わないで!」ハリエットは、自分で立ち上がった。「もう、結構よ
!」ハリエットは、チャーリーに軽く平手打ちしてから、言った。「あ

42

41
























































なたに必要なのは、恋人よりも、お医者さんよ!」チャーリーを残して、
帰ってしまった。
 チャーリーは、打たれた頬を押さえていたが、そのまま帰っていった。







            3
 
 チャーリーは、人形の家の前で、話しかけた。
「キスしなかっただけで、医者に診てもらえって。それが、今どきの考
え方なんだよ。マイラに頼まれたんだろうけど、それでも・・・」
 アイリーンは、応接間のイスに座って、本を読んでいた。召使が階段
を降りてきて、玄関をあけた。黒いマントの男が、召使の静止を聞かず
に入りこんだ。召使は、必死に追い返そうとするが、男にステッキで打
たれて、気を失った。
 アイリーンは、物音に気づいて、立ち上がった。男が、応接間に入っ

44

43
























































てきた。
「逃げて!逃げるんだ!」と、チャーリー。「彼女に、指1本、触れる
な!」
 男が近づくと、アイリーンは、気を失った。男は、アイリーンを抱き
かかえて、階段を上がっていった。
 チャーリーは、なんとか彼女を助けようと、枠をはずそうとしたが、
はずれなかった。男が寝室に入ったのを見て、チャーリーは、近くにあ
った像で、ガラスケースを割った。すぐに、警備員が、駆けつけた。警
備員は、チャーリーが持っていた像を預かった。
「男が、彼女を」
「なんですって?」
「昨夜、キスを断られたのに、また、やって来た」
「そうですか」警備員は、チャーリーの腕をとって、静かに出口に誘導
した。
「男は、止めようとしたメイドを殴って、彼女を襲った。男は、彼女を
抱えて、寝室へ。なんとかしなきゃと思って」
「そうでしょうとも。分かりますよ」
「止めようとした。止めるために・・・」
 ガラスケースを割られた人形の家は、なにごともなく、アイリーンは、
ピアノの前に座っていた。

46

45
























































 
               ◇
 
 チャーリーは、ワードローブを着て、ソファにいた。精神科医は、自
分のタバコに火をつけた。
「あなたは、確かに」と、精神科医。自分のイスに腰掛けた。「その光
景を見たのでしょう。ただし、すべて、頭の中の光景です」
「現実でした」と、チャーリー。
「現実に見えるのが、幻覚です。通常は、目から脳へ映像が送られる。
しかし、時に、逆のことが起こります。脳から目へ信号が送られること
もある。分かりますか?」
「いいえ、あれは、現実の出来事です」
「それなら、他の人も見たはずでは?違いますか?」
「分かりません」
「目撃者がいるはずです」
「ええ、たぶん」
「だが、誰も見ていない。なぜ、ですか?」
「分かりません」
「では、考えて!」精神科医は、机の引き出しをあけて、細長い箱を取
り出した。「どうです?」

48

47
























































「誰も見ていなかったのかも」
「人形の家には、3人いた。若い女性とメイド、それに男」
「そうです」
「論理的に考えましょう。博物館によると、人形は、女性ひとりだけだ
そうです。他のふたりは?」
「メイドは、台所か居間から現れます。そして、男は」
「どこから来たんですか?」
「外です」
「ケースの外?」
「家の外です」
「パークスさん、よく考えてみてください。家の外には、ガラスが張ら
れ、その先には、他の展示物があるだけです。違いますか?でも、男は、
玄関から入ってきた」
「そうです。ドアから入ってきました。それに、ふたりでオペラに、出
かけたこともありました。彼女は、男の人間性を知りませんでしたが、
ぼくが、教えてあげました。でも、彼女は、純粋で、疑うことを知らな
い」
「他の女性と違う?」
「まったく違います。彼女を、見ましたか?」
「ええ」

50

49
























































「無事ですか?心配してたんです」
「会いたい?」
「はい」
 精神科医は、机の上の細長い箱をあけて、人形を取り出した。
 チャーリーは、あわてて立ち上がって、「気をつけて!」と言って、
人形を大事に抱えた。
「それは、木の塊ですよ。見事に彫られた、木の塊」
「このまま、一緒に?」
「残念ですが、博物館の所蔵品です。もう一度、整理して、考えてみて
ください。いいですね?大事なのは、なにを見たかではなく、なぜ見た
か、です。それが分かれば、幻覚も見なくなります」
 チャーリーは、彼女が元気そうなので、心からホッとして、人形に頬
ずりした。目には、涙を浮かべていた。精神科医は、人形をふたたび、
箱に入れた。
 
               ◇
 
 同じ精神科医の室。チャーリーの母に、マイラとバディがいた。
「チャーリーは?」と、母。
「まもなく来ます」と、精神科医。

52

51
























































「あの子は、普通ですか?」
「その言葉は、適切ではありませんね、パークス夫人」
「どうして?」
「無意味だからです。普通は、大多数であることを示す言葉にすぎず、
大多数が正しいとは、限りません。たとえば、もしも国民の99・9%
が、靴下をはいて寝るとします。すると、靴下をはいて寝るのが普通で、
はかないと、普通でなくなる」
「オレは、はいて寝る!」と、バディ。
「チャーリーを、他人の行動と一致するかで、判断しないでいただきた
い。他人で同じであることを、強要しないように!」
「病気ではないと?」と、マイラ。
「ここに来たときは、病んでいた。皆さんが望む人間になろうとして、
その結果、絶え間ないプレッシャーを受け、精神が崩壊したんです。現
実に対処できなかったので、チャーリーは、頭の中に、別の世界を創造
した。しかし、その世界を破壊して、徐々に健康な精神状態へと、戻り
始めた。彼は、現実だと、主張してましたが、幻覚症状では、よくある
ことです」
 バディは、難しい話を聞かされたときの癖で、両手の指をボキボキ鳴
らした。
「なかなか、おもしろい癖ですね?なにか、意味が?」

54

53
























































 バディは、返答のしようがなく、ボキボキをやめた。
 ドアがあいて、スーツ姿のチャーリーが現れた。
「マイラ!」と、チャーリー。
「チャーリー!」と、マイラ。
「バディも!」チャーリーは、手をさし出した。バディも、握手した。
「母さん、来てくれて、うれしいよ!」母に、あいさつして、イスに座
った。
「チャーリー、気分はどう?」と、精神科医。
「最高としか、言えません!先生のおかげです」
「夢を見ることは?」
「赤ちゃんのように、よく眠れます」
「人形の家の女性は?」
「あれは、ただの人形です。先生のおかげで、目が覚めました。感謝し
ます」
「ご自分で、解決されたのですよ。私は、ヒントを与えただけ」
 母は、チャーリーの受け応えを見ていて泣き出した。
「母さん!」
「チャーリー!どれほど、心配したことか!ほんとうに」
「心配させて悪かった。でも、もう、大丈夫だ!ですよね?」
「ええ」と、精神科医。

56

55
























































「仕事を見つけて、元通りの生活に戻るよ!」
 
               ◇
 
 チャーリーの家。4人そろって、ココアを飲んでいた。
「母さんのココアは、やっぱり格別だ」と、チャーリー。
「治療は、痛かった、チャーリー?」と、母。
「ショック療法は、痛みを伴うと言われたが、結局、やらずに済んだ。
問題なかったよ」
「頭がヘンなやつが、いたろ?」と、バディ。隣にいるマイラに、肘鉄ひじてつ
された。「チャーリーのことじゃないよ!」
「別に気にしてないよ。ココアを、もう一杯!」
「チャーリー、いくつか、いい知らせがあるの」と、マイラ。「バディ
の仕事の話は、まだ、空きがあるの」
「よかった」
「それから、ハリエットに事情を説明したら、理解してくれたわ」
「うれしいよ」
「今晩、うちに来ることに」
「ありがとう、マイラ。バディも」
「話をつけるのは、大変だったぞ」と、バディ。

58

57
























































「そうだろうね。期待に沿えるよう、一生懸命働くよ」
「今晩に備えて、少し、休む。昼寝の用意をして、母さん!」
 チャーリーは、立ち上がって、母と、自分の室へ行った。
「チャーリー、本当に、もう、大丈夫なのね?」
「ああ、心配ない」
 チャーリーは、靴ごと、ベッドに座った。母が、靴を脱がしにかかっ
た。
「独り言を言って、暴れたりしない?」
「もう、すべて、過去のことだ」
「戻ってきてくれて、本当に、うれしいわ」
 母が室を出て行くと、チャーリーは、立ち上がって室に鍵をかけた。
そして、その鍵を、投げ捨てた。
 
               ◇
 
 バディは、新聞の漫画を読んで、大笑いした。そのとき、玄関のチャ
イムが鳴った。
「ハリエットだわ」と、マイラ。「はやく、チャーリーに知らせて!」
玄関をあけると、ハリエットが立っていた。
「ハーイ」と、ハリエット。

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「きれいだわ。新しいドレス?」と、マイラ。
「これ、200ドルよ。ハーイ、バディ!」
「ハーイ、ハリエット」と、バディ。
 母は、チャーリーの室をノックした。「チャーリー、彼女が来たわよ
!」
「起きないか?」と、バディ。バディは、ドアをあけようとした。
「かなり、疲れていたのね」
 バディは、ドアをあけようとした。
「鍵がかかっている」
「そんなはずないわ」
「やってみて!」
 母があけようとしても、ドアはあかなかった。
「チャーリー!」と、バディ。
「バディ、いったい、なんの騒ぎ?」と、マイラ。
「たぶん、寝ているのよ!」と、ハリエット。
「そんなはずないわ。ドアを壊して」と、マイラ。「早くやって!」
「分かったよ!」と、バディ。肩でぶつかって、ドアをあけた。
 室へ入ったが、チャーリーはいなかった。
「チャーリー?」と、マイラ。ベッドの下を見た。
「チャーリー?」と、母。洋服ダンスを見た。

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「チャーリー?」と、バディ。あいていた窓を見た。
「チャーリー・・・」と、母。
「母さん、落ち着いて」と、マイラ。
「消えてしまった」と、母。
「窓から、出たんだ!」と、バディ。
「なぜ、そんなことを?」と、母。
「オレに聞かれても!」
 マイラは、居間の電話へ、走った。
「マイラ!どうする気?」と、母。
「落ち着いて!」と、バディ。
「マイラ!」と、母。
「静かに!」と、マイラ。次に、電話に向かって。「博物館の番号を、
お願いします・・・ありがとう」
「完治したのよ。博物館に行くはずない」と、母。
「黙ってて!」と、マイラ。聞いた番号を、ダイヤルした。「もしもし、
今夜は、開館してますか?どうも・・・博物館には、いないわ。火曜以
外は、5時に閉館すると。今日は、水曜だわ」




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            エピローグ
 
 夜、博物館の展示室。
 ミイラの棺が、ゆっくりと開いて、中から、チャーリーが出てきた。
スーツのネクタイを直してから、笑顔を浮かべて、人形の家まで行くと、
家の電気をつけた。
 アイリーンは、ピアノを弾いていた。
「連中は」と、チャーリー。アイリーンに、話しかけた。「きみが、幻
覚だと、ぼくに、信じこませようとした。だから、ぼくは、幻覚だと、
認めたふりをしたんだ」
 召使が、朝食を持ってきたが、アイリーンは、手をふって、断った。
「でないと、入院させられて、きみに会えないからね。そんなの最悪だ。
だって、ぼくは、きみを、愛しているんだ。きみに、伝えたいから、ず
っと、言いつづけるよ」
 アイリーンは、ピアノを弾くのをやめて、室を歩き回っていた。
「アイリーン、愛している。愛している。愛している」
 
               ◇
 
 チャーリーの家。

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「ノックをしても、反応がないから、ドアを壊したんです」と、マイラ。
駆けつけた、精神科医に話していた。
「昼寝する前の、彼の様子は、どうでしたか?」と、精神科医。
「なんと、説明すればいいか。なにも悩み事がないみたいで、かえって、
心配になりました。博物館に電話しましたが、すでに、閉館したと。い
ったい、どこへ?」
「博物館です」
「でも、閉館してます」
「閉館前に行き、隠れたのでしょう」と、精神科医。指を鳴らしている、
バディに向かって。「1つ、頼みが。一緒に来てもらえますか?」
「もちろん」と、バディ。
「力をお借りするかもしれない。お母さんも来ていただけますか?」
「何でもするわ、チャーリーのためなら」と、母。
「お願いします」
「病院に連れ戻すんですか?」
「それが、賢明でしょう」精神科医は、受話器を手にした。「警察につ
ないでほしい」
 
               ◇
 

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 夜、博物館の人形の家。
 チャーリーが、話していた。
「先生は、単純な世界を望むから、幻覚を見た、と。でも、きみの世界
だって、単純じゃないよね。どの世界にも、孤独や苦しみはある」
 アイリーンは、イスに座って、顔を手でおおって、泣いていた。
「君も、孤独だから泣いている。ぼくも、ずっと、孤独だ。母さんや妹
が、ぼくを理解しようと、努力してくれたけど、無理な話さ。ぼくを理
解できるのは、きみだけだ。ぼくらは、理解し合える。互いに助け合い、
愛し合える。もし・・・」
 そのとき、館内に話し声がした。チャーリーは、人形の家の電気を消
した。
「閉館前に調べますから、隠れているとは、思えません」と、警備員。
懐中電灯を持っていた。
「可能性は、あるでしょう」と、精神科医。ひとりの警官と、マイラと
バディ、それに、チャーリーの母が同行していた。
「少しは。こちらです。電気を?」
「まだ、けっこう。お母さん、来てください!みなさんは、ここで、待
機を」
 精神科医は、パークス夫人と、人形の家のある展示室のドアに立った。
「出てくるように、呼びかけて!」

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「チャーリー!」と、母。
「大声で命令して!」
「母さんよ、出てきなさい!」
「もう一回!」
「今すぐ、出てきなさい!聞いてる?」
「警備員さん、電気を!」
 警備員は、展示室の電気をつけた。
「ここに?」と、警官。
「まず、間違いない」と、精神科医。
「捜しましょう!」と、警官。
「チャーリー!」と、母。
「チャーリー!」と、マイラ。
「チャーリー!」と、母。
 みんなで展示室の中を、さがしまわった。
 警備員は、人形の家の前に来たとき、応接間が、いつもと違う気がし
た。
 アイリーンが、チャーリーといっしょにイスに座って、スライドを見
せていたのだ。アイリーンも、チャーリーも、笑顔で、幸せそうだった。
「結局、チャーリーは」と、ナレーター。「見つかりませんでした。警
備員は、誰にも、話しませんでした。信じてもらえないからです。ミス

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テリーゾーンの片隅で起きたことなら、特に」
 
 
 
 
                      (第四_八話 終わり)















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