ゴーホームマーティアン
原作:フレドリックブラウン
アランフィールド
プロローグ
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パート1=襲来
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パート2=侵略
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パート3=退却
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エピローグ
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著者後記
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登場人物
ルークデビュラックス:サイエンスフィクション作家。
マギー:ルークの元妻。スナイダー医師のオフィスに勤務。
スナイダー医師:ルークの精神分析医。
カーターベンソン:ルークの友人の作家。砂漠の小屋を所有。
プロローグ
地球が火星人の襲来に準備して来なかったのは、自分たちの過失だっ
た。なん世紀ものできごとは、特に、ここ数十年は、準備を急がせるも
のだった。
人は、その準備は、ずっと長いあいだ続けられて来たと言うかもしれ
ない。それは、地球が宇宙の中心ではなく、同じ太陽の周りを回る惑星
の1つに過ぎないことを知って以来、ずっと、人は、ほかの惑星はどう
なっているのだろう、地球のように住めるのかどうか考え続けて来た。
しかしながら、そうした考察は、賛否ともに証拠がなかったために、純
粋に、哲学的平面にとどまった。なん人の天使が針の先でダンスできる
かとか、アダムにへそはあるかという考察と同様に。
準備は、シャパレリやローウェルによって、とりわけローウェルによ
って本格化したと言える。
シャパレリは、イタリアの天文学者で、火星の運河を発見した。しか
し、それが人工物だとは主張しなかった。彼の使った言葉、カナリは、
溝の意味だった。
訳語を変えたのは、アメリカの天文学者ローウェルだった。火星の運
河を詳しく調べて辿り、それらは、明らかに、人工物の運河であると強
く主張することによって、彼の想像を初めて公表した。すぐにそれは、
一般大衆の想像とも一致した。火星は居住可能だという肯定的な証拠だ
った。
実際には、ローウェルを支持する天文学者は、ほとんどいなかった。
なん人かは、運河の存在を否定した。ただの光学的な幻であって、自然
にできたもので、運河ではまったくない。
しかし、多くの大衆は、常に、肯定的面を強調し、否定的面を排除し、
ローウェルの味方だった。肯定的意見に賛同し、人気のある科学風、お
昼のワイドショースタイルで、なん百万語を使って、火星人の考察がな
された。
サイエンスフィクションは、その考察を引き継いだ。その号砲は、H
G・ウェルズが1895年に書いた『世界戦争』によって華々しく鳴り
響いた。地球が火星から発射されたロケットで侵略される古典的作品だ
った。
その小説は、大ヒットして、地球が侵略に備えることを大いに助けた。
そして、もうひとりのウェルズ、オルソンウェルズは、もっと大きな援
助をした。1938年のハロウィーンイブに、ウェルズの本をドラマ化
したラジオ番組で、意図したことではなかったが、オレたちの多くが、
火星の侵略を現実として受け入れる準備ができていることを証明した。
夜遅く番組を聞いていた、国じゅうのなん千人もの人々が、それがフィ
クションだというナレーションを聞き逃したために、現実だと信じ、火
星人が実際に上陸し、人々を殺しまくっていることを信じた。その人の
性格から、ある者たちはベッドの下に隠れ、別の者たちはショットガン
を持って通りに出て、火星人を捜した。
サイエンスフィクションは、発芽したばかり。科学もそうなので、ま
すます判断するのが難しくなる。科学がどこで終わって、フィクション
がどこから始まるのか。
V2ロケットは、海峡を越えて、英国へ渡った。レーダーとソナーで。
それから、原子爆弾。人々は、科学が欲しいものを実現してくれるこ
とを疑うのをやめた。原子力エネルギー。
試験的な宇宙ロケットは、すでに、ニューメキシコのホワイトサンド
から発射されて大気圏を越えた。地球を周回する宇宙基地が、計画され
ている。すぐに、月へも。
水素爆弾。
空飛ぶ円盤。もちろん、オレたちは、それがなにか分かっている。最
初は信じてなかったが、今は多くが、それが地球外のものだと固く信じ
ている。
ワープ航法。1963年のメツァイトの発見により、バーナーがアイ
ンシュタインの間違いを指摘して、光速を越える航行が可能であること
を証明した。
どんなことでも可能、多くの人々の期待通り。
影響を受けるのは、西半球だけではない。どこに住む人間も、なにか
を信じてしまう。日本の山梨県に住む人間は、火星人だと噂され、それ
を信じた群衆に殺された。1962年にシンガポールで暴動があった。
その翌年に、フィリピンで反乱があって、それは、金星人と神秘的な交
信をして、その指示に従うカルト集団によるものだった。1964年に
は悲劇的な事故があった。アメリカ軍の円盤が、試験的な超ジェットの
故障で国境の南に不時着した際、ふたりの乗組員が、宇宙スーツとヘル
メット姿で出て来たために、火星人だと勘違されて、現地のメキシコ人
によって直ちに熱狂的に殺されてしまった。
そう、オレたちは、準備が必要だ。
しかし、どんな姿で来るのか?イエスともノーとも言える。サイエン
スフィクションは、なん千もの姿で、彼らを描いている。高いブルーの
影、小さなトカゲ、巨大昆虫、火の玉、歩く花、あんたが考えるなんで
も━━━しかし、サイエンスフィクションは、注意深く、決まり文句を
避けて来た。しかし、決まり文句がほんとうになることだってある。実
際、彼らは、グリーンの小男たちだった。リトルグリーンメン。
違いはどこに?違いもなにも、だれもそんなことには準備してなかっ
た。
◇
多くの人々は、そんなことが起こるとは考えてなかったので、196
4年からスタートするのがいいと思う。それに先立つ12年と大差ない
年だった。
その年のささいなできごとを述べておこう。60年代初めの比較的お
だやかな景気後退が終わって、投資マーケットは活気を帯び始めた。
冷戦は、まだ、深く潜行したままで、中国の危機以来と変わらぬ直近
の動きは見られなかった。
ヨーロッパは、第2次大戦以来、どの年よりも結束を見せていて、ド
イツは復活して偉大な工業国の地位を取り戻した。合衆国のビジネスは
ブームを迎え、ほとんどのガレージに車は2台あった。アジアでは、飢
餓がいつもの年よりも少なかった。
そう、1964年が、始めるのにふさわしい。
パート1=襲来
1
時間:1964年3月26日木曜、夕方。
場所:カリフォルニア州インディオ近くの砂漠にある2室の小屋、近
くと言っても、それほど近くない、ロサンジェルスから東に約150マ
イル、南に少しのところ。
カーテンが上がるとステージに:ルークデビュラックスひとり。
彼と始める理由は?彼とじゃいけない?どこから始めてもいいはず。
ルークは、サイエンスフィクションの作家で、これから起こることには、
だれよりもずっとよく準備ができていた。
ルークデビュラックスを見てみよう。37才、身長5フィート10イ
ンチ、体重は、この時点で、144パウンド。荒々しい赤毛の髪は、く
しを使わないと1か所にとどまらないが、めったにくしは使わない。髪
の下は、むしろ青ざめたブルーの目、しばしば、心も虚ろになにかを見
つめている。あんたも確信できないそのような目は、正しくあんたを見
ていても、ほんとうに見ているのか確信できない。目の下は、長い鼻、
ふつうに長い顔のうまく中央にある、その顔には、48時間以上は剃っ
てないヒゲ。
そのとき、着た服は、(太平洋標準時で午後8時14分)赤文字でY
WCAと書かれた白Tシャツに、色ざめしたリーバス、すり減ったロー
ファーだった。
TシャツのYWCAは、あんたをからかってるわけではない。ルーク
は、今も、かつても、その組織のメンバーだったことはない。Tシャツ
はマギーのもの、あるいはかつてはマギーのものだった。マギーは、彼
の妻、あるいは元妻。(ルークにもどっちだかよく分かってない。7か
月前に彼女は離婚したが、判決は5か月先にならないと出ない)彼女が
彼の家を出たとき、Tシャツを忘れて行った。ロサンジェルスでは、そ
のTシャツをめったに着たことがなく、今朝まで見つからなかった。そ
れは、彼にピッタリだった、彼女は大柄の娘だったので、車を磨くとき
のぼろ布と間違える前に、砂漠の家にひとりでいるときや、昼間の普段
着に、それを着ていようと決めた。それは確かに、昔、仲が良かった証
拠として、送り返す価値のあるものではなかった。マギーは彼と離婚す
るずっと前にYWCAとも離婚していて、それ以来、一度も来てなかっ
た。もしかしたら、彼女は、ジョークとしてわざとTシャツを残して行
ったのかもしれない、しかし、彼女が去った日のムードを思い出すと、
それは疑わしかった。
それでも、今日は、一度だけ、彼女がジョークとして置いて行ったの
かを考えた。しかし、そのジョークは、バックファイアを起こした。な
ぜなら、彼はひとりのときにそれを見つけ、実際に着た。彼がそれを見
つけるように、わざと彼女が残して行った。それを見て、彼女のことを
考え、すまない気持になり、彼女はなんてバカなことをしたんだろうと
考える。シャツがあろうがなかろうが、たまには彼女のことを考えたが、
すまない気持ちには、これっぽっちもならなかった。彼は、また、恋に
落ちた。マギーとはほとんどすべての点で正反対の娘と。彼女の名前は、
ロザリンドホールで、パラマウントスタジオで速記タイピストをしてい
た。
彼女に惚れていた。彼女に首ったけ。彼女に夢中。
この瞬間、舗装道路からなんマイルも離れた小屋にひとりでいること
の貢献度は、大きかった。小屋は、友人のカーターベンソンのもので、
同じ作家であり、彼もたまに、比較的涼しい数か月間をここで過ごす。
今と同じように、その目的は、生活を追求して、ストーリーを追求して、
孤独を追求することだった。
◇
それは、小屋でのルークの生活の3日目のことだった。まだ、追求し
ていた。しかし、まだ、孤独以外は獲得できてなかった。小屋には、な
いものはなかった。電話なし、郵便配達なし、遠くの方でさえ、ほかに
人間を見ることはなかった。
しかし、まさに今日の午後、なにかがアイデアを這い上がり始めたの
を感じた。なにかは、あまりにあいまいで、透明すぎて、紙に書けなか
った。印としてさえ。まだ、感知できないなにか、たぶん、考えの方向
性としてだけ、しかし、まだ、なにかに留まる。これはスタートであっ
て、そう望むが、大きな進展が、ロサンジェルスにいる彼を訪れようと
していた。
そこには、作家キャリアにおける、最大のスランプがあった。なんか
月も1語も書けないという現実が、文字通り、彼に安らかなときを与え
てくれなかった。担当の出版社は、状況をさらに悪化させるかのように、
つぎの本のリストのタイトルを尋ねるエアメールを、なん度もニューヨ
ークから送って、彼の首に息を吹き掛けた。いつ本が書き終わるか?予
定はいつなのか?前渡金として5500ドル支払ってあるので、質問す
る権利はあった。
そして、ついに、深刻な絶望。作り上げなければならないのに、それ
ができない作家よりは、それほど深刻でない絶望。それが、彼を突き動
かして、カーターベンソンの小屋の鍵を借りさせ、必要なだけ長くいら
れるようにしてもらった。ベンソンは、幸運なことに、ハリウッドスタ
ジオと6か月間の契約を結んでいて、少なくとも、その期間は借りられ
た。
それで、ルークデビュラックスは、ここで、プロットを考え、本を書
き始めるまで、滞在できた。ここで本を仕上げる必要はなかった。一度、
なにかを書き始められれば、自分の家に戻っても、書き続けられること
が分かっていた。そこでは、ロザリンドホールとの夜も、もはや否定す
ることもない。
3日のあいだ、今も、朝9時から午後5時まで、床の上を歩き続け、
集中しようと努めていた。しらふで、なん度も、正気を失いそうだった。
夜になると、これ以上頭を使うことは、害あって益なしと分かっていた
ので、リラックスすることを許し、本を読んだり、なん杯か飲んで過ご
した。特に、5杯と決めていた。これは、リラックスさせてくれて、つ
ぎの朝に二日酔いを残さない量だった。この5杯を、夜11時まで慎重
に守った。11時が、小屋での彼の就寝時間だった。大きくそれると良
くないというだけで、規則でもなかった。
8時14分に、3杯目を注いだ。9時まで持たせてくれる。ちょうど、
2杯目を飲み終わったところ。本を読んでいたが、内容があまりよく分
からなった。それは、読もうとして集中を高めても、読む代わりに、書
くことに考えが行ってしまうからだった。心は、いつも、そんなふうだ
った。それはたぶん、もう長いこと考えているストーリーのアイデアに、
近づこうとしないからだった。彼は、退屈しながら、疑問に思った。も
しも、火星人がやって来たら、いったいどうなる?
◇
ドアにノックの音がした。一瞬、虚ろにビックリしてそちらを見た。
それからドリンクを下に置いて、イスから立ち上がった。その夜はとて
も静かで、なにも聞こえなかったのに車が近づいて来ることはあり得な
かった。確かに、だれも歩いて来てはいなかった。
ノックは繰り返されて、大きな音になった。
ルークは、ドアに行くと開けて、明るい月の光の中を見た。最初、だ
れも見えなかった。それから、下を見た。
「うう、ノー!」と、彼。
それは、身長およそ2・5フィートのグリーンの小男だった。
「ハイ、マック!」と、彼。「ここは地球?」
「うう、ノー!」と、ルークデビュラックス。「あり得ない!」
「なぜ、あり得ない?あり得るよ、見て!」上を指差した。「月は1つ。
だいたい正しいサイズだし、距離も合っている。地球は、太陽系で唯一、
月が1つしかない惑星、オレたちの惑星では、2つある」
「オー、ゴッド!」と、ルーク。「太陽系で、月が2つの惑星は、1つ
しかない!」
「見て、マック!正直に言って、正しく飛んで来た?ここは地球、それ
とも違う?」
ルークは黙って、うなづいた。
「オーケー!」と、小男。「オレたちは、到着した。なにか、まずいこ
とでも?」
「ジージージ」と、ルーク。
「あんた、少しおかしいのか?それが、見知らぬ旅人を歓迎するやり方?
どうぞ中へと言ってくれない?」
「ど、どうぞ中へ」と、ルーク。後ろに下がった。
中に入ると、マーティアンは、周りを見回して、顔をしかめた。「な
んてみすぼらしい家!」と、彼。「あんたら人間は、みんな、こんなと
こに住んでるのか?それとも、ホワイトくずだけ?アースリアン、家具
がなにか臭う!」
「オレのものじゃない」と、ルーク。言い訳するように。「友人の別荘」
「つまり、友人もみすぼらしい方がいいというわけ?ここには、ひとり
で?」
「それは」と、ルーク。「今、迷ってるとこだ。まだ、あんたが信用で
きない。あんたが幻覚でないと、どうやったら分かる?」
マーティアンは、イスの上で軽く跳びはねてから、足をブラブラさせ
て座った。「知らない。そう考えるなら、あんたの頭の中は石ころだら
け」
ルークは、口を開けて、また、閉じた。突然、ドリンクを思い出して、
後ろ手でつかもうとした。グラスをつかむ代わりに押して倒した。中は
空で、テーブルを転がって、床の上に落ちても、割れなかった。彼は呪
いの言葉を口にした。ドリンクは、強くはなかったことを思い出した。
この状況では、飲めるドリンクが必要だった。ウィスキーのあるキッチ
ンへ行って、タンブラーに半分、ストレートで注いだ。
ひと口飲むと、ほとんど、むせそうだった。これは行けそうだと確信
できたので、戻って座り、グラスを手に、客を見つめた。
「恋人はいる?」と、マーティアン。
ルークは答えなかった。彼にはふたり、かわいこちゃんがいて、時間
を取られていた。客は、彼は見ながら考えた、人間っぽかったが、明ら
かに、人間ではなかった。友人のひとりが、ジョークでサーカスのミジ
ェットを雇ったのではというかすかな疑いは消えた。
マーティアンであろうとなかろうと、客は人間ではなかった。ドワー
フでもなかった。なぜなら、彼は、細長い手足に比較して、胴はとても
短かったからだ。ドワーフは、長い胴と短い足を持つ。彼の頭は比較的
大きく、人間の頭よりほとんど円に近かった。頭は完全に禿げていた。
ヒゲはなく、ルークには、この生物にはいっさい体毛がないのではとい
う強い予感がした。
顔は、そう、顔にあるべきものは、すべてそろっていた。しかし、そ
の比は、規格外だった。口は、サイズの比で言うと、人間の口の2倍、
鼻もそうだった。目は、明るいが小さかった。いっしょに完全に閉じた。
耳もとても小さかった。耳たぶはなし。月の光の下では、肌はオリーブ
グリーン。ここの人工灯の下では、エメラルドグリーン。
手には、それぞれ6本の指。つまり、足指も12と予想できるが、靴
をはいているので確かめられなかった。
靴は、ダークグリーン、残りの服もそうだった。ピッタリ合ったズボ
ン、たっぷりめのシャツ、どちらも同じ素材でできていた。シャモアか
とてもソフトなスエードに見えた。帽子はなし。
「あんたを信じ始めている」と、ルーク。驚いたように。ドリンクをも
うひと口飲んだ。
マーティアンは、鼻を鳴らした。「人間ってみんな、あんたのように
アホ?無礼で、客に飲み物も出さないで、自分だけ飲んでる?」
「ソリー」ルークは立ち上がって、ボトルとグラスの用意を始めた。
「オレが飲みたいわけじゃない」と、マーティアン。「オレは飲まない。
習慣にうんざりしてるだけ。しかし、あんたは飲んでていい」
ルークは、また、座り、ため息をついた。
「オレは、そう」と、彼。「ソリー、また。さて、最初から始めよう!
オレの名前は、ルークデビュラックス」
「アホな名前」
「あんたの名前も、オレにはアホに聞こえるかも。教えて?」
「いいとも、続けて」
ルークは、また、ため息をついた。「名前は?」
「マーティアンは、名前を使わない。バカらしい習慣だ」
「しかしそれは、だれかを呼ぶときに便利。そのように、たとえば、さ
っき、オレをマックと呼んでなかった?」
「ああ、オレたちは、すべてのものをマックと呼ぶ。これなら、どの言
語を話していようと、共通だ。話す相手によって、すべての新しい名前
を覚えるって、たいへんでは?」
ルークは、ドリンクを多めに飲んだ。「フムムムム」と、彼。「あん
たは、ここで、なにかと出会うかもしれない。しかし、重要なことがほ
かであれば、ここをスキップしてしまう。どのようにして、あんたがそ
こにほんとうにいたことが確かめられる?」
「マック、さっきも言ったけど、あんたの頭の中は石ころだらけ」
「そこが」と、オレ。「問題なんだ。オレは見た?あんたがほんとうに
そこにいるなら、あんたは人間じゃないと結論する。そう結論したら、
あんたは自国の言葉をどう使おうと自由だ。しかし、あんたがそこには
いないなら、オレは酔っぱらってるか、幻覚を見ているかのどちらかだ。
酔ってないことを知ってる場合を除いて。あんたを見る前、弱いやつを
2杯やっただけで、酔いはまったく感じてなかった」
「そのとき、なぜ、あんたは飲んでいた?」
「議論とはまったく関係ない質問だ。2つの可能性がある。あんたがほ
んとうはそこにいるか、あるいは、オレがどうかしているか」
マーティアンは、失礼な音を立てた。「その2つの可能性が、互いに
排他的だという理由は?オレは、確かに、ここにいる。しかし、あんた
が正気でないかどうかは知らないし、どうでもいい」
ルークは、ため息をついた。マーティアンといっしょだと、この先、
多くのため息をつきそうだった。あるいは、多くのドリンクを。グラス
は空だった。キッチンで注いで来た。ストレートウィスキーに、今度は、
氷を2個入れた。
また座る前に、考えた。ドリンクを置くと、「ちょっと失礼」と言っ
て、外へ出た。もしもマーティアンが実在し、今いるのがほんとうのマ
ーティアンなら、どこか近くに、宇宙船があるはずだ。あるいは、あっ
たとしても、何かの証明になるか、疑問に思った。オレがマーティアン
の幻覚を見ていたら、同じように、宇宙船の幻覚を見ないとなぜ言える?
しかし、宇宙船はなかった、幻覚も本物も。月の光は明るく、土地は
平らだった。遠くまで見渡せた。小屋の周りや裏に停めた車の周りを歩
いて、すべての方向を見たが、宇宙船はなかった。
小屋の中に戻り、ゆっくりしてから、ドリンクをかなり一気飲みして
から、マーティアンを非難するように指差して、言った。「宇宙船はな
かった」
「もちろん、ない」
「それじゃ、どうやって来た?」
「あんたとはなんの関係もないこと、しかし、あとで言うつもりだった。
クイムして来た」
「どういう意味?」
「こんな、かんじ」と、マーティアン。イスから消えた。「こんな」が
イスから消えて、「かんじ」で、ルークの背後にいた。
周りを手でかき混ぜた。マーティアンは、ガスレンジの端に座ってい
た。
「マイゴッド!」と、ルーク。「テレポーテイション!」
マーティアンは消えた。ルークは後ろを振り返った。彼はイスに戻っ
ていた。
「テレポーテイションじゃない」と、マーティアン。「クイミング。テ
レポートには器具が必要。クイミングは、心。あんたができない理由は、
あたまがよくないから」
ルークは、ドリンクのお代わりをした。「火星から、ずっとそれで来
たと?」
「そう、あんたの家のドアをノックするまで、ちょうど1秒掛かった」
「前にクイムしたことは?たとえば」ルークは、また、指差した。「あ
んたはやった方に賭ける。あんたたちの多くが、そして、エルビスに関
する迷信も、あんたたちのせい」
「頭がヘン」と、マーティアン。「あんたの頭の中は石ころだらけ。そ
れはあんたの迷信。前には、一度もやったことはない。オレたちのだれ
も。長距離のクイミングの技術は、見つかったばかり。以前は、狭い範
囲だけ。惑星間でクイムするには、サビーホッキマの訓練が必要」
ルークは、また、指差した。「あんたはどこで英語を?」
マーティアンの唇が曲がった。曲がるには適した唇だった。「オレた
ちは、みんな、あんたの単純で原始的な言語を話せる。みんな、ラジオ
の放送で話せるようになった。ほかのどこの言語でも、1時間そこらあ
れば話せるようになる。やさしいことさ。あんたたちは、なん千年掛け
ても、マーティアンの言語はマスターできないだろう」
「そうかも」と、ルーク。「あんたがラジオ番組から、オレたちのこと
を学んだことは、間違いなさそうだ。やつらのほとんどが、悪臭を放つ
ことは認めよう」
「それなら、なぜ、やつらを電波に乗せる?」
ルークは、力一杯こぶしを握ってから、グラスにもう一杯注いだ。つ
いには、そいつはほんとうにマーティアンで、彼の想像や幻覚の産物で
はないことを信じ始めた。その上、突然、思いついた。そう仮定しても、
なにか失うものは?もしもオレが正気でないなら、そいつもそうだ。し
かし、もしもマーティアンが本物だったら、サイエンスフィクション作
家としての絶好の機会を失ってることになる。
「火星はどう?」と、彼。
「あんたにはなんの関係もないことだ、マック」
ルークは、また、ドリンクのお代わりをした。彼は、10杯目までは
数えた。そのあとは、なるべく静かに冷静にしていようとした。
「聞いて!」と、彼。「最初、驚いたので失礼なことをした。悪かった、
謝る。友人になれる?」
「なぜ?あんたは、劣った種族のメンバーだ」
「なぜなら、ほかに理由はないが、会話をもっと楽しいものにできる、
お互いにとって」
「オレには、まったく楽しくないよ、マック。オレは、人をキライにな
るのが好き。ケンカが好き。もしもあんたが、オレに、ナムビーパムビ
ーやパリーウォリーをしてくれたら、いっしょにアゴをしてくれる別の
だれかを捜す」
「待って、するなってこと?」ルークは突然、マーティアンにここにい
て欲しいなら、間違った画鋲で留めていたことに気づいた。「こっから
地獄へ行こう!」と、彼。「そんなふうに感じているなら」
マーティアンは、ニヤリとした。「少し良くなった。さぁ、いっしょ
にどこかへ?」
「なぜ、地球に?」
「それも、あんたになんの関係もないが、ヒントをあげる楽しさはある。
あんたのみすぼらしい惑星で、動物園へ行く理由は?」
「どのくらいいるつもり?」
マーティアンは、頭を横に傾けた。「あんたはがんこだって確信した
よ、マック。オレは情報じゃない。オレがしてることは、あんたには関
係ない。ここへ来れなかったのは、幼稚園で教える仕事があったから」
ルークのグラスは空だった。また、お代わりをした。
彼は、マーティアンを見つめた。ケンカしたいなら、なぜだめ?「あ
んたは小さなグリーンのイボ」と、彼。「記念写真なんかどう?」
「なんだって?オレになにかしてくれる?あんたとだれが?」
「オレとカメラとストロボガン」と、ルーク。なぜもっと早く思いつか
なかったのか不思議に思いながら。「少なくとも1枚、あんたとの写真
を撮る。そこから友情が芽生えて」
グラスを置くと、ベッドルームに急いだ。幸運にも、カメラにはフィ
ルムが入っていた。ストロボも装着されていた。それらをスーツケース
に入れていた。もちろん、マーティアンを撮ろうと思ったのではなく、
ベンソンが、小屋の近くに夜、しばしば、コヨーテがうろうろしてるの
を見たので、写真に撮っておいて欲しいと言われたからだ。
急いで戻り、片手でカメラを構え、もう片方の手で、ストロボを高く
上げた。
「どんなポーズで?」と、マーティアン。両親指を耳にあて、10本の
残りの指をひらひらさせて、目を寄り目にして、長いグリーンっぽい黄
の舌を突き出した。
ルークは、シャッターを切った。
別のストロボを装着して、フィルムを巻いて、カメラをふたたび構え
た。しかし、マーティアンは、そこにはいなかった。「1枚でじゅうぶ
ん、マック」と、マーティアンの声。室の別の角から。「あんたの幸運
をこっちに押しつけないで!退屈するだけ」
ルークは、すばやく運んで、カメラを同じように構えたが、ストロボ
を高く上げるまでに、マーティアンはどこかへ行った。背後の声が、今
したようにあんたのケツをこっちに2度と向けるなと言った。
ルークはあきらめて、カメラを置いた。とにかく、1枚はフィルムに
収めた。これを公表すれば、マーティアンなのかそうでないのか分かる。
カラーでなかったことが悔やまれるが、すべてをうまく進めることはで
きない。
また、グラスを持ち上げた。すぐまた座ったのは、突然床が不安定に
なったからだ。安定させるために、もう一杯お代わりした。
「言っしゃい!」と、彼。「つまり、言って!あんたはオレたちのラジ
オ番組を聞いていた。なぜ、テレビを見なかった?気づかなかった?」
「テレビって、なに、マック?」
ルークは説明した。
「そのような電波は、そんなに遠くまでは届かない」と、マーティアン。
「サンクス、アースリアン。あんたのことが聞けて、とても悪かった。
ひとりと知り合えたから、どんなにあんたらが━━━」
「変か分った」と、ルーク。「テレビも発明しなかった」
「もちろん、してない。必要がない。見たいものがどこかにあれば、ク
イムですぐ行ける。聞いて!オレがたまたま、いやなやつに出会ったの
か、あるいは、みんな、あんたみたいに、ぞっとするほどいやなやつな
のか?」
ルークは、ドリンクをひと口すすっただけで、ほとんど、むせそうに
なった。「言っしゃい、つまり、言うのもはばかれるが、あんたは自分
が見られる価値があると?」
「ほかのマーティアンよりは、まし!」
「オレはあんたが、かわい子ちゃんたちと、ワイルドにドライブする方
に賭ける」と、ルーク。「つまり、あんたがオレたちのように性が2つ
あって、マーティアンガールがいれば」
「オレたちも、性は2つあるが、サンクス、アースリアン、少し違う。
あんたらは、ラジオに登場する人物のように、うんざりするやり方で物
事を実行している?あんたらは、ほんとうに、愛と呼ぶなにかで、女の
ひとりと関わる?」
「あんたには、これっぽちも関係のないこと」と、ルーク。
「それがあんたの考えていること」と、マーティアン。
そして、彼は消えた。
ルークは、立ち上がった、ぐらぐらしながら。やつが室の別の場所に
クイムしてないか、周りを見回した。やつはいなかった。
ルークは、また、座った。はっきりさせるために、頭を振った。酔わ
せるために、もう一杯作った。
サンクス、ゴッドあるいはアースリアンと、彼は考えた、写真を1枚
撮った。明日の朝、ロサンジェルスに車で戻ったら、これを公表しよう。
写真にはただのイスだけが写っていたら、精神科医を、訪ねるしかない
が、急ごう。もしも、マーティアンが写っていたら━━━そう、もしそ
うなら、なにをすべきか決めておくべきだ。
一方、かなり酔っていることは、唯一の注意すべき点だ。今夜、車の
運転は危険過ぎる。すぐに寝れば、明朝、その分、早く起きれる。
目をつぶって、つぎに目を開けたとき、マーティアンがイスに戻って
いた。
彼にニヤつきながら、言った。「ベッドルームの散らかったところに
いた、あんた宛ての手紙を読みながら。うう、なんというくず」
手紙?小屋には手紙は持て来てないと、ルークは考えた。そして、思
い出した、持って来ていた。ロザリンドからの3通の手紙の小さな包み
あった。3か月前、彼がニューヨークにいたときに彼女が書いたものだ
った。そこには、彼女が彼の本の出版社の担当に会いに行って、彼がす
でに書き始めている本の前払金を上げるよう言った。彼は1週間滞在し、
そこで働いていた頃の知り合いと再会を果たした。彼は、ロザリンドに
毎日手紙を書き、彼女は3通だけ返事をくれた。その3通が、今まで彼
女からもらった唯一のもので、大切にスーツケースにしまって、あとで、
寂しくなったら読もうと思っていた。
「アースリアン、なんというどろどろ」と、マーティアン。「なんてだ
めな方法で、手紙を書く!1分くれれば、アルファベットを治療して、
発音とワードに関連を持たせてあげる。同じ発音で3つの違うスペルの
ある言語なんて、想像できる?トゥルー、トゥー、トゥルーのように」
「神もおこる!」と、ルーク。「オレの手紙を読むのは、あんたのビジ
ネスでない!」
「チッ、チッ」と、マーティアン。「みんなオレのビジネス。オレがビ
ジネスしてる限り、あんたが自分の愛の生活、甘いパイ、ダーリンやハ
ニーのことを話してくれない限り」
「ほんとうに読んだんだな、この小さなグリーンのイボ、彼女のために
オレは━━━」
「なにをする?」と、マーティアン。バカにしたように。
「あんたを火星まで吹っ飛ばしてやる!それだけ!」と、ルーク。
マーティアンは、しゃがれ声で笑った。「息は取っとけ、マック、あ
んたのロザリンドのために。彼女が手紙の中で食ってる野菜くずのこと
をあんたが考えている方に賭ける。あんたが彼女のことを考えるように、
彼女をドーピングのように考えている方に賭ける」
「彼女はドーピングのようだ。つまり、神はしかる」
「心配するな、マック!彼女はドレスに包まれている。オレは、今、ク
イムでそこへ行って、あんたのために見て来る。待ってて!」
「すぐにここへ?」
ルークは、また、ひとりになった。
グラスは空になり、キッチンへの道をたどって、また、グラスを満た
した。ここなん年もなかったくらい酔っぱらって、自分をノックアウト
するのが早ければ早いほど良かった。できれば、マーティアンが戻るか
クイムバックする前に、自分がほんとうに戻るかクイムバックしたかっ
た。
なぜなら、彼はこれ以上受け付けられなかった。幻覚か現実か、いず
れにせよ、マーティアンを窓の外へ放り投げざるを得なかった。そして、
たぶん、惑星間戦争が始まる。
イスに戻って、飲み始めた。これは、すべきことだった。
「ヘイ、マック、しゃべれるだけ酔ってないか?」
目を開けると、今まで目を閉じていたのか疑問に思った。マーティア
ンは戻った。
「出てけ!」と、彼。「消えろ!明日、オレは━━━」
「シャキっとしろ、マック!あんたのために、ハリウッドからニュース
を持ってきた。あんたの女は、家にいて、オーケー、あんたのことを思
って寂しそうにしていた」
「そう?オレのことを愛しているって、言ったんだろ?この小さなグリ
ーンの━━━」
「そう、寂しかったので、慰めるためにだれかを呼んでいた。背の高い
ブロンドの男。ハリーと呼んでいた」
1秒間、部分的に、しらふになった。ロザリンドには、ハリーという
友人がいた。プラトニックな関係で、パラマウントの同じ部署で働いて
いる友人だった。彼は認めて、マーティアンに秘密をもらさぬよう言っ
たのだろう。
「ハリーサンダーマン?」と、彼。訊いた。「スラリとしていて、ハデ
な色の服装で、いつも大胆なスポーツコートを着ている?」
「違う。このハリーは、そのハリーと違うよ、マック。いつも大胆なス
ポーツコートを着ているなら、違う。このハリーは、腕時計以外、なん
にも身に着けてなかった」
ルークデビュラックスは、うなって、立ち上がって、マーティアンへ
突進した。両手でグリーンの首を絞めようとした。
両手はそこへ伸ばしたが、互いに空を切って合わさった。
グリーンの小男は、彼を見上げてニヤリとして、舌を突き出した。そ
れから、それを引っ込めて、言った。「あいつらがなにをしていたか、
知りたくないのか、マック?あんたのロザリンドとハリーが?」
ルークは答えなかった。ドリンクのところに、よろよろと戻り、残り
を飲み干した。
◇
飲み干したのが最後の記憶で、気づくと朝だった。ベッドの上で寝て
いた。とにかく、そこまで歩いてきたようだ。しかし、ベッドカバーの
上にいて、下でなかった。服も着たまま、靴もはいたままだった。
神も驚く頭痛がして、口の中が地獄の味がした。
座る姿勢になって、おそるおそる、周りを見回した。
グリーンの小男は、いなかった。
リビングのドアを開けて、そこも見た。戻って、ストーブを見て、コ
ーヒーはいれるだけの価値があるか考えた。もう町に戻っていなくては
ならない時間なので、コーヒーはいれないことにした。メインのハイウ
ェイに出たら、1マイル足らずだった。すぐに町に戻った方がよかった。
からだをきれにしたり、荷物をつめることもしなかった。あとで戻った
ら、いくらでもできる。あるいは、しばらくひとりだったので、だれか
に来てもらって、助けてもらうこともできる。
今すぐすべきことは、ここから出ること、それ以外はすべてあとでで
きる。シャワー浴びたり、ヒゲをそったりも、家に着いてからにした。
予備のヒゲそりも家に帰ればあったし、いい服も。
そのあと、なにを?
そう、心配なのは、そのあとだった。二日酔いを克服して、静かに、
考えることはできそうだった。
別の室へ行って、カメラを見つけた。少しためらってから、拾い上げ
た。一番いいのは、深く考える前に、写真を公開することだ。手がすべ
ったとは言え、幻覚でない実際のマーティアンが、イスに座っている可
能性は、千に1つはまだある。たぶん、マーティアンは、クイムする以
外に、未知のパワーがある。
そう、写真にマーティアンが写っていれば、考えることはすべて変わ
る。同様に、決める前にいくつかの可能性を排除することができる。
もしも写ってなかったら、自分をどうするかは、微妙な問題になる。
マギーに電話して、結婚しているときに、なん度が行かせようとした精
神科医の名前を訊くだろう。彼女は、結婚する前、いくつかのメンタル
クリニックで看護婦をしていて、彼の家から出て行ったときは、別のと
ころで働いていた。彼女は、大学では心理学を専攻していて、あと数年
大学に通えば、彼女自身が精神科医になる試験を受けられると言ってい
た。
小屋の外へ出て、鍵を掛けて、ぐるりと回って、車の方へ歩いて行っ
た。
グリーンの小男は、車のラジエターの上に座っていた。
「ハイ、マック!」と、彼。「顔色が悪いが、あんたは正しいことをし
てると思う。酒を飲むことは、悪い習慣」
ルークは、回って、小屋に戻り、中へ入った。ボトルを出して、1杯
注ぎ、飲んだ。その前に葛藤することはしなかった。まだ幻覚を見るな
ら、1杯が必要だった。ノドが焼けるのが済んだら、身体的には良くな
った。多くなく、少しだけ良くなった。
また、小屋に鍵を掛けると、車に戻った。マーティアンは、まだ、そ
こにいた。ルークは車に乗り込んで、エンジンを掛けた。
それから、窓に寄り掛かり、頭を窓の外に出して、言った。「ヘイ!
そこに座っていたら、道路が見えない!」
マーティアンは、後ろを見て、あざ笑った。「道路が見えるかどうか
なんて知らない。事故っても、オレは傷つかない」
ルークは、ため息をついて、車をスタートさせた。ハイウェイまでは
狭い道を通り、ハイウェイでは窓から頭を出して運転した。幻覚であろ
うとなかろうと、グリーンの小男を透かして見ることはできなかった。
コーヒー付きの食事をするかどうか迷ったが、そうすることにした。
たぶん、マーティアンはいっしょに来るだろう。もしも来ないで、店に
入ったら、彼をだれも見ることができなくて、それほど気にすることで
はなくなる?彼と話さないようにしなければならないことを除いて。
車を停めると、マーティアンは跳び降りて、食事までついて来た。た
またま、ほかに客はいなかった。汚い白のエプロンをして、顔色の悪い
店員がカウンターにいるだけだった。
ルークは、スツールに座った。マーティアンは、隣りのスツールに跳
び乗って、カウンターに肘をついた。
カウンターの店員は、振り向いて、見た、ルークでなく。彼は、うな
り声を上げた。「おお、神よ、別のやつがいた!」
「ふん?」と、ルーク。「別のなんだって?」店員は、カウンターの端
をあまりに強く握っていたので、指が傷ついていた。
「別の、とんでもないマーティアン」と、店員。「見えない?」
ルークは深く息をして、ゆっくりと言った。「つまり、ほかに仲間が
いるのか?」
店員は、かなり驚いて、ルークを見つめた。「ミスター、昨夜はどこ
に?砂漠にひとり?ラジオもテレビもなしに?ジーザス、やつらは10
0万はいる!」
2
店員は、間違っていた。後に推計されたところでは、およそ10億だ
った。
ここで、ルークデビュラックスは、しばらく置いて━━━あとでまた
戻る━━━インディオ近くのベンソンの小屋で、ルークが訪問者を迎え
てるあいだに、ほかではなにが起こっていたか、見ておこう。
推計で、10億のマーティアン。だいたい、地球上の男、女、子ども
全部合わせて、3人にひとりの割合だ。
合衆国だけで、6千万いた。そして世界じゅうのすべての国に、その
人口に応じた数がいた。それらすべてが、決定がなされた瞬間、すべて
の場所で、ぴったり同時に現われた。太平洋時間帯では、午後8時14
分。ほかの時間帯では、それぞれの時間に。ニューヨークでは、3時間
後の午後11時14分。劇場が引ける時間、ナイトクラブなら、騒がし
くなり出す時間。(マーティアンが来てからは、もっと騒がしくなった)
ロンドンでは、朝の4時14分。しかし、みんなすぐに起き出した。マ
ーティアンが大騒ぎしてみんなを起こしてしまった。モスクワでは、午
前7時14分。これから仕事へ行く準備をしている時間。多くが実際に
仕事に行ったという事実は、その勇気を物語っている。あるいは、ただ、
マーティアンよりもクレムリンをもっと怖れていたのかもしれない。東
京では、午後1時14分。ホノルルでは、午後6時14分。
多くの者が、その夜に死んだ。あるいは、現われた場所によって、朝
か昼。
合衆国だけで見れば、その原因は、3万人は速く走らされたことによ
る。ほとんどが、マーティアンの到着から数分で。
なん人かは、ひどく驚いたことによる心臓発作で死んだ。ほかは、脳
卒中で。多くが銃撃されて死んだ。それは、多くの人々が銃を手に外へ
出て、マーティアンを撃とうとしたからだった。弾丸は確かに、マーテ
ィアンを通過したが、傷つけることはできず、すべて近くにいた人間の
からだに食い込んだ。また、多くは、自動車事故で死んだ。なん人かの
マーティアンは、走ってる車にクイムした。たいていは、ドライバーの
横の助手席に。「もっと速く、マック!もっと速く!」だれもいないは
ずの助手席の声は、振り返って見なくても、安全に運転するのにはあま
り助けにならなかった。
みんなから攻撃されても、マーティアンたちの連携はゼロだった。時
々は現わたときに、しかしたいていはあとで、ルークデビュラックスの
場合のように、攻撃された。銃で、ナイフで、斧で、イスで、フォーク
で、皿で、包丁で、サクソフォンで、本で、テーブルで、レンチで、ハ
ンマーで、大鎌で、ランプで、芝刈り機で、手近にあるものならなんで
も。マーティアンは、あざけり、注意を冷やかした。
ほかの人々は、もちろん、彼らを歓迎し、友人になろうとした。こう
した人々に対して、マーティアンはもっと無礼にふるまった。
しかし、どこにやって来て、どれほどの被害を受けたとしても、彼ら
が、トラブルと混乱を引き起こしたと述べることは、その世紀始まって
以来の過小評価だと言える。
3
たとえば、事例として、シカゴのKVAKテレビ局で起こった、悲し
い出来事を見てみよう。そこで起こったことは、その時間、生放送を流
していたほかのテレビ局で起こったことと、基本的に、違いはない。す
べてを追うことはできないが。
それは、劇的な展開が1つにまとまる威信のある番組だった。世界的
に知られたシェイクスピアの俳優であるリチャードブレタインは、『ロ
ミオとジュリエット』を短くまとめたテレビ版を演じていた。相手役は、
ヘレンファーガソンだった。
番組は10時に始まり、1時間14分後、バルコニーシーンの場面2
に来ていた。ジュリエットがバルコニーに現われ、ロミオは下で、朗々
と、もっとも有名なロマンティックなせりふを語る場面。
しかし、なんとやさしく、あの窓の光が破壊するものは?
それは東、ジュリエットは太陽、
それは昇り、正義の太陽は、しっと深い月を殺し、
だれが深い悲しみに病み青ざめ、
それは彼女の乳母が━━━
ヘレンファーガソンが寄り掛かっていたバルコニーのレールの上、彼
女の左2フィートのところに、突然、グリーンの小男が現われた。
リチャードブレタインは、ハッとしてよろめいたが、気を取り直して
続けた。結局、彼が見ているものを、別のだれかが見ているという確信
が持てなかった。とにかく、番組は続けなくてはならなかった。
彼は、勇敢に続けた。
彼女よりもっと正義であるかのように
しっと深いので乳母ではない
だが、彼女の服は病みグリーンの━━━
グリーンの言葉が喉に引っ掛かった。ひと呼吸置くと、スタジオじゅ
うから来るささやきが聞こえた。
そのあいだに、グリーンの小男が、大きくはっきりとした冷笑する声
で言った。「マック、男がいっぱいいることは、知ってるんだろ?」
ジュリエットは背筋を伸ばして、横を向くと、レールの上にいるもの
を見た。悲鳴を上げて、気を失って倒れた。
グリーンの小男は、静かに、彼女を見た。「どうした、気分が悪いの
か、トゥーツ?」知りたがった。
劇の演出家は、勇敢な男で、行動派だった。20年前は海軍の中尉で、
タラワとクワジェリン環礁への強襲には、部下を率いて突撃した。作戦
内での勇敢さでさえ、実際には、自殺行為になる時代において、作戦を
越えた勇敢さに対して、2つの勲章を与えられた。彼は、60パウンド
体重が増え、腹も出っ張ったが、今でも勇敢な男だった。
カメラの横からセットに入り、侵入者をつかんで放り投げようとした。
つかもうとしたが、なにも起きなかった。グリーンの小男は、「ブー
ッ!」とブルックリンスタイルのラズベリーをした。レールの上からジ
ャンプした。一方、演出家の両手は空をつかんで、手首同士が合わさり、
なにもつかめなかった。やつは体の向きを少し変えて、カメラの方に顔
を向けると、右手を上げて鼻に親指を付けて、指をひらひら動かした。
その瞬間は、コントロールルームの者が、ハッ!と我に返って、放送
を中断しようとした瞬間でもあった。スタジオにいなかった者は、なに
があったのかまったく知らず、あとで教えてもらった。
このことについては、テレビで番組を見ていた元の100万の1割く
らいの人が、劇をその時点まで見ていたが、1・2分もしないうちに、
今度は自分のリビングに現わたマーティアンの心配をしなければならな
くなった。
4
ハネムーンカップルの悲しいケースを見てみよう。その瞬間、問題と
なっている瞬間を含めて、多くのカップルがハネムーン中だった。法的
に考えなくても、ハネムーンと言えるカップルも含めて。
ランダムな事例から、ビルグルーダー夫妻を取り上げてみよう。年は
25と22だった。まさにその日、デンバーで結婚した。ビルグルーダ
ーは、海軍少尉で、サンフランシスコのトレジャーアイランドでインス
トラクターとして駐屯していた。花嫁ドロシーグルーダーは、旧姓アー
ムストロング、シカゴトリビューン紙の広報課で広告募集をしていた。
ふたりは出会い、恋に落ちた。ビルはそのときシカゴ近郊湖畔の海軍ト
レーニングセンターにいたが、その後、サンフランシスコに転属になっ
たのを機に、ふたりは結婚することにした。ビルが引っ越した週の最初
の日に、ふたりの途中にあるデンバーでそのために会った。その週は、
デンバーでハネムーンとして過ごし、その後、彼がサンフランシスコに
戻るときに、彼女もついて行く予定だった。
午後4時に結婚した。もしもふたりが、数時間後になにが起こるか知
っていたら、すぐにホテルへ行って、マーティアンが来る前に、ハネム
ーンの初夜を済ませようとしただろう。しかし、もちろん、知ってはな
かった。
そのときは、ある意味、ラッキーだった。マーティアンをすぐには見
なかった。初めて見る前に、心の準備をする時間があった。
その夜、マウンテン時間で9時14分、ふたりはデンバーホテルにチ
ェックインした。(ゆっくりディナーをとったあと、数杯のコックテイ
ルを飲んで時間を潰していた。ちゃんと夜まで待てるという意思の強さ
をみせるために。とにかく、そのために結婚したわけではなかった)ベ
ルボーイがふたりのスーツケースを室へ運んだ。
ビルが、かなり多めのチップを手渡したとき、騒がしい物音の最初の
ものが聞こえた。室の中で、だれかが短い悲鳴を上げた。悲鳴は、別の
室でもこだまして、遠く離れた室に広がり、ありゆる方向からやって来
た。太い声で、怒鳴り声がした。それから立て続けに銃声が6発、まる
で、6連発リボルバーを空になるまで撃ち続けたかのように。廊下を走
る足音がした。
別の走る足音は、通りの外でも聞こえ、キキキーッという急ブレーキ
の音。数発の銃声。大きな声が隣りから別の室へ、もごもご言う意味不
明の呪いのような声が続いた。
ビルは、ベルボーイに顔をしかめた。「ここは静かでいいホテルだと
思っていた。それは、昔のことだったらしい」
ベルボーイの顔は、驚きに満ちていた。「のはず、サー。なにが起こ
ったのか想像できない」
彼は、ドアのところに行き、開けて、左右の廊下を見た。だれも走っ
ていなかった。
彼は、肩越しに言った。「ソリー、サー。なにが起こったのか、しか
し、なにかが。受付デスクに戻らなくては。すぐにドアをボルトで閉じ
て!グッナイ、サンキュー!」
彼は、うしろ手でドアを閉めた。ビルは、すぐにドアをボルトで閉め
てから、ドロシーの方を見た。「たぶん、なんでもないさ、ハニー、忘
れて!」
彼女の方へ歩きかけて、立ち止まった。今度は、はっきりと、通りの
方から連続射撃音がした。さらに、走る足音。室は3階にあり、窓は数
インチ開いていたので、音は、はっきり聞こえた。
「ちょっと待って、ハニー」と、ビル。「なにかが起きている」
窓まで大股で歩いて行くと、残りも開けて、身を乗り出して下を見た。
ドロシーも彼に続いて、同じことをした。
最初に見たものは、駐車した車しかない、なにもない通りだった。そ
れから、通りの斜め向かいのアパートビルのドアから、男と子どもが走
って来た。それは、子ども?その距離でさえ、薄暗い街灯の中で、なに
か奇妙に見えた。男は立ち止まって、子どもを強く蹴った、それが、子
どもだとして。ふたりが見ているところからは、男の足は、子どもを通
過したように見えた。
男は、みごとな尻もちをついた。このような状況下でもおかしかった。
それから、立ち上がり、また走り出した。子どももついて行った。ひと
りがしゃべっていたが、言葉や内容が聞き取れなった。ただ、子どもの
声のようには聞こえなかった。
ふたりは、角を曲がって、見えなくなった。別の方角から、夜のはる
か遠く、もっと多くの銃声がした。
しかし、それ以上、なにも見えなかった。
ふたりは頭を引っ込めて、相手の顔を見た。
「ビル」と、ドロシー。「なにかが、もしかして、革命が起こったのか
も、あるいは」
「まさか、ここではそんなことは、しかし」ドレッサーの上に、硬貨投
入式ラジオがあるのが、目に入って、そこへ行って、ポケットからお釣
りの硬貨を出して、手の上に並べた。25セント硬貨を見つけて、硬貨
投入口へ入れて、ボタンを押した。娘も彼に加わって、その前でふたり
で立って、互いに腕を取り合って、ラジオを見つめ、真空管が温まるの
を待っていた。そこからハム音がし出すと、ビルは空いた手で、人の声
がするまでダイアルを回した。大声で興奮した声だった。
「マーティアン、間違いなくマーティアン」と、ラジオの声。「しかし、
みんな、どうかパニックにならないで!怖がらないで!攻撃しようとし
ないで!そんなことしても、なんの効果もない。そのうえ、彼らは害が
ない。彼らを傷つけられないように、彼らもあんたを傷つけられない。
繰り返す、彼らは害がない。
繰り返す、彼らを傷つけられない。手は、煙のように、そいつを通過
してしまう。弾丸、ナイフ、そのほかの武器は、同じ理由で、効果がな
い。今までのことから、あるいは分かる限り、彼らのだれも、とにかく、
どの人間も傷つけられない。だから、落ち着いて、パニックにならない
で!」
別の声が割って入って、言葉を、あれこれ訂正しようとした。しかし、
アナウンサーは、声のピッチを上げて、割って入る声を抑え込んだ。
「そう、ここのデスクの前、目の前にも1匹いる。やつはなにかしゃべ
っているが、オレはマイクを口に近づけて」
「ビル、これはギャグよ。フィクション番組。両親が20年前にもそう
いうことがあったと話してくれた。別の局にして!」
「たしかに、ハニー」と、ビル。「ギャグだね」ダイアルを1/4イン
チ回した。
「興奮しないで、みんな」と、別のラジオの声。「多くの人が、互いに
殺し合った、つまり、マーティアンを殺そうとして、自分たちを傷つけ
てしまった。だから、殺そうとしないで!冷静に!そう、やつらは、世
界中にいる、ここ、デンバーだけではない。スタッフの一部でほかの局
のモニタリングをさせているが、できる限り多くの局を調べて、やつら
の報告のない局は、今のところなし。地球の反対側の局でさえ。
しかし、やつらは、あんたを傷つけない、繰り返す、やつらは、あん
たを傷つけない。だから、興奮しないで、冷静に!待って、1匹がオレ
の肩の上に乗って、オレになにか言っている。しかし、オレはしゃべっ
ていて分からない。しかし、彼にマイクを向けてみようと思う。あんた
たちを安心させてくれるひとことを!やつらは、ここにいるのは、無礼
ではある。しかし、彼らは、なん百万人のリスナーの前にいることを知
っている。ねぇ、あんた、聴衆を安心させてくれない?」別の声がしゃ
べり始めた。アナウンサーより少し高いピッチで。「サンクス、マック!
自分のゆるんだネジを締め直せ!そしたら、愛すべきみんなに、これか
ら」
局は、死んだように黙った。
ビルは、腕をドロシーの周りから降ろした。ドロシーも、そうした。
互いに相手を見た。それから、彼女は、かすかな声で言った。「ダーリ
ン、別の局を試して!さっきのはきっと」
ビルグルーダーは、ダイアルに手を伸ばしたが、局を見つけられなか
った。
室のうしろから、声がした。「ハイ、マック、ハイ、トゥーツ!」
ふたりは、振り返った。なにを見たか、述べる必要はない。今では、
もう、あんたは分かっている。彼は、足を組んで、数分前にふたりが寄
りかかっていた、窓敷居に座っていた。
ふたりとも、なにもしゃべらなかった。1分、丸々経った。ビルの手
がドロシーの手をさぐって、にぎったほかは、なにも起きなかった。
マーティアンは、ふたりにニヤリとした。「ネコに舌を取られた?」
ビルは、咳払いした。「これって、本物?あんたはほんとうに、マー
ティアン?」
「アースリアン、あんたはアホ?いままでさんざん聞いたあとで、それ
を訊く?」
「なぜ、そんなグリーンの小男が」
ドロシーは、ビルの腕をつかんで、前に引いた。、
「ビル、落ち着いて!ラジオが言っていたことを思い出して!」
ビルグルーダーは、沈んだが、まだ、見ていた。「分かった」と、彼。
マーティアンに。「なにをして欲しい?」
「なにも、マック、なぜ、あんたがくれるものを欲しがらなきゃならな
い?」
「なら、出て行け!仲間は欲しくない」
「うう、新婚ホヤホヤ?」
「午後に結婚したばかりよ!」と、ドロシー。自慢するように。
「いいね!」と、マーティアン。「なら、欲しいものがある。あんたら
のうんざりする結婚の習慣を聞いたことがある。今、見てみたい!」
ビルグルーダーは、腕を握られていた花嫁の手をふりほどいて、室を
横切って大股で歩き、窓敷居にいるマーティアンのところに行った。思
いっきり押したので、危うく開いた窓から落ちそうになった。
「落ち着いて、落ち着いて!」と、マーティアン。「チッ!チッ!」
ビルは、ドロシーのところに戻り、彼女を守るように腕を回し、にら
みつけた。
「バカなことをした」と、彼。「やつは、そこにはいなかった」
「あんたの考えることは、その程度?」と、マーティアン。
「ラジオが言っていた通りだわ、ビル。しかし、思い出して、彼は、わ
たしたちを傷つけられない」
「やつは、そこに座ってるだけで、オレを傷つけてる」
「なにを待っているか分ってるんだろ?」と、マーティアン。「どっか
へ行って欲しいなら、進めてくれ。最初に、服を脱ぐ?なら、脱ぎな!」
ビルは、また、1歩前に出た。「このグリーンの小男め」
ドロシーは、彼を制した。「ビル、わたしに任せて!」彼女は、ビル
の周りを回りながら、マーティアンを訴えるように見た。「あなたは分
かってない」と、彼女。「わたしたちは、プライベートでしか愛し合わ
ない。あなたが去るまで、なにもできないし、なにもしない。どっかへ
行って!」
「アホとトゥーツ、オレはここにいる」
そして、彼はそこにいた。
3時間半のあいだ、ベッドの端から端に、サイドを変えて座りながら、
彼を無視して、出て行くのを待った。もちろん、やつはいることにがん
こになっていると分かっていたので、出て行くように互いに口に出しは
しなかった。
ときどき、ふたりでしゃべったり、しゃべろうとしたりしたが、それ
は、知的な会話だった。
ときどき、ビルはラジオのところへ行って、局を捜したり、意味なく
いじりまわしたりした。だれかが、マーティアンを扱う有効な手段を見
つけたりしてないか希望を持って。あるいは、冷静にやパニックになら
ないでと言うよりも、もっと建設的なアドバイスがないか。
しかし、ラジオ局は、どれも同じだった。みんな、まとまりのないビ
ックリハウスのようだった。完全に放送をやめた局を除いて。そして、
だれも、マーティアンの扱いについて、なにも発見してなかった。時々、
政府公報が放送された。合衆国大統領公式発表、原子力エネルギー委員
会報告といった、重要な公式のもの。それらは、すべて、冷静に、興奮
しないで、マーティアンは無害、できれば友人になるべきと言っていた。
しかし、どの局でも、地球人のだれかひとりでも、マーティアンと友人
になれたことは報告されなかった。
ついには、ビルは最後に見つけたラジオ局も同じだったので、あきら
めて、ベッドに戻って座った。マーティアンを無視して、にらみつける
のも忘れて。
マーティアンは、見たところ、グルーダー夫婦には注意を払ってない
ように見えた。ポケットから横笛のような楽器を出すと、音合わせのよ
うにして吹いた、音合わせがあるとしたら。音程は、耐え難い悲鳴で、
地球の曲のようなまとまりがなく、暴漢を乗せたワゴンのようだった。
たまに、横笛を置いて、夫婦を見上げ、なにもしゃべらない、それが、
彼のしぐさでもっともイライラするものだった。
朝の1時に、ビルグルーダーは、忍耐の限界に達して、言った。「ど
うしようもない!やつは、暗闇ではものが見えない。電気を消す前に、
シェードを降ろせば」
ドロシーの声が、心配して響いた。「ダーリン、暗闇でものが見えな
いって、なぜ分かるの?ネコやフクロウだって見えるのに」
ビルは、一瞬、ためらった。「そう、ハニー、やつは暗闇で見えても、
ブランケットを通しては見えない。ベッドカバーの下で服は脱げる」
窓のところへ行くと、パタンと閉めた。それから、シェードを降ろし
た。どちらの作業も、マーティアンに見せつけるように、怒りの力を込
めた。ほかのシェードも降ろし、電気を消し、ベッドまで手さぐりで戻
った。
黙ってる必要があったので、感情的にもなれず、ささやくこともでき
なかったが、結婚式の夜ではあった。
ふたりは、あまり幸せでなく、つぎの日は、もっと幸せでなかったが
分かったことがあった。それは、だれでも、1日か2日のあいだに気づ
くことだったが、マーティアンは暗闇で見えるだけでなく、ブランケッ
トを通しても見えた。あるいは、壁を通しても。ある種のX線映像のよ
うなもので、クイムに似た特殊能力だった。それで、固体の中でも見え
た。鮮明な映像なので、閉まった引き出しや金庫にある折りたたまれた
書類でさえも、はっきりとした映像で読むことができた。開かないで、
手紙でも本でも読めた。
そのことが分かると、人々は、マーティアンがいる限り、プライバシ
ーはなくなることに気づいた。その室にいっしょにマーティアンがいな
くても、隣りの室かビルの外で、壁を通して見ているかもしれなかった。
しかし、これは、最初の夜に気づいたか予想した者は、ほとんどいな
かったため、先取りし過ぎだろう。(ルークデビュラックスは、マーテ
ィアンが閉めたスーツケースの中にあったロザリンドの手紙を読んだこ
とで、それを推測はした。しかし、そのときは、マーティアンがスーツ
ケースを開けてなかったことを知らなかった。単純に、スーツケースを
開けて、手紙を手にして、読んだと思っていた。ルークは、2つの事実
を結び付けて、有効な結論を得るところまでは達してなかった)その最
初の夜に、多くの人々が気づく前に、マーティアンはいろいろなものを
目にしたに違いない。特に、なん千ものマーティアンは、たまたま、す
でに暗い室へクイムして、しばらくはポカンと口を開けたままになるよ
うなことが行なわれているのを目にしたことだろう。
5
アメリカの2番目に人気のある室内競技は、その夜、大打撃をこうむ
った。そのときも、その後も、続けることができなくなった。
カリフォルニアのラグナの北、数マイルのビーチにあるジョージケラ
ーの家では、毎週木曜の夜、ポーカーの集いが開かれた。それを楽しむ
仲間たちに、いったい、なにがあったのか見てみよう。ジョージは、独
身で定年退職していた。そこに住んで1年くらい。ほかの仲間も、そこ
に住んで、仕事があったり、店のオーナーだったりした。
特別な木曜の夜には、ジョージを含めて6名が来ていた。ゲームを楽
しむには、ちょうどいい人数だった。みんなゲームを楽しんで、興奮す
るくらい賭け率も上がったが、敗者を深刻に苦しませるほどは高くなか
った。ディーラーの選択で、ディーラーが選んだのは、ドローポーカー
と5カードスタッドの中間で、ワイルドゲームにはしなかった。メンバ
ーみんなにとって、ポーカーは、悪というより、ほとんど宗教に近かっ
た。木曜の夜は、8時くらいから1時まで、ときには2時まで。朝にな
れば、みんなの生活は活気を帯びて、その週のにぶい昼夜を洗い流して、
輝く時間に、前向きに踏み出して行ける。みんなを熱狂とは呼べない、
たぶん、ささげものとは呼べるだろう。
8時数分過ぎ、みんなシャツ姿でくつろいで、ネクタイをゆるめるか、
はずし、居間の大きなテーブルに座って、ゲームを始める準備をした。
ジョージは新しいカードを一度崩してから切り終えた。みんな、チップ
を買って、グラスをチリンチリン鳴らすか、目の前のビールの缶を開け
た。(いつもみんな酔っていたが、適度に、決して判断やゲームに支障
をきたすことはなかった)
ジョージは、カードを切り終え、配り始めた。みんなの顔をぐるりと
見ながら、最初の幸運がだれに行くか、それは、ラグナ銀行の出納係長、
ゲリーディックスだった。
ディックスは、最初の取引をして、10のスリーカードで勝った。賭
け金は少額だった。ジョージだけがステイして、カードを引けた。ジョ
ージはコールもできなかった。9のペアを引いたが、それ以上手が伸び
なかった。
つぎの番は、雑貨ストアの店長ボブトリンブルだった。切って配るた
めにカードを集めた。「さぁ、賭金を払って、ボーイズ」と、彼。「今
度はもっといい!みんなにいいカードが行くはず!」
室を横切って、ラジオがソフトな曲を流していた。ジョージケラーは、
バックミュージックが好きで、木曜夜のこの時間、どの局なら聞けるか
知っていた。
トリンブルは取引した。ジョージは自分の手を見た、7と3の小さな
ツーペアだった。オープンするには弱すぎる。だれかが上げるだろう。
だれかがオープンすれば、自分はステイできて、カードを引ける。「オ
レも」と、彼。
さらにふたりパスした。それから、ワインライトは、南ラグナの小さ
な百貨店の経営者のハリーワインライトは、レッドチップを出してオー
プンした。ディックスとトリンブルは、上げないで、ステイした。ジョ
ージもそうした。ジョージとワインライトのあいだでパスした男たちは、
また、パスした。ゲームを続けている者は、4人になった。ジョージの
小さなツーペアに安そうな引きをさせた。もしも、フルハウスができれ
ば、たぶん勝てる手になる。
トリンブルはカードをまた引いた。「カードは、ジョージ?」
「ちょっと、待って!」と、ジョージ。突然言った。顔を向けて、ラジ
オを聞こうとした。今、音楽は流れてなかった。思い出してみると、1
・2分、聞こえてなかった。だれかが、嘆いていた。コマーシャルより
もっと大声で。実際、ヒステリックな声で。それに、8時15分なので、
番組は『スターライトアワー』のはず。その番組は、コマーシャルで中
断されるのは、真ん中で一度だけ。
たぶん、緊急の公式発表があるに違いない。宣戦布告、差し迫った爆
撃機による攻撃、あるいは、その種のなにか。
「ちょっと待って、ボブ」と、彼。トリンブルに。カードを伏せて、イ
スから立ち上がった。ラジオのところに行くと、ボリュームを上げた。
「大量に押し寄せて来た、スタジオじゅうにも、駅にも、グリーンの小
男。彼らは、マーティアンだと言っている。あらゆる場所から報告され
ている。しかし、興奮しないで!彼らは、あんたを傷つけられない。完
全に無害、なぜなら、彼らは、触れることができない。手だろうが、な
んであろうが、彼らを通り過ぎてしまう。まるで、そこにはいなかった
かのように。彼らもあんたを通り過ぎてしまう、同じ理由で。だから、
決して」
もっと、続いた。
6人の仲間全員が、聞いていた。「なにがどうした、ジョージ?」と、
ゲリーディックス。「サイエンスフィクション番組を聞くために、ポー
カーを中断している?」
「だが、おかしい」と、ジョージ。「今は、『スターライトアワー』の
音楽が流れているはず」
「そう、そう」と、ウォルトグレインガー。「1・2分前は、シュトラ
ウスのワルツをやっていた。たしか、ウィーンの森」
「別の局にしてみたら、ジョージ」と、トリンブル。提案した。
しかしそのとき、ジョージがダイアルに手を伸ばす前に、ラジオは死
んでしまった。
「くそっ!」と、ジョージ。ダイヤルをいじくり回しながら。「真空管
がとんだに違いない。ハム音さえしなくなった」
「たぶん、マーティアンの仕業」と、ワインライト。「ポーカーに戻ろ
う、ジョージ、オレのカードが冷たくなる前に!この小さな手にあるの
は、ホットすぎる手」
ジョージは、ためらった。それから、ウォルトグレインガーを見た。
仲間5人を乗せて、グレインガーの車で、ラグナから来たのだ。
「ウォルト」と、ジョージ。「あんたの車にラジオは?」
「いや」
「くそっ!」と、ジョージ。「そして、電話もない。なぜなら、シラミ
っぽい電話会社は、ここまで電柱を立てたくないからなんだ、うう、こ
れは忘れてくれ!」
「ほんとうに心配なら、ジョージ」と、ウォルト。「町まで、ひとっ走
りして来れる。あんたとオレで、残りはゲームを続ける。あるいは、6
人全員で行くこともできる。1時間掛からずに行って来れる。そんな時
間的ロスにはならない。それが解決したら、少し遅れてゲームに戻れば
いい」
「途中で、マーティアンの宇宙船格納庫に吸い込まれない限り」と、ゲ
リーディックス。
「どうかしてる」と、ワインライト。「ジョージ、故障というのは、局
でジャンプして捉えられないということ?点滅は続いているから、ラジ
オは死んではいないようだ」
「オレは、それとは関わりたくない」と、ディックス。しかし、マーテ
ィアンが近くにいるなら、オレたちに会いたいなら、ここに来てもらお
う!ここは、オレたちのポーカーの夜だ、ジェントルマン!さぁ、カー
ドを始めよう、チップをどこでも好きなところに賭けて!」
ジョージケラーは、ため息をついた。「オーケー」と、彼。
テーブルの奥に歩いて行くと、座って、伏せてあった自分の手を拾い
上げ、なんだったか思い出そうとした。そうだった、7と3のツーペア。
そして、引く番だった。
「カードは?」と、トリンブル。積んであるカードを拾い上げて、また
訊いた。
「1枚だけ」と、ジョージ。5枚目のカードを捨てながら。
しかし、トリンブルは取引しなかった。
突然、テーブルの反対側で、ウォルトグレインガーが言った。「ジー
ザスクライスト!」声の高さから、みんな、1秒間、氷りついた。それ
から、みんな彼を見て、彼が見ているものがなんなのか、すぐに分かっ
た。
マーティアンがふたりいた。ひとりは、フロアランプの上に座ってい
た。ふたり目は、ラジオキャビネットの上に立っていた。
ホストのジョージケラーは、最初に自分を取り戻した。おそらく、ラ
ジオの簡潔な説明を信じていたひとりだったから。
「ハ、ハロー」と、彼。ちょっと弱々しく。
「ハイ、マック!」と、ランプの上のマーティアン。「聞いて!カード
を引いたあと、自分の手は降りた方がいい」
「うん?」
「今、言ったとおり、マック。あんたの7と3のツーペアは、積んであ
るカードの1番上が7だから、フルハウスになる」
「その通り、マック」と、もうひとりのマーティアン。「あんたは自分
の賭け金を丸ごと失う、なぜなら、このアホが」賭けをオープンした、
ハリーワインライトを指差した。「3枚のジャックに加えて、積んであ
るカードの上から2枚目の4枚目のジャックを引く。それで、4カード
になるからさ!」
「手を進めてくれ!そしたら、分かる!」と、最初のマーティアン。
ハリーワインライトは、立ち上がって、持っていたカードを表にした
ままテーブルの上に叩きつけた。中にジャックが3枚あった。トリンブ
ルから積んであるカードを奪い取ると、上の2枚のカードを開いた。そ
れは、7とジャックだった。
言った通り。
「あんたをからかっていると思ったのか、マック?」と、最初のマーテ
ィアン。
「なぜ、このシラミのような」ワインライトの肩は筋肉で盛り上がり、
1番近くのマーティアンに向かった。
「やめろ!」と、ジョージケラー。「ハリー、ラジオを覚えてないのか?
やつらに触れられないなら、投げ飛ばすこともできない」
「その通り、マック」と、マーティアン。「今よりも、もっと、あんた
の尻は臭くなる」
「なぜ、ゲームを続けない?」と、別のマーティアン。「みんな手助け
して、手をすべて教えてあげる!」
トリンブルは立ち上がった。「あんたはあいつをやれ、ハリー!」と、
彼。ニヤリとした。「オレはこいつをやる。もしもラジオが正しかった
ら、投げ飛ばせないが、やれば、傷つけられるかも」
やっても、傷つけられなかった。しかも、なんの助けにもならなかっ
た。
6
すべての国の人的被害は━━━その日、地球の反対側でも━━━軍事
施設において、もっとも高かった。
軍事施設の見張り番では、銃が使用される。だれかが侵入しようとす
れば、発砲される。ほとんどの軍事施設で、発砲が起こり、弾がなくな
るまで、発砲が続いた。マーティアンは、冷やかしたり、嘲笑ったりし
た。
銃を持たない兵士は、走って、手で捕まえようとした。なん人かは、
手榴弾を使った。将校は、剣を使った。
兵士間で、そのような殺戮の結果は、悲惨だった。マーティアンは、
そこから大きな混乱をもたらした。
もっとも大きな心理的苦痛を受けたのは、トップシークレットの軍事
施設を守る将校たちだった。頭の明晰さによって、早さは違うが、徐々
に、トップシークレットだろうがなんであろうが、秘密にできることは、
もはやないことに気づいた。マーティアンのせいではなかった。マーテ
ィアンは、ほかの人と内緒話をするのが好きだったからではなかった。
そうではなくて、原因となるトラブルのせいである場合を除いて、軍
事的なことには、もともとまったく興味がなかった。事実、機密の軍事
ロケット発射施設や秘密の原子爆弾や水素爆弾の貯蔵施設、機密ファイ
ル、機密計画を調べることには、いささかも興味がなかった。
「ピーナッツ程度のものさ、マック」と、マーティアン。エイブル基地
の2つ星の将校のデスクに座っていた。(そこは真に秘密の軍事基地だ
った)「ピーナッツ程度、もしもエスキモーがヴァーのやり方を知って
いたら、あんたの知識をエスキモーの部族に漏らすこともできない。教
えることはできる、その地獄のために」
「地獄では、なにをヴァーしてる?」と、将軍。うなった。
「あんたのような仕事はなにも、マック」マーティアンは室の別のマー
ティアンの方を向いた。そこには、4人いた。「ヘイ!」と、彼。「ク
イムして、ロシアンラスキーがなにしてるか見て来よう!向こうと比較
してみる」
彼ともうひとりのマーティアンは消えた。
「これを見て!」と、残りのマーティアンのひとり。「これは、まさに
ボフだ!」室の隅にある鍵の掛かった金庫の極秘文書を声に出して読み
始めた。
もうひとりのマーティアンは、あざけるように笑った。
将軍も笑った。あざけりはなかったが。彼は、ふたりの守衛によって
静かに助け出されるまでずっと笑い続けていた。
ペンタゴンは、大混乱だった。クレムリンも。どちらもビルではなか
ったが、敷地面積に応じた数のマーティアンがやって来た。到着のタイ
ミングやその後のそれぞれのタイミングに応じて。
マーティアンは公平で、どこにでも現われた。ある場所とか、場所の
好みのタイプとかはなかった。ホワイトハウスもネコ屋敷も同じだった。
ものごとの重要性も問題にしなかった。宇宙ステーションで働く宇宙
飛行士のニューメキシコの訓練施設も、上海の労働者たちの宿泊施設も
同じだった。同じようにあざ笑った。
どこでも、あらゆる仕方で、プライバシーを侵害した。プライバシー
って?もはや、そのようなものは存在しなかった。
最初の夜で、すでに、明らかだった。彼らが滞在したところに限って、
プライバシーはなかった。秘密はなかった。個人の生活においても、国
の策略においても。
オレたちに関するすべてに、個人的であろうと集合的であろうと、興
味があり、よろこばせ、軽蔑させた。
明らかに、マーティアンたちの研究対象は、人間だった。動物のよう
なものには、興味がなかった。ただし、動物の行動が、人間を間接的に
困らせたり、傷つけたりする場合は、驚いたり、いやされたりすること
をためらわなかった。
馬は特に、驚きの対象で、馬の背に乗ることは、スポーツであれ輸送
手段であれ、彼らには、危険で理解できない行動だった。
向こう見ずな者だけが、マーティアンがいっしょにいるあいだに、固
く足を縛ったり、頭を支柱に縛ったりせずに、あえて、牛の乳を搾らせ
たりさせた。
イヌは、おかしくなった。主人をかむようになって、施設に入れられ
た。
ネコだけは、最初の出会いから、2度3度と会ううちに慣れて、静か
に接して、気にもしなかった。ネコだけは、ほかとは違っていた。
パート2=侵略
1
マーティアンはいたが、いつまでいるのか知るものも予想するものも
いなかった。分かっていることは、ここに永遠にいるかもしれないとい
うことだけだった。オレたちには、関係のないことだった。
彼らの襲来から1日か2日で、少し分かったことがあった。
彼らはみんな、身体的に、かなり近いということ。まったく同一では
なかったが、ある個体は別の個体とかなり身体的に近かった。人間のよ
うな違いはなかった。同じ種族で、性も同じで、平均だった。
唯一の違いは、サイズの違いだった。もっとも大きいのは、3フィー
トだが、もっとも小さいのは、2フィート3インチだった。
彼らのサイズの違いを説明するにあたって、いくつかの学派があった。
ある者たちは、顔から判断して、とオレには思えるのだが、彼らはすべ
て大人の男で、身長の違いは、人類における身長の違いのように自然な
ものだと考えた。
ほかの者たちは、身長の違いは、年齢の違いを表わしていると考えた。
おそらく、彼らは、すべて大人の男で、身長は大人になっても伸び続け、
背の低いものは、比較的若く、背の高いものは、比較的年寄りだと考え
た。
さらに、ほかの者たちは、背の高いものは、たぶん、オスで、背の低
いものは、メスだと考えた。性の違いは、彼らが服を着ているときは、
身長以外に判断できない。だれも、マーティアンが服を脱いだところを
見たことがないので、この説も、ほかの説と同様、証明も反証もできな
かった。
そして、さらに、すべてのマーティアンたちは、性的に同じだとする
理論もあった。彼らは、両性であるか、オレたちが考えるような性は持
たないかのいずれかで、たぶん、単性生殖によって増える。それ以外の
増える方法は、思い付けない。オレたちに分かるのは、ココナッツの木
のように成長し、熟して賢い大人になり、彼らの世界に面と向き合える
ようになれば、あるいは、オレたちと向き合って嘲笑えるようになれば、
落ちて来る。この場合、彼らのなかで最も小さいのが、言わば、赤ちゃ
んで、木から落ちたばかりだが、大きいものたちや年寄りたちと同じよ
うにじゅうぶん悪態をつける。もしも、もっとも小さいものが子どもで
なかったら、オレたちは、まだ、マーティアンの子どもを見たことがな
いことになる。
オレたちは、まだ、彼らがなにを食べ、なにを飲むのか見たことがな
かった。食べたり飲んだりするのかどうかさえも、知らない。もちろん、
彼らは、地球の食べ物を食べなかった。拾ったり、手に取ることもなか
った。それで、彼らの食べ物を知ることはできなかった。多くの人々は、
クイミングは一瞬のことなので、マーティアンは、空腹だったりのどが
渇けば、いつでも火星にクイムして、すぐ戻ってくれば済むと考えた。
睡眠についても同様で、マーティアンが眠るかどうかも、だれもマーテ
ィアンが地球上で眠っているところを見たことがなかったので、知らな
かった。
彼らについて知られていることは、驚くほどわずかだった。
彼らが、ほんとうに、そこに人として存在してるのかも、確信を持っ
ては言えなかった。多くの人々は、特に科学者は、固形性のない、非実
体的な生命体は、存在し得ないと主張する。それゆえ、オレたちが見て
いるものは、マーティアンそのものではなく、彼らを投影したものに過
ぎない。マーティアンは、オレたちと同様、固形の肉体があるが、彼ら
の肉体は、たぶん催眠状態で、火星に残して来ている。クイミングとい
うのは、単に、見えるが実体のない、非実体的肉体を投影する能力のこ
とである。そう、考えた。
もしもそれが本当なら、その理論は多くのことを説明している。しか
し、どうしても説明し切れない、もっとも重要な点があった。どのよう
にして、非実体的な投影物がしゃべれるか?音というのは、物理的な動
作、あるいは空気や別の分子の振動であって、単なる投影物がどのよう
にして音を作り出せるのだろう?
実際に、彼らは音を作り出した。現実の音であって、聞き手の心の中
のものではないことは。録音されたテープが証明している。彼らは、実
際にしゃべり、非常にまれだが、ドアをノックすることもできた。襲来
の夜と呼ばれる日のように、ルークデビュラックスのドアをノックした
マーティアンは、ある意味、非常に例外的だった。彼らの多くは、ノッ
クなしにクイムして来る。リビングルーム、ベッドルーム、テレビ局、
ナイトクラブ、劇場、食い物屋、(その夜、食い物屋ではすばらしいシ
ーンがあったに違いない)掘っ建て小屋、丸屋根小屋、刑務所、どこへ
でも。
彼らは、また、写真には写った。ルークデビュラックスが発見したよ
うに、彼らはフィルムを巻き上げようとするのを邪魔した。彼らがそこ
にいるにせよ、いないにせよ、光は通さなかった。しかし、レーダーに
は引っ掛からなかった。学者たちは、そのことでも悩まされた。
学者たちは、全員、マーティアンは名前を持たないことでは、意見が
一致している。番号さえなかった。名前は、無意味で、不必要だった。
彼らはみんな、人間を名前で呼ばなかった。合衆国では、男ならマック、
女ならトゥーツと呼んだ。地球上、どこにいも、その代替物で呼んだ。
少なくとも、ある分野では、彼らは、驚くべき才能を示した。言語能
力。ルークのマーティアンは、新しい言語を1時間くらいでマスターし
たと言ったとき、自慢気でもなかった。マーティアンたちは、その言語
は決して放送されたことがない、未開の地の部族の間にも現われたが、
その言語は1ワードも知らなったのに、1時間でだいたいしゃべれるよ
うになり、数時間かけて流暢に話せるようになった。人間なら新しく覚
えた言語には、ぎこちなさや聞き苦しさが伴うのに、言語がなんであれ、
彼らはときには慣用句を交えたり、スラッグさえ用いてしゃべれた。
彼らの語彙のほとんどは、明らかに、ラジオ放送で学んだものではな
かった。彼らの多くは、やって来て数秒のあいだに、いくつかの言葉、
特に、バチ当たりな言葉を自由に学ぶ機会を持った。例えば、テレビの
『ロメオとジュリエット』で、ロメオのバルコニーのシーンに野卑な冷
やかしをしてぶちこわしたマーティアンは、明らかに、クイムするのは、
初体験だった。別の例で、食い物屋にクイムして来たマーティアンは、
数秒のあいだに、より緑の牧草地を求めてクイムして来た多くの仲間に
出会うことになった。
精神的にも、マーティアンは、身体的以上に、もっと似ていた。マイ
ナーバージョンの違いはあるが。彼らの一部は、ほかのものよりずっと
ずる賢かった。
ひとことで言えば、彼らは、総じて、悪態に長けていた。いまいまし
く、しゃくにさわる、うるさくて、厚かましかった。
下品で、けんか好きな、皮肉っぽく、つむじ曲がりで、嫌悪すべき、
無作法で、憎たらしく、悪魔のような、軽々しく、生意気で、いらだた
しく、憎悪に満ちた、敵意のある、短気で、横柄で、ずうずうしく、ぺ
ちゃくちゃしゃべって、あざける、ならず者の、興ざましだった。
彼らは、接触して来るすべての者たちをいやな気分にさせ、トラブル
になり、いやらしい目つきで、胸の悪くなる、意地の悪い、悪意のある、
不快な、吐き気を催す、不愉快な、怒りっぽい、ひねくれた、けんかご
しの、無礼な、いやみを言う、気むずかしい、反逆的な、どう猛な、野
蛮な、ぶあいそうな、スズメバチのような、外国きらいな、けたたまし
く吠えて、熱狂的にふるまった。
2
またひとりになり、ブルーな気分に、マーティアンさえひとりもいな
いことが、さらにブルーにさせ、ルークデビュラックスは、ロングビー
チに借りた安いレンタルルームの狭い室で、2つのスーツケースから荷
物を出した。
襲来の夜から、ちょうど、2週間だった。ルークは、自身と空腹のあ
いだに64ドルあるだけだった。どんな仕事でもいいから、仕事を捜し
にロングビーチに来た。64ドルが無くなったあとで食って行けるよう
に。小説を書くことさえ、しばらくは、あきらめることにした。
彼は、ある意味、ラッキーだった、非常に、ラッキーだった。自分用
に家具をあつらえた、ハリウッドの独身者専用の月100ドルのアパー
トを、家具が付いたまま、同じ家賃で又貸しすることができた。自分に
残る生活費はゼロだが、維持費をかけずにアパートの備品の所有権は持
ち続けることができた。それらを売り払ってしまうことはできなかった。
というのは、もっとも値段が高いものはテレビとラジオだが、どちらも、
現在のところ価値がゼロだった。マーティアンが去ってくれさえすれば、
また価値が出て来るかもしれない。
それで、ロングビーチのもっとも安い地区で、荷物は衣服の入った2
つのスーツケースとポータブルタイプライターのみ、後者は、応募書類
を書くためだ。
たぶん、なん通も書くことになると、憂鬱な気分で考えた。ロングビ
ーチでさえ、状況は困難になりつつあった。ハリウッドでは、完全に不
可能だった。
ハリウッドは、地上で最も困難な場所だった。ハリウッド、ビバリー
ヒルズ、カルバーシティ、そこは、映画によって完全に植民地化された
エリア。能力がどうあれ、全員が映画、テレビ、ラジオビジネス、いず
れかに結び付いていて、仕事にあぶれていた。俳優、製作者、アナウン
サー、すべてだ。全員が同じボートで、突然、沈没してしまった。
ハリウッドでは、それ以外のすべてで、反動が激しく波及した。得意
客が映画関係者だった、なん千という店、食い物屋、レストラン、コー
ルハウスで倒産が相次ぎ、倒産を逃れても、商売が傾いた。
ハリウッドは、砂漠の村へと変貌した。そこに留まった人々は、いく
つかの理由で出て行けない者たちだけだった。ルークは、もっと待つこ
とになろうとも、徒歩以外では出て行けなかった。
たぶん、彼は、長距離の移動で列車に乗って、貯金を大きく減らした
くなかったので、ハリウッドを出て、ロングビーチまでしか行きたくな
かった。とにかく、事情は、どこでもタフだった。
国内のどこにおいても、単にあきらめたハリウッドを除いて、『普段
通りのビジネスを』が、この1週間のスローガンになっていた。
ある分野では、多かれ少なかれ、それは有効だった。トラック運転で
は、マーティアンがやって来て、嘲笑ったり、フードの上で跳びはねた
りするが、それさえがまんすれば、運転はできる。あるいは、雑貨をカ
ウンターで売ることもできる。そのあいだ、マーティアンが頭の上で、
重さは無いがいつまでも座っていて、あんたとお客を交互に質問攻めに
して来る。そういったことには、神経をすり減らすが、商売はできる。
そのほかのビジネスは、公平だったわけではなかった。すでに見たよ
うに、娯楽ビジネスは、最初に、そしてもっとも強力な打撃を受けた。
テレビの生放送は、特に、不可能だった。テレビ番組の録画は、最初
の夜は、機材部がマーティアンの出現でパニックになっただけで、中断
はされなかったが、すべてのテレビの生放送は、数分もしないで、中止
になった。マーティアンは、テレビだろうがラジオだろうが、生放送を
ぶち壊すのが大好きだった。
いくつかのテレビやラジオ放送局は、ある期間、完全に閉鎖された。
もしも永遠にマーティアンがいれば、永遠に。そのほかの放送局は、ま
だ、過去の放送番組のみで続けていた。だが、人々が、再放送ばかり繰
り返し見せられては、飽きてしまうのは明らかだった。マーティアンが、
たまたまいないときに、生番組を放送できるとしても。
そして、もちろん、だれも、新しくテレビやラジオを買おうとする者
はいなかった。テレビやラジオの生産に従事していた、なん千もの人々
が職を失った。
さらに、劇場、コンサートホール、スタジアム、その他の巨大施設で
働いていた、なん千もの人々も。多人数で行われるイベントは、どのよ
うなものでもできなくなった。多くの人々を案内すると、多人数のマー
ティアンがいっしょに付いて来る。どのようなものでも娯楽イベントは
終わった、たとえ、続けようと思えば可能だったとしても。野球の選手
たち、切符売り場、受付、レスラー、映写技師━━━
そう、状況は、どこでもタフだった。1930年代の大恐慌が、繁栄
の時代に見え始めた。
そう、とルークデビュラックスは考えた、仕事を見つけるのは、タフ
な仕事になりつつある。仕事につくのが、早ければ早いほどよい。最後
の細々したものをドレッサーの引き出しに平等に分けてしまうと、マギ
ーのYWCAのTシャツがまぎれているのが少し驚きだった。なぜ、そ
れを持って来た?そのときのことを思い出しながら、ヒゲを剃り、さっ
と髪にくしを通して、室を出た。
玄関ホールのテーブルに電話があった。そこに座って、電話帳を引っ
張り出した。ロングビーチの新聞社が2つあった。最初にそこにあたっ
て見ることにした。あまり望みは持てないし、記者というのはやっかい
な仕事だが、トライしてみても損はない、電話代に2つ、10セント硬
貨を使うだけだ。それに、彼は、『ニュース』社のハンクフリーマンと
知り合いだった。2つの新聞社の1つを紹介してくれるかもしれない。
『ニュース』社に電話した。交換手のところにマーティアンがいて、
切り替えを邪魔しようと騒いでいたが、しばらくしてうまく行き、やっ
とハンクにつながった。ハンクは、社会部のデスクにいた。
ルークデビュラックスとハンク、どうだった?
「いいね、ルークの方の緑がかったのはどう?」
「ほかより、ずっとまし!仕事を捜しているんだが、『ニュース』社の
可能性は?」
「0・0といったところ。あらゆる仕事で、仕事待ちの行列ができてい
る。新聞の経験がある者もたくさん。新聞をやめて、ラジオやテレビに
流れて行ってる。あんたは、新聞の経験はあったよね?」
「子どもの頃に、走り使いをしていた」
「その仕事でさえ、悪いが、今はもうない。あらゆるチャンスのゴース
トさえいない、ルーク。状況は非常に悪くて、賃金カットも始まってる、
仕事を維持するには、高いタレント性が求められる。オレも職を失うの
ではとビクビクしている」
「賃金カット?ニュースキャスターとの競争も無くなって、新聞はブー
ムに来ていると思っていた」
「流通の方は、ブームだよ。しかし、新聞社の収入は、広告に依存して
いて、流通じゃない。広告は減っている。みんな失業していて、町のス
タンド販売も落ちて、広告予算もぎりぎりまでカットされている。すま
ない、ルーク」
ルークは、別の新聞社には、電話しないことにした。
◇
ルークは、外へ出た。パインアベニューを歩いて、南へ、ビジネス地
区へ向かった。通りは、人々、それにマーティアンでいっぱいだった。
みんな、むっつりして、無言だったが、かん高いマーティアンの声が響
き渡っていた。車は、普段より少なく、ほとんどの運転手は、慎重に運
転していた。マーティアンは、突然、フードの上やフロントガラスの前
にクイムして来るからだ。唯一の防御策は、ゆっくり運転し、ブレーキ
ペダルに足を置いて、いつでも急に止まれるようにしておくことだった。
マーティアンを素通りすることも、前方には障害物がないと確信でき
るのでなければ、危険だった。
ルークは、その事例を見た。パインアベニューが7番通り南で交差す
る交差点で、マーティアンの行列が通りを渡っていた。彼らはマーティ
アンとしてはとても静かで、ルークは不思議だった。時速20マイルく
らいでキャデラックが走って来て、運転手は、ニヤけた表情を浮かべて
いた。突然スピードを上げ、道をそれて行列に突っ込んだ。そこには、
2フィート幅で下水管が埋められていた。キャデラックは、野生の馬の
ように跳ね、右前方の車輪がはずれて、そこを下にしてパインアベニュ
ーに転がった。運転手は、頭からぶつかってフロントガラスを破壊し、
血を流しながら、つぶれた車からはい出て、バチ当たりなことを言った。
マーティアンたちは、大喜びで叫んだ。
つぎの交差点で、ルークは新聞を買った。靴磨きスタンドがあったの
で、募集広告を見るあいだ、靴を磨くことにした。最後にカネを出して
靴を磨いたのは、自立して稼げるようになって、仕事に就いたとき以来
だった。靴を磨いてもらいながら、これからはいつも靴はピカピカでい
ようと、自分に言った、
男募集という広告を捜して、広告欄を見た。最初、4分の1くらい捜
したが、そのような広告はないように思えた。数分後に、彼に関する限
り、そのような広告はまったくないことに気づいた。募集されている男
は、2種類だけだった。1つは、特別な訓練と経験が必要な高度な技術
者。もう1つは、経験は必要ないが、直接、家から家を訪れ、物を売る
営業マン。ルークは、20代で物書きを始める前、このもっともタフな、
直接、家を訪れる営業マンをやったことがあった。そのとき、彼は、物
を売るどころか、ただのサンプルさえ渡すことができなかった。しかし、
それはいい経験だった。どんな絶望的な状況になったとしても、今、そ
れにトライしても無駄だと分かっているからだ。
ロングビーチに来たのは間違いだったかと思いながら。新聞を第1面
に戻して折り曲げた。なぜ、ここへ来た?いや、たしかに、前の妻のマ
ギーが勤めている、精神科の病院はここにあった。彼は、彼女に会うつ
もりはなかった。彼は女とは手を切った。とにかく、当分のあいだは。
彼がハリウッドに戻って来たつぎの日、短いが楽しくないロザリンドと
の場面が、その前日の夜、彼女のアパートでなにがあったか、マーティ
アンでないものがいたことを教えてくれた。(彼らがただの無駄口をた
たくためだけに、夜を過ごしたとは信じられなかった)
ロングビーチに来たのは間違い?
新聞の第1面は、状況は、どこでも厳しいことを伝えていた。『防衛
費、大幅削減、大統領発表』それが、大量失業につながることは認めて
いるが、カネは信頼を得るために絶対的に必要で、さらに深刻度を増し
ている。信頼は、人々は飢えている現状では、防衛費よりもっと重要な
ことは確かだ、と大統領は記者団に語った。
たしかに、防衛は、その瞬間は、まったく必要なかった。ロシアや中
国は、自分たちの国内でトラブルをそれぞれ抱えていて、オレたちより
もさらに悪かった。そのうえ、今までの、彼らの秘密をすべて知ってい
るし、彼らもオレたちの秘密をすべて知っている。大統領は、皮肉っぽ
い笑いを浮かべて、そんな状況で、どうやったら戦争ができる?と言っ
た。
ルークは、10年前に、海軍で少尉として3年間兵役に就いていたが、
マーティアンが両国を助けるように嘲笑って秘密を暴露した結果、戦争
の形態が変わってしまったことに驚いた。
別の記事が目を引いた。『株式市場、依然として暴落』しかし、ラジ
オや映画、テレビ、劇場といった娯楽株は、少し値を戻した。先週、株
価がほぼゼロまで暴落したあと、今週は、以前の株価の10分の1まで
値を戻した。マーティアンはそのうち去るだろうと考える投資家たちが、
長期的なギャンブルに打って出た。しかし、工業関連株価は、防衛費の
大幅削減を反映して大幅ダウンし、他の株価も少なくとも数ポイント下
落した。大幅なダウンや、すべての株価の下落は、先週起こったことだ
った。
ルークは、靴磨き代を支払って、新聞はイスの上に残して来た。
男たちの行列は、角の先まで続いていた。数人の女たちも加わって、
角を曲がってもさらに続いていた。職業紹介所への行列だった。ルーク
は戻って、行列に並んだ。そのとき窓に掲げられた看板に、登録料10
ドルと書かれてあった。ルークは、やめることにした。なん百人もの人
々がわずかな働けるチャンスのために10ドル支払っている。貯金を減
らしてまで10ドル支払う価値は、職業紹介所にはない。
たとえ職業紹介所に10ドル支払わないで済むとしても、群衆は騒ぎ
立てるだろう。
ルークは、あてもなく歩いた。
ワイルドなグレーのヒゲに鋭い目をした、背の高い高齢の男が、駐車
した2台の車のあいだにある運搬用の木わくの上でしゃべっていた。6
人が、なんとなく聞いていた。ルークは立ち止まり、ビルに寄り掛かっ
た。
「━━━そしてなぜ、とオレはあんたたちに訊く、政府はウソをついて
いない?政府は正しい?なぜ?つまり、小さなウソはついてないから、
大きなウソにだまされているのだ!
それでは、わが友よ、大きなウソとはいったい?それは、政府がマー
ティアンだということ。つまり、それが、オレたちの魂を永遠に汚す、
政府がオレたちに信じ込ませたいことなのだ。
マーティアン!やつらは、デビル、地獄の底からやって来たデビル、
サタンに送り込まれ、黙示録に記されたように!
そして、わが友よ、あんたたちはのろわれる、真実だけを見て祈らな
ければ、昼も夜もヒザを曲げて、導くのは、ひとつの存在のみ、それの
みがオレたちを誘惑し苦しめるためにやって来たやつらを追い返せる、
おお、わが友よ、神とその息子に祈れ、このようなデーモンを生んだ世
界のエビルのために許しを乞い━━━」
ルークは、あてもなく歩いた。
たぶん、と彼は考えた、世界じゅうで宗教的熱狂や似たようなことが
が、沸き起こっているのだろう。
そう、彼らは正しいかもしれない。政府がマーティアンだという証拠
はない。彼が個人的に信じられるのは、マーティアンは存在するかもし
れないということだけだ。デビルもデーモンもまったく信じられない。
その理由から、マーティアンの言葉は、注意したいと思っている。
別の行列、別の職業紹介所への。
ビラの束を持った若者が、ルークに1枚手渡した。それをチラッと見
るために、歩く速度をゆるめた。「新しい職に就くチャンス」と、ビラ。
「心理カウンセラー」
あとは細かい文字だけだったので、ビラをポケットに押し込んだ。あ
とで、読むかもしれない。沼地が蚊を生むように、不況が不正を生んで
いた。
つぎの行列は、角の先まで続いていた。パスした2つの行列より長か
った。登録料を取らない、公的な職業紹介所のものかもしれない。
もしもそうなら、登録しておいても損はない。彼は、そのときには、
なにも建設的なことが考えられなくなっていた。それに、仕事を見つけ
る前に貯金がなくなれば、安心していられるように、その前に登録して
おくべきだ。あるいは、政府が準備を始めている、公共事業促進局の仕
事を得られるかもしれない。作家を集めてなにかするようなプロジェク
トでもないだろうか?もしあれば、彼は、その資質がある。クリエイテ
ィブなものでなくても、ロングビーチの歴史を調べて書くような作家な
らできる仕事、作家として認められていても、彼でもできるだろう。居
眠りしていても。
行列は、かなり速いスピードで進んでいた。数字を選んだり、穴を埋
めたりする簡単な質問だけで、結果は郵送なのだろうと思った。行列の
先頭が見えたので、なにが行われているのか確認することができた。
行列は、そうではなかった。
行列は、緊急時のスープを提供するものだった。大きなビルに入って
行き、そこはスケートリンクかダンスホールのようだった。そこに、台
の上に板を置いただけの長いテーブルがいくつも並び、なん百という男
たちが、女も混じっていた、テーブルに向かって座って、スープ皿の上
にかがんでいた。マーティアンたちは、集団で走り回っていた。テーブ
ルの下も、よく跳びはねていた。それは、ただの視覚効果に過ぎなかっ
た。スープ皿に跳び込んだり、頭の上ではねたりしていた。
スープのかおりは、悪くなかった。ルークは、空腹だったことを思い
出した。もう正午にはなっていたし、朝食を食べてなかった。行列に並
んで、カネを節約して、なにが悪い?だれもなにも訊かなかった。スー
プのために行列に並んだだれも。
いや、なにか言ってるやつがいる?料理用のエプロンをした配膳係の
大男が、スープを鍋からスープ皿にひしゃくで、すくっているのが見え
た。数人が渡されたスープ皿を嫌な顔をして下に置き、うなだれて、振
り返って、戻ろうとしていた。
ルークは、スープ皿を置いて戻って来た男の腕に触れて、「なにがあ
った?」と訊いた。「スープになにか?匂いはいいが」
「自分で行って見ればいい!」と、男。腕を離して、外へと急いだ。
ルークは、配膳係に近づいて、見た。マーティアンだった。スープ鍋
の中央に座っていた。前かがみになって、怖ろしく長い黄色がかった緑
色の舌をスープの中に差し込んでいた。それから、舌を引っ込めると、
スープの中につばを吐くふりをした。そのあいだじゅう、耳障りな音を
口から出していた。ひしゃくを持った配膳係の大男は、マーティアンを
通してスープをすくっても、少しも気にしてなかった。列に並んでいた
数人は、見て見ぬ振りをして目をそらし、やはり、気にしなかった。
ルークは、1分以上をそれを見ていて、外に出た。もう、行列には並
ばなかった。マーティアンがいても、スープそのものにはなんの影響も
ないことは、完全に分かっていた。しかし、彼は、まだ空腹ではなかっ
た。カネが続く限りは、そうだった。
スツールが5つだけの小さな店を見つけた。客は、少なくともその瞬
間は、だれもいなく、なによりマーティアンもいなかった。ハンバーガ
ーサンドイッチを1つ食べ、お代わりとコーヒーも注文した。
2つ目のサンドイッチも食べてしまうと、コーヒーをすすった。カウ
ンターにいる、背の高い19くらいの若者は、「コーヒーを沸かす?」
と言って、カップをコーヒー沸かし器に持って行って、たっぷり注ぐと、
戻してくれた。
「サンクス」と、ルーク。
「パイを1つどう?」
「う〜ん、大丈夫」
「ブルーベリーパイ、店のおごり」
「その値段で?」と、ルーク。「ならもらう。どうして?」
「店長が、今夜で店を閉める。この分では、余る。余ってもしかたない」
彼は、パイを乗せた皿とフォークをルークの前に出した。
「サンクス」と、ルーク。「景気は、そんなに悪いのか?」
「ブラザー、状況は悪い」と、カウンターの男。
3
ブラザー、状況は悪い。犯罪が多発して取り締まりも厳しい場所より、
タフなところはない。すぐに、こう言える、警官にタフなら、泥棒には
いい、逆も真。しかし、物事は、そんなふうには、決して動いてなかっ
た。
犯罪や暴力が頻発すれば、法の秩序の維持は、タフになる。人々の神
経は、すでに限界まで来ている。マーティアンを攻撃したり、争っても、
なんの効果もないので、人々は互いにケンカしたり争った。ストリート
ファイトや家庭内暴力が、日常的になった。計画的な殺人でなく、突発
的な怒りや一時的な錯乱による殺人が増えた。そう、警察は、手が回ら
なくなって、監獄はいっぱいになった。
しかし、警官が働きすぎなら、プロによる犯罪は少なくなって、まれ
になった。利益のための犯罪が、隠れた、あるいは暴力的を問わず、計
画された犯罪が、少なくなった。
マーティアンは、秘密をもらした。
ランダムな事例だが、典型的なので、ルークデビュラックスがロング
ビーチの店でランチをとっている頃、ロンドン生まれのすり、アルフビ
リングになにが起こったか見てみよう。ロンドンでは、もちろん、早い
夕方だった。これからは、アルフ自身の言葉で。
アルフに語ってもらおう。
アルフは語り始めたが、ロンドン訛りが強過ぎて、まったくなんのこ
とだか聞き取れなかった。
待って、アルフ!これからは、オレが自分の言葉で説明した方がよさ
そうだ。
ここに、小男のアルフビリングがいた、刑務所から出て1か月、最後
の硬貨を1杯のビールに使ってパブを出て来たところ。金持ちそうな旅
行者が、通りを歩いて来た。アルフは、彼のポケットをねらうことにし
た。警官や刑事はだれも見てなかった。確かに、近くに停めた車の屋根
に、マーティアンが座ってるだけだった。アルフは、マーティアンにつ
いてはよく教えてもらってなかった。とにかく、アルフは全くの一文な
しだったので、チャンスをものにしなくてはならなかった。さもなけれ
ば、夜眠る場所を確保できなかった。それで、彼は男に近づき、ポケッ
トから盗んだ。
そのとき、アルフはなにか言ったが、ここからは場面を再現した方が
いい。ここから続きを!
突然、マーティアンが、アルフのいる歩道に現れて、アルフの手にし
ている財布を指差して、楽しそうにはやし立てた。「イェ、イェ、イェ、
イェ、イェ、兄ちゃん、うまくやったな!」
「見逃してくれ、やさしい相棒!」と、アルフ。うなると、すばやく財
布をポケットに隠して、前かがみで去ろうとした。
しかし、マーティアンは見逃さなかった。アルフに追いて来て、陽気
に騒いだ。アルフは、彼の犠牲者が、振り返り、尻ポケットに手を入れ
てから、あわてて、こちらに向かって来るのを見た。
アルフは走った。角を曲がって、ちょうど待ち構えていた警官のブル
ーの制服の腕の中へ。
なにを言いたいのか、分かっただろうか?
マーティアンは、なにも犯罪や犯罪者を取り締まっていたわけではな
い。すべてに、そして全員に対して、逆のことをするという意味を除い
て。トラブルを起こしたり、犯罪者を捕まえるのが好きで、同時に計画
犯罪やそのような美しい機会に参加するのも好きだった。
一度、犯罪者が捕まってしまうと、今度は警察を質問攻めにして困ら
すことも好きだった。法廷では、裁判官や弁護士や目撃者や陪審員に働
きかけて、混乱を生じさせ、完全な判決よりも、無効裁判にしてしまう
ことの方が多かった。裁判所にマーティアンがいたら、正義は、それを
無視する盲目と同様、つんぼにならなくてはならなかった。
4
「なんてうまいパイなんだ!」と、ルーク。フォークを置いた。「サン
クス、アゲイン!」
「コーヒーのお代わりは?」
「ノーサンクス、もう十分だ」
「ほかになにか?」
ルークはニヤリとした。「そう、仕事!」
背の高い若者は、両手をカウンターに付いて、前かがみになっていた。
突然、背筋を伸ばした。「そう、いいアイデアがある、ブラザー!半日
の仕事はどう?今から5時まで?」
ルークは、彼を見つめた。「本気?なら、やりたい。仕事を捜して、
午後をムダにするよりいい」
「これで、あんたは仕事を1つ得た」彼はカウンターを回って来て、エ
プロンをはずした。「あんたのコートを掛け、これを付けて!」エプロ
ンをカウンターに置いた。
「オーケー」と、ルーク。エプロンには、まだ、手を伸ばさなかった。
「しかし、どういうこと?真相は?」
「オレは、丘を目指す。それが真相」ルークの表情を見て、彼はニヤリ
とした。「分かった、すべてを話そう、まず自己紹介から、オレは、ラ
ンスカーター」手を差し出した。
「ルークデビュラックス」と、ルーク。手を握った。
ランスは、1つ跳ばしてスツールに座った。ふたりの顔が向き合った。
「山猿だからって、からかわないでくれ!」と、彼。「カリフォルニア
に来た2年前まで、オレはひとりだった。ミズーリのハートビルの近く
の、小さな荒れた農場を持っていた。その当時は、満足してなかった。
しかし、今、なにが起こってる?仕事がヒマになって、今、オレはそこ
へ戻るべきだと確信した」彼の目は興奮して輝いていた。あるいは、ホ
ームシック?すべてのアクセントがなまって、山猿へと戻っていた。
ルークはうなづいた。「いい考えだ、少なくとも食っていける。農場
なら都会よりマーティアンは少ない」
「そう、店長が店を閉めると言ったとき、オレは戻ることを決心した。
早ければ早いほどいい。毎朝、必死で働いて来た。あんたが仕事につい
て訊いたとき、思い付いた。5時まで店を開けておくと、店長に約束し
た。店長が帰ってしまうと、オレは正直に店を開けておくと約束したこ
とが、バカらしくなった。しかし、あんたが代わりに店をやってくれた
ら、同じことだ。やってくれる?」
「オレも違いはないと思う」と、ルーク。「しかし、給与は?」
「オレが払う。1日10ドル、食事付き。オレは、きのうまでの分は、
もらってある、今日の分の10ドルは、レジスターから出して、代わり
にメモを残す。あんたに5ドル、それに5ドルはオレの分」
「それならフェアだ」と、ルーク。「交渉成立!」立ち上がり、コート
を脱いで、壁のフックに掛けた。エプロンを付けて、ヒモを結んだ。
ランスは、自分のスーツコートを着て、カウンターの後ろのレジスタ
ーから、2枚の5ドル紙幣を出し、代わりに簡単にメモ書きした紙を入
れた。
「カルフォルニア、いざ、行かん」ランスは、賛歌でたたえた。そして、
黙った。歌の2行目が思い出せなかった。
「ハートビルへ、故郷へ急いで戻ろう!」ルークが続けた。
ランスは、驚いたように、口をあけてルークを見た。「ヘイ、あんた、
そんな歌詞をよく思い付けるね?」指をはじいた。「分かった、作家か
なにか?」
「なにかを書き始めるかも」と、ルーク。「ついでに、ここの仕事は、
どう知る?」
「知る必要なし!値段は、その壁に貼ってある。すべては、その冷蔵庫
に入っている。これが、約束の5ドル、では、サンクス」
「グッドラック!」と、ルーク。固く握手して、ランスは、楽しそうに
歌いながら出て行った。「カルフォルニア、いざ、行かん、故郷へ急い
で戻ろう!」
ルークは、冷蔵庫にある物と壁の値段表に目を通すのに10分かけた。
ハムアンドエッグスが、用意するのにもっとも複雑なメニューだった。
家では、よく作った。作家は、独身なら、外出して中断されたくないた
め、かなりよく簡単な料理を作って食べる。
そう、ここの仕事は簡単そうに見えた。そして、店長が店を閉める気
が変わって欲しかった。1日10ドルなら、食事はもっとよくなって、
しばらくのあいだは、じゅうぶん食べて行ける。そして、プレッシャー
はなくなって、また、夜に書き始めることができるかもしれない。
しかし、仕事が、むしろ仕事がないことが、長い午後が終わるすっと
前に、その希望を打ち砕いた。客は、1時間にひとりぐらいで、使うカ
ネは、50セントかそれ以下。ハンバーガーとコーヒーで40セント、
あるいは、パイとコーヒーで30セント。たまに、ハンガーガーステー
キを頼むつわものがいて、売り上げの平均を押し上げてくれるが、ルー
クのようなビジネスとは無縁の素人から見ても、売上げが、費用プラス
余剰をカバーできないことは、たとえ、余剰が彼自身の給与だけだとし
ても、明らかだった。
なん回かマーティアンが店にクイムして来たが、たまたま、だれもカ
ウンターで食事していなかった。ルークひとりだと分かると、だれも本
気で嫌がらせしようとせず、数分以上は滞在せすに去って行った。
5時15分前に、ルークはまだお腹が空いてなかったが、夜の分を済
まして、少しのカネでも節約しようと決めた。ボイルしたハムのサンド
イッチを作って食べた。もう1つ自分用にラップで包んで、壁に吊るさ
れているコートのポケットに入れた。
ポケットに手を入れたとき、折りたたんだ紙が入っていた。今朝、手
渡された街頭ビラだった。カウンターに持ってきて、広げて、最後のコ
ーヒーを飲みながら読んだ。
「新しい職で、不況をぶっとばせ!」と、ビラ。そして、小さな文字で、
「心理カウンセラー」
見出し文字は、目に余るほど大きな活字ではなかった。本文も、10
ポイントボドニで行間をかなり取っていた。全体的に、非常に保守的で、
ビラにふさわしかった。
「あんたは、インテリで現役で、教育もあるのに、失業中?」と、ビラ。
ルークは、読む前にイエスと答えるところだった。
◇
もしもあんたに、心理カウンセラーになって、マーティアンがどれだ
け長くいようとも、人々に、どうやったら冷静に、取り乱さないでいら
れるか助言することで、今、人類を救うチャンスがあったとしたら?
もしもあんたが、正規の教育を受けていて、とりわけ、心理学のほん
の初期の知識でもあれば、ごくわずかなレッスンで、たぶん2・3時間
程度、最初に自分を救い、それから、ほかの者と共同して、今、マーテ
ィアンに脅かされている人類の正気を守る活動に参加することができる。
1クラスは7人まで。フリー討論や、授業のあとでの質問タイムあり。
料金は、いたってリーズナブルで、レッスンごとに5ドル。インストラ
クターは、このビラの署名、科学学士(州立オハイオ大学、1953)、
心理学博士(USC、1958)、その後、コンベイヤコーポーレーシ
ョンで産業心理学者として5年以上の経験、アメリカ心理学協会会員、
多くの論文や1冊の本の著者、『あんたとその神経』ダットン出版、1
962。
ラルフフォーブス、PSD
◇
そして、ロングビーチの電話番号。
ルークは、折りたたむ前に、もう一度読んだ。それから、ポケットに
しまった。ラケットのように響かなかった。その資質があったとしても、
響かなかった。
意味はあった。人々は、救いを必要としている。悪いほどに必要とし
ている。右に左に打たれて、破裂しそうだ。フォーブス博士が、答えの
かけらでも持っていれば。
壁の時計を見た。5時10分過ぎだった。店長が、どのくらい遅れる
のかと思った。ドアに鍵を掛けて帰ろうかと思ったとき、ドアが開いた。
中年のずんぐりした男が入って来て、ルークを鋭く見た。
「ランスはどこ?」
「ミズーリに戻った。あんたがオーナー?」
「ああ、なにがあった?」
ルークは説明した。オーナーはうなづいて、カウンターを回って来た。
レジスターを開けて、ランスのメモを読んで、ブツブツ言った。レジス
ターのカネを数えた。それは長くは掛からなった。チェックするために、
レジスター脇の紙に出力して引っ張り出した。ふたたび、ブツブツ言っ
て、ルークの方を向いた。
「売上げは、こんなに低調?」と、オーナー。「あるいは、あんたが数
ドルくすねた?」
「売上げは、実際に低調」と、ルーク。「10ドルでも盗みたければ、
盗んだかもしれない。しかし、5ドルしかもらってない。盗める最低限
より低い」
オーナーはため息をついた。「オーケー、あんたを信じる。夕食は?」
「サンドイッチを食べた。もう一つ作って、ポケットに入れてある」
「もっと食って行け、明日まで持つように。今から店を閉める、夜は店
を開けているだけムダだ。持てるだけ家に持ち帰るが、妻の分以上だ。
腐る前にオレが食べてしまう」
「サンクス、そうするのがいいと思う」と、ルーク。
冷えたサンドイッチを3つ自分用に作って、店を出るとき、いっしょ
に持ち帰った。それがあれば、つぎの日も、食費を節約できる。
◇
アパートに帰ってから、サンドイッチを、ネズミやゴキブリから守る
ため、スーツケースでもっともしっかり締まる1つに詰めて鍵を掛けた、
ネズミやゴキブリがいたとして。まだ見たことはないが、朝になったら
出て来るかもしれない。
街頭ビラをまた読むために、ポケットから出した。突然、マーティア
ンが肩に現われて、いっしょに読んだ。マーティアンが先に読み終えて、
笑いながら遠ぼえして、消えた。
ビラは、意味があった。少なくとも、心理学の教授のレッスンを受け
るため、5ドルをギャンブルさせようとするだけの意味があった。財布
を出して、カネをまた数えた。61ドルあった。今朝、週の室代を払っ
たあとより、5ドルも多かった。カウンターでランチを摂っていてラッ
キーがあって、5ドル金持ちになっただけでなく、今日の食事代がゼロ
で、かつ、明日もゼロで済ませられる。
安定した収入につなげられるか知るために、5ドルをギャンブルして
なにが悪い?たとえうまく行かず、なんの収入も得られなくても、マー
ティアンに対して、自分の気分的反応をコントロールする方法を学ぶだ
けでも、5ドルの価値はある。たぶん、また書き始められるレベルまで
持って行ければいい。弱気になって気が変わる前に、廊下の電話のとこ
ろへ行って、ビラにあった電話番号をダイアルした。
落ち着いた、よく響く声が、ラルフフォーブスだと名乗った。
ルークは、自分の名前を告げた。「ビラを読んで」と、ルーク。「興
味を持った。つぎのクラスはいつ?もう満席?」
「まだ、クラスは開いてない、ミスターデビュラックス。今夜7時に、
最初のグループを始める、今から約1時間後。別のグループは、明日の
午後2時。どちらも、まだ、満席でない。いずれのクラスも、なにかの
ために、5人分のリザーブを取ってある。あんたは、好きな方を選べる」
「では、早い方がいい」と、ルーク。「今夜のクラスに参加したい。家
で開催を?」
「いや、小さなオフィスを取ってある。オーシャンブルバード北、パイ
ンアベニュー沿い、ドレガービル614号室。しかし、ちょっと待って、
電話を切る前に少し説明して、2・3訊いても!」
「どうぞ、博士」
「ありがとう。参加する前に、あんたの背景について、質問させて!ご
承知のように、ミスターデビュラックス、これは、そう、闇商売ではな
い。自然にカネを生むことを望む一方で、人々を助けることにも興味が
ある。多くの人々が、多くの助けを必要としている。個人的にアドバイ
スできる以上の人々。それが、他者と協力することを選んだ理由」
「分かってる」と、ルーク。「開祖になるために使徒を捜している」
心理学者は、笑った。「賢い言い回しだ。しかし、例えはそこまで。
オレは、自分が救世主だとは思ってない。他人を助ける能力には、謙遜
しつつも自信があるので、生徒は、注意して選びたい。特に、クラスは
少人数にしたので、努力を少人数に集中したい」
「よく分ってる」と、ルーク。「質問をどうぞ」
「大学教育は?それと同等のものは?」
「大学に通ったのは、2年間だけだったが、大学教育と同等のものは得
ている。特に専門的でない一般教養で。つまり、オレは、生涯を通して、
多読家だった」
「どのくらい長く?」
「37年間、つまり、オレは37。子どもの頃からでなく、ここ数年は、
よく読んでいる」
「心理学の分野で読んだものは?」
「専門的なものは、なにも読んでない。有名な本でなん冊か。初心者向
けに解説したもの」
「おもな職業は?」
「小説家」
「うう、サイエンスフィクション?ルークデビュラックスの名で?」
ルークは、自分の名前が知られているときに、作家がいつも感じる、
気恥ずかしさを感じた。「ええ」と、ルーク。「サイエンスフィクショ
ンの読者ではない?」
「いや、読んでるし、好きだ。少なくとも、2週間前までは。今は、地
球外のことを読みたい気分にはなれない。その意味では、サイエンスフ
ィクションの売れ行きに、落ち込みがあったに違いない。それが、あん
たが新しい職を捜してる理由?」
「マーティアンが襲来する前から、書く上で重大なスランプを抱えてい
て、すべてをマーティアンのせいにはできない。もちろん、助けにもな
らない。あんたがサイエンスフィクション市場について言ったことは、
当たっているし、もっと強い意味でも。しかし、今のところほかにその
ような市場はない。マーティアンが去って、2度と来ないとして数年も
経てば、なんらかの市場が生まれるかもしれない」
「そうだな。では、ミスターデビュラックス、書く上でスランプなこと
を思い出させて済まなかった。けれど、言うまでもなく、あんたがクラ
スに参加してくれて喜び以上だ。あんたが苗字だけでなくファーストネ
ームも言ってくれたとき、あんたのことはすぐ分かって、必要もない質
問をして安心させようとした。では、今夜の7時に会えることを楽しみ
にしている」
「ええ」と、ルーク。
たぶん、心理学者の質問は、必要のないことだったかもしれないが、
ルークは訊いてくれたことがうれしかった。これは、闇商売ではなく、
男は、すべて主張する通りなのだと確信した。
そして、彼が支払う5ドルは、かつてなかったベストの投資になるか
もしれない。新しい職、それも重要な職に就けることが、確実な気がし
た。レッスンに従って、フォーブスが必要だとするレッスンはすべて受
けて、フォーブスの広告では2・3時間で十分とする以上のレッスンさ
え受けることも確かな気がした。手持ちのカネが無くなってしまったら、
フォーブスは疑いもなく、すでに名前を知って、作家として称賛もして、
残りのレッスン代を借金で、あとで人々を助けてカネを得たときに返し
てくれればいいと言ってくれるだろう。
レッスンの合間に公共図書館で、あるいは家で本を読む時間を作って、
携わった心理学の本を、単に読むだけでなく、実際に学んで行こう。彼
は速読家で、記憶力が良かった。学んだことを丸呑みにするだけでなく、
儀礼上のほめ言葉なしにほんとうの心理学者に近づくべく努力して行こ
う。そんなことも、いつかはきっと。なぜだめなんだ?作家としてまじ
めに努力して来たし、最初のうちはどんなに難しいとしても、もう1つ
の職業としての足掛かりを築けるようやってみよう。それができるほど、
まだ、彼には若さから来るエネルギーがあった。
さっとシャワーを浴びて、ヒゲを剃った。ヒゲ剃りの途中で、1秒前
にはいなかったマーティアンに、耳元で急にブロンクスやじをやられて、
少し切ってしまった。しかし、深い傷でなかったので、簡単に止血ペン
シルで出血を止められた。心理学者になれたら、このような場合でも、
冷静に対処して、自分を傷つけることもないのだろう?そう、フォーブ
スなら、その答えが分かっている。いい答えがなかったとしても、電気
ヒゲ剃り器なら問題を解決する。また、生活が安定したら、自分に1つ
買っておこう。
ルークは、自分の名前が知れても、それにふさわしい外観でいたかっ
た。それで、タンギャバジンの一番いいスーツに、新品の白シャツを着
て、ネクタイにカウンテスマーラにするか、保守的なブルーにするか迷
ったが、ブルーを選んだ。
ルークは、室を出た、口笛を吹きながら。遠足に行くように歩きなが
ら、これが、人生のターニンングポイントになると感じた。新しい、よ
り良い時代がこれから始まる。
◇
ドレガービルのエレベータは、動いてなかった。しかし、6階まで歩
いて上るのは苦でなかった。代わりに、元気が出て来た。
614号室のドアを開けると、オックスフォードグレーの背の高い細
身の、太い貝縁メガネの男が、立ち上がり、デスクを回って、握手をし
た。
「ルークデビュラックス?」と、男。
「ええ、ドクターフォーブス。どうしてオレだと?」
フォーブスは、笑った。「1つには、打ち消しによって。サインした
すべての者は、あんたともうひとりを除いて、全員、そろっている。2
つ目は、本のジャケットであんたの写真を見ている」
ルークは、振り返った。オフィスには、すでに4人が安楽イスに座っ
ていた。男ふたりに、女ふたり、みんな着飾って、知的で人当たりが良
さそうだった。それに、ひとりのマーティアン、フォーブスのデスクの
端に足を組んで座っていた。その時はなにもすることがなくて、退屈そ
うだった。フォーブスは、ルークをみんなに紹介した、マーティアンを
除いて。男は、ケンダールとブレントという名前で、女は、ミスコワル
スキーとミセスジョンストンだった。
「それに、マーティアンの友人を紹介したい、もしも名前があれば」と、
フォーブス。楽しそうに。「しかし彼らが言うには、名前は使わないそ
うだ」
「あんたは、マック」と、マーティアン。
ルークは、誰も座ってないイスに座り、フォーブスは、デスクの後ろ
のスイベルチェアに戻った。腕時計をチラッと見た。「ちょうど7時」
と、彼。「しかし、最後のメンバーが到着するまで、数分待つことを許
してもらえると思うが、みんないいかな?」
全員が、うなづいた。「待っているあいだ」と、ミスコワルスキー。
「わたしたちから集金したら?」
ルークの分も含めて、5枚の5ドル紙幣がデスクの上に積み上がった。
フォーブスはそれらを見たが、そのまま、手にはしなかった。「ありが
とう」と、彼。「それらはそのままにしておく。もしもだれか、授業の
あとで満足しなかったら、カネをお返しする。うう、最後のメンバー、
ミスターグレスハムが来た」
新しい参加者と握手をした。禿げ頭の中年だった。ルークは、かすか
に顔になじみがあったが、どこで会ったのか、場所や名前を思い出せな
かった。そして、彼を、残りのメンバーに紹介した。グレスハムは、デ
スクに紙幣が積まれているのを見て、自分の分を加えた。それから、ル
ークの隣の空席についた。フォーブスがノートを広げているあいだに、
グレスハムは、体をルークの方へ傾けた。「どこかで会った?」と、彼。
ささやいた。
「たしかに、会っている」と、ルーク。「そういう気がした。あとで、
ノートを見比べよう。待って、それより」
「静かにして!」
ルークはしゃべるのをやめて、急いで後ろに寄り掛かった。そのとき、
しゃべったのはフォーブスでなく、マーティアンだと気づいた。マーテ
ィアンは、ルークにニヤリとした。
フォーブスは、笑った。「あんたたちは、マーティアンを無視するこ
とが不可能だと言うことから始めよう。特に、予想外になにかを言った
り、するときは。その点をぴたりと止めようと言うのではなく、今夜、
このクラスを助けようとしているので、徐々に導いてゆくということか
ら始めるのが、たぶんベストだと思う。
それは、こうだ。あんたの生涯、思想、正常さは━━━オレが助言し
教えようとする者たちの生涯、思想、正常さと同様━━━もしも、あん
たたちが、彼らを完全に無視することとまともに取り組もうとすること
のあいだの方法を選ぶなら、少なくとも、マーティアンたちに影響され
るだろう。
彼らを完全に無視することは、そうトライすることであり、彼らが明
らかに存在しても、存在しないかのように振る舞うことである。精神分
裂症やパラノイアへと導く、現実を拒否することに通じる。逆に、彼ら
にじゅうぶんな注意を払い、彼らをまじめに怒ったりすることは、神経
の崩壊、卒中へと直接つながって行く」
それは意味があると、ルークは考えた。ほとんどの場合、真ん中あた
りが、ベストの方法だ。
フォーブスのデスクの端のマーティアンは、大きくあくびをした。
ふたり目のマーティアンが、突然、フォーブスのデスクの中央にクイ
ムして来た。フォーブスの鼻先だったため、思わず大声を出してしまい、
マーティアンの頭越しに、クラスのみんなに照れ笑いした。
ノートに目を落としたが、ふたり目のマーティアンがその上に座って
いた。マーティアンを抜けて、手を伸ばして、一方にずらしたが、マー
ティアンもいっしょに動いた。
フォーブスは、ため息をついて、クラスに顔を上げた。「どうも、ノ
ートなしで授業を進めることになりそうだ。彼らのユーモアは、とても
子どもじみている」
彼は、前に座っているマーティアンの頭を避けて、よく見えるように
体を傾けた。マーティアンは、同じように体を傾けた。フォーブスが真
っすぐにすると、マーティアンもそうした。
「彼らのユーモアは、とても子どもじみている」と、フォーブス。繰り
返した。「それは、子どもたちがマーティアンにどう反応したかの研究
を思い起こさせる。オレの理論で定式化した。すべてに共通するのは、
最初の数時間で、気品さえもすべて奪われたのち、子どもたちは、大人
たちよりすぐにマーティアンの存在に慣れてしまう。特に、5才になら
ない子どもたちは。オレの子どもは、ふたりいるが━━━」
「3人だよ、マック」と、デスクの端のマーティアン。「オレは、ガー
デナであんたが2千ドル出して、父親にならないという合意書を見た。
それで、事務員は父権を登録しなかった」
フォーブスは、顔を赤らめた。「家には、ふたりの子どもがいるが」
と、彼。言い直した。
「それに、アル中の妻」と、マーティアン。「彼女を忘れてもらっては
困る」
フォーブスは、目を閉じて、数秒間、待った。まるで、心の中で秒を
カウントしてるかのように。
「子どもの神経組織は」と、彼。「『あんたとその神経』で説明してい
るように、オレの有名な本だが」
「ちっとも有名じゃないよ、マック。印税の出版記録では、千部にも達
してない」
「つまり、有名な書体で印刷されたという意味だが」
「それなら、なぜ売れなかった?」
「なぜなら、人々が買わなかったからだよ!」と、フォーブス。ピシャ
リと。すぐ気を取り直して、クラスに笑い掛けた。「済まない、無関係
の議論に引き込まれるべきでなかった。ばかばかしい質問には、答えな
いこと」
ノートの上に座っていたマーティアンが、突然、彼の頭の上に座る姿
勢にクイムした。視界が、見えたり見えなかったりするように、彼の顔
の前に両足をブラブラさせた。
彼は、視線を下に落として、しばらく、見えるようになったノートを
読んだ。
「ここで、注意事項があるので、それを述べるのがいいだろう。助けを
必要としている人々に対して、その人々は、完全に誠実であり━━━」
「なぜ、あんたは誠実じゃないんだい、マック?」と、デスクの端のマ
ーティアン。
「不当な主張は一切せず━━━」
「あんたが配布でしたようにか、マック?あんたが読み上げているパン
フレットは、一度も公表したことがないと言うのを忘れるな!」
フォーブスの顔は、グリーンの服の足の振り子の後ろで、赤ダイコン
のようになった。彼は、ゆっくりと立ち上がり、両手は、デスクの端を
つかんでいた。彼は、「オレは━━━」と、言い掛けた。
「あるいは、なぜ、みんなに言わないんだい、マック?コンベイヤでは、
心理学者のただの助手だったと。クビにされた理由も」デスクの端のマ
ーティアンは、親指を両耳に入れて、ほかの指をヒラヒラさせて、大声
でよだれだらけのブロンクスやじを解き放った。
フォーブスは、自分のことを強く殴った。それから、手首の痛みに叫
び声を上げた。マーティアンを素通りして、デスクにあった重い金属製
のランプに強く打ち付けたからだった。その上に座っていたマーティア
ンは、消えてしまった。
痛めた手を引っ込めて、ふたり目のマーティアンの足の振り子の合間
から、虚ろに見つめていた。突然、ふたり目もどこかへ行ってしまった。
フォーブスは、今や顔は赤ではなく白かった、ゆっくりと腰を降ろし、
オフィスにいる6人を虚ろに見つめた、まるで、なぜ彼らがいるのか不
思議に思っているかのように。両手で顔をこすった、まるで、もはや存
在しない、それがいるあいだは、追い払うことができなかった、なにか
を追い払うかのように。
「マーティアンの扱いには」と、彼。「このことを念頭に置くことが重
要で━━━」
それから、デスクに置いた両腕に顔を埋め、静かに、しくしく泣き始
めた。
ミセスジョンストンと紹介された女は、デスクにもっとも近かった。
立ち上がり、前にかがんで、彼の肩に触れた。「ミスターフォーブス」
と、彼女。「大丈夫?」
返答はなかったが、すすり泣きは、ゆっくり止んだ。
ほかのみんなは、その時にはもう立ち上がっていた。ミセスジョンス
トンは、みんなの方を向いた。「彼をそっとして、帰るのがいいと思う」
と、彼女。「それから」彼女は、6枚の5ドル紙幣を持ち上げた。「み
んな、これは返してもらった方がいい」彼女は、1枚取り、みんなに回
した。みんな帰った。とても静かに、ある者は、つま先立ちで歩いた。
ルークデビュラックスと、となりのグレスハム氏を除いて。「ここに
いよう」と、グレスハム。「彼は、助けがいるかもしれない」ルークは、
うなづいた。
今、ほかのみんなは帰って、ふたりは、フォーブスの頭をデスクから
上げ、イスに真っすぐ座らせた。目は見開いていたが、虚ろに、ふたり
を見つめていた。
「ショック状態だ」と、グレスハム。「そのうち抜け出るだろう、大丈
夫だ。だが━━━」声は、疑わしそうになった。「白服のところへ運ん
だ方がいいかも?」
ルークは、フォーブスの痛めた手を調べた。「骨折してる」と、彼。
「治療が必要だ。医者に電話しよう。そのときまでに、今の状態から抜
け出せなかったら、医者の判断で、どうするか決めてもらおう」
「いいアイデアだ。でも、電話は必要ないかもしれない。隣りが医者の
オフィスだった。来るときに気づいた。電気も点いていた。夜の診療も
やってるか、遅くまで仕事してるかのどちらかだ」
医者は、遅くまで仕事していた。ふたりが声を掛けたときは、ちょう
ど出掛けるところだった。フォーブスのオフィスに来てもらって、事情
を説明した。あとは、医者の判断だった。それで帰ることにした。
「彼は、いいやつだった、続けているあいだは」と、ルーク。階段を下
りた。
「それに、いいアイデアだった、続いているあいだは」
「あ」と、ルーク。「もぐらのいる位置より下がってる気がする。そう、
オレたちがどこで会ってるか、思い出しそうだ。あんたは?」
「パラマウントかも?2週間前に閉鎖されるまで、6年間、そこで仕事
していた」
「それだ」と、ルーク。「あんたは、撮影用台本を書いていた。オレは、
数年前に、数週間で書いて出した。スクリプトで。それほどできが良く
なかったので、辞めた。スクリプトでなしに、書かれた台本を読んだが、
すごい才能だった」
「そうそう、それだ。あんたは、デビュラックス」
「そう、ルーク。あんたのファーストネームは、スティーブ?」
「ああ、ルーク。オレも、もぐらのいる位置より下がってる気がする。
戻って来た5ドルをなにに使うか分かった。あんたのアイデアは?」
「あんたと同じ。なにか買って、オレの、あるいは、あんたの室へ?」
室で互いのノートを見比べることにして、ルークの室に決めた。ステ
ィーブグレスハムは、妹とその夫といっしょで、子どももいて、いろい
ろ都合が悪かった。それで、ルークの室がベストだった。
ふたりは、悲しいでき事に酒をのみかわした。浴びるほど飲んだ。ル
ークは、どちらかというと、飲んでも大丈夫な方だった。真夜中を少し
過ぎたとき、グレスハムは酔いつぶれていた。ルークは、ちょっとフラ
つきながらも、まだ、動けた。
グレスハムを起こそうとしたが、起きなかったので、ひとり寂しくも
う1杯ついで、グラスを持って座り、飲んだりしゃべる代わりに、考え
た。しかし、ほんとうは、考えるよりしゃべりたかった、そして、ほと
んど、かなりではないが、マーティアンが現われることを望んだ。しか
し、こういうときに限って、だれも現われなかった。自分にしゃべり掛
けるほど、クレイジーでも酔ってもいなかった。「とにかく、まだ、そ
うなってはない」と、彼。大声を出した。声があまりに大きかったので、
ビックリしてまた黙った。
かわいそうなフォーブスと、ルークは考えた。ルークとグレスハムに
見捨てられた。もっとフォーブスといるべきだった。彼を見守って、少
なくとも、まったく希望がなくなるまで、そして、まったく希望がなく
なったのでない限り、いっしょにいてあげるべきだった。医者の診断結
果を待たずに、帰ってしまった。医者は、フォーブスを正気に戻しただ
ろうか?あるいは、白服の男たちのところへ送ったのだろうか?
医者に電話すれば、どうなったか訊くことができる。
医者の名前を聞いていたら、思い出せないことがあるだろうか?
ロングビーチ総合神経病院に電話して、フォーブスがどこにいるか訊
くこともできる。いっそのこと、マギーに電話して、フォーブスの居場
所と状態を訊く方が早いかもしれない。そう、そうしよう。いや、だめ
だ。彼女とはもう離婚していて、関わりたくない。すべての女と関わり
たくない。
少しよろめきながら、玄関ホールに降り、電話のところに行った。片
目をつぶって、電話帳の読みやすい印刷の活字を読んで、総合神経病院
の番号をダイアルした。
マギーを頼んだ。
「苗字は?」
「うう」一瞬、間があいた。マギーの結婚前の苗字を思い出せなかった。
それから、思い出したが、彼女はそれを再び使用していない気がした。
特に、離婚が最終決定されるまでは。「マギーデビュラックス、ナース」
そして、数秒後、マギーの声がした。「ハロー」
「ハイ、マギー、ルークだよ、起こしちまったかな?」
「いいえ、今は夜勤。ルーク、電話してくれて、嬉しい。心配していた」
「オレを心配?元気さ。なにを心配?」
「そう、マーティアン。大勢の人が━━━ただ、心配だっただけ」
「彼らは、オレを揺りいすから出してくれた、と考えたことはない?心
配ない、ハニー。彼らは、オレをへこませることはできない。サイエン
スフィクションを書いてるんだよ、忘れた?書いているということは、
つまり、オレがマーティアンを作り上げたのさ」
「ほんとうに、大丈夫、ルーク?飲んでるのね」
「ああ、飲んでるさ、元気さ、あんたはどう?」
「元気、しかし、ものすごく忙しい。ここは、そう、気違い病院みたい。
長くしゃべっていられない。ほかに用は?」
「用はない、ハニー、オレは元気」
「じゃ、電話を切るけど、あなたと話しがしたいので、ルーク、明日の
午後、電話して!」
「いいよ、なん時に?」
「午後ならいつでも。バイ、ルーク」
「バイ、ハニー」
飲みに戻ったが、突然、マギーにフォーブスのことを訊くのを忘れた
ことを思い出した。しかし、そう、フォーブスのことは重要ではなかっ
た。彼は大丈夫か、そうでないかだが、そうでないとしても、してあげ
られることは、なにもなかった。
驚いたことは、マギーがとてもやさしかったことだ。特に、彼が飲ん
でることに気づいたあとは。マギーは、飲酒には寛大な方だった。彼女
自身も、ふつうに飲む。しかし、今夜のように、ひどく酔うと、いつも
怒り出す。
今夜は、彼のことをほんとうに心配していた。なぜ?
彼女は、彼のことを、精神的に不安定だと、いつも疑っていた。精神
分析を一度しようとしたことがあった。それは、ケンカしたあとのこと
だった。今、考えると、多くの人が正気を失いつつあって、彼女は、彼
が初めてそうなり掛けたと、考えたのだろう。
彼女がそう考えたとしたら、とんでもないやつだ。彼は、マーティア
ンにへこまされた最後になろうとしていた。最初ではない。
ドリンクのお代わりを注いだ。それがほんとうに欲しかったからでは
なく、すでに酔っていた、マギーとマーティアンを、ものともしないた
めに。彼らに示してやりたかった。
今、室に、ひとりやって来た。ひとりのマギーではなく、ひとりのマ
ーティアンが来た。
ルークは、そいつに、指を立ててゆらした。「オレを、へこますこと
はできない」と、ルーク。「オレが、あんたらを作り上げた」
「あんたは、すでに、へこんでいるよ、マック!スカンクのように酔っ
ている」
マーティアンは、ルークと、いびきをかいてるグレスハムを、愛想を
つかしたように、見た。そして、困らせる価値のあるものはなしと判断
して、消えた。
「また、いっしょにしゃべろう」と、ルーク。
グラスにお代わりを注いで、そのあと、グラスを置いたと同時に、ア
ゴが胸の上に落ちて、眠った。
マギーの夢を見た。前半は、ケンカや言い争いをしていた。後半は、
マーティアンが出て来たが、夢は、自分に関するものだった。
5
鉄のカーテンは、地震でハコヤナギの葉が揺れるように、揺らいだ。
人民のリーダーは、粛清も威嚇もできない、内部対立に直面していた。
彼らは、マーティアンを資本主義のごろつきのせいにもできず、マー
ティアンが資本主義のごろつきよりも手に負えないとすぐに判明した。
マーティアンは、マルクス主義者ではなく、いかなる政治哲学も認め
なかった。それがどんなものであれ、すべて嘲笑った。同じように、地
球上のすべての政府、政治形体も、理論的なものさえ嘲笑った。そう、
彼らは、完璧な政治体制を持っていたが、教えるのを拒否した。オレた
ちに関係ない場合を除いて。
彼らは、宣教師ではなく、オレたちを助ける気はさらさらなかった。
彼らの望みは、現行のすべてを知ることであり、できる限り、困らせ、
苛立たせることだった。
揺らぐ鉄のカーテンの向こうで、彼らはすばらしい成功を収めた。
大きなウソ、いや、小さなウソでもつけるだろうか、30億のマーテ
ィアンが、大喜びで、そのウソを暴き立てようとしているときに?彼ら
は、プロパガンダが大好きだった。
そんなふうに、彼らは秘密をもらした。マーティアンが滞在するよう
になって、最初の1・2か月で、社会主義国で、どのくらい多くの人々
が、即座に秘密をもらされたか、推測することもできない。農夫、工場
監督官、将軍、政治局員。マーティアンが近くにいるところで、なにか
をするのは、安全でなかった。そして、マーティアンは、常に、どこに
でもいた。
しばらくして、もちろん、マーティアンがどこに現われるかは、よく
調べられた。そうしなければならなかった。
だれかを殺すことは、クレムリンの外でさえできなかった。資本主義
のごろつきがやって来て占領したのでない限り。だれかを、シベリアに
送ることさえできなかった。シベリアは、拘束はするだろうが、支えて
はくれなかった。
譲歩がなされた。意見の多少の違いは、許された。党の路線から、多
少のズレは見て見ぬふりをされるか、無視された。このことだけでも、
じゅうぶん悪かった。
しかし、もっと悪かったのは、プロパガンダは、内部的なものでも、
不可能ということだった。事実なり、数字は、スピーチでも印刷された
ものでも、正直である必要があった。マーティアンは、たとえわずかな
言い間違いや誇張であっても、見つけたらみんなにしゃべりまくるのが
大好きだった。
このような状況で、どうしたら政府をやって行ける?
6
しかし、資本主義のごろつきも、深刻なトラブルを抱えていた。だれ
が?
ラルフブレイズウェンデルを取り上げよう、世紀の変わり目に生まれ、
今、60。背は高いが、少し猫背、スラリとして、薄いグレーの髪、疲
れたグレーの目をしている。生まれた時は、不運とは思われなかったが、
1960年に合衆国の大統領に選ばれるという不運に見舞われた。
11月の選挙で、8千百万の人々と、だいたい6千万のマーティアン
のいる国の大統領でいることの苦しみから解放されるまで。
今は、5月初めの夜で、襲来から6週間後だった、広い執務室で、彼
はひとりで、考え事をしていた。
完全にひとりで、ひとりのマーティアンさえいなかった。完全なひと
りというのは、普通のことではなかった。ひとり、秘書はいたとしても、
だれにもじゃまされない、いい機会だった。マーティアンは、ファイル
事務員やベビーシッターを訪れるように、大統領や独裁者も頻繁に訪れ
た。彼らは、だれにも敬意を払わなかった。なにかに敬意を払うマーテ
ィアンは、存在しなかった。
そして今、少なくともこの瞬間は、彼はひとりだった。その日の仕事
は終わっていて、動く気になれなかった。あるいは、あまりに疲れてい
て、動く気になれなかった。大きな責任と全くの不適応から来る特別な
疲労感を伴う疲労だった。打ちのめされた疲労。
過去6週間、嫌なことがまとめてやって来た苦いでき事を思い出して
いた。30年代のいわゆる大不況は、強欲の夢を越えた繁栄に見えるほ
どの不況だった。
不況が始まったのは、在庫市場の崩壊によってではなく、それもすぐ
にやって来たが、なん百万もの失業者が一度に出た、突然の雇用の喪失
だった。娯楽産業だけでなく、ステージ労働者、チケット売り場、洗濯
女。プロのスポーツに関わるすべての者。その能力はなんであれ、映画
産業に関わるすべての者。ラジオやテレビに関わるすべての者、ただし、
放送やすでにフィルム化してあるものを再生する高度な技術者やごくわ
ずかのアナウンサーやコメンテイターを除く。
オーケストラやダンス音楽のすべての演奏者。ペトリロの陰影。
(つづく)
パート3=退却
1
1964年8月に、イリノイ州シカゴに住む、ハイラムペドロオッペ
ルドルファーという珍しい名前の男が、ある装置を発明した。その装置
は、反宙準核超振動装置と呼ばれた。
オッペルドルファー氏は、ウィスコン州のハイデルベルグで教育を受
けた。形式的な教育は、8年生で終了したが、50才のときに、有名な
科学雑誌や科学論文日曜特集のような雑誌の上級読者になった。彼は、
熱心な理論家で、彼の言葉では、(それを否定するのはオレたちだが)
彼は、「実験ばかりしている連中よりはもっと科学を分かっている」そ
うだ。
彼は、グランドアベニュー近くのディアボーン通りにあるアパートビ
ルの管理人として長いあいだ仕事をしている。同じビルの地下の2室の
アパートに住む。2室の1つで、料理をし、食べ、眠り、もうひとつは、
彼の人生で重要な仕事をする作業室だった。
作業室には、ワークベンチに加えて、数台のキャビネット、キャビネ
ットの中や上には、いくつかの動力装置があった。床に積み上げられた
り、複数の箱の中には、自動車の部品や、ラジオのパーツ、古いミシン
のパーツ、古いそうじ機のパーツ。それぞれのパーツである、洗濯機、
タイプライター、自転車、芝刈り機、船外発動機、テレビ、時計、電話、
点滅おもちゃ、電気モーター、カメラ、レコードプレイヤー、扇風機、
ショットガン、ガイガーカウンター。小さな室に、無限の宝物。
管理人としての仕事は、特に夏は、それほどたいへんでなかったので、
あり余る時間を、発明や唯一の趣味である散歩に使えた、天気のいい日
には、住む場所から歩いて10分のバグハウススクウェアのベンチに座
り、リラックスして考えた。
バグハウススクウェアは、1ブロック四方の市民公園で、別名があっ
たが、だれもそれを使いたがらなかった。その公園には、多くの浮浪者
やアル中が寝泊りしていた。しかし、オッペルドルファー氏は、彼らと
はまったく別であることは、確認しておく。彼は、生活のため仕事して
いるし、お酒もビールだけ、適度にやるくらいだった。頭がおかしいと
訴えられても、自分が正常であることを証明できた。数年前に一度、精
神収容施設に入れられた際に、出してもらうために作成した、彼が正常
であることを証明する書類を持っていた。
マーティアンは、オッペルドルファー氏にも、ほかの人よりは少ない
が、あれやこれや妨害した。しかし、彼は、完全につんぼであるという
幸運に恵まれていた。
そう、彼らは、あることで彼を妨害した。しかし、彼はまったく聞こ
えなかったが、しゃべるのが好きだった。なにかを作っているときでも、
習慣的に、自分にしゃべり掛けながら作業するので、大声でしゃべって
ることが考えてる内容だとも言うことができる。
どの場合でも、マーティアンの妨害は、迷惑行為にならなかった。自
分の言ってることは聞くことができなかったが、どうしてようと自分に
言ってることは、完全に理解していたからだ。しかし、彼には、自分以
外に、しゃべるのが好きな男がひとりいた。ピートという名前で、マー
ティアンは、ピートとの一方通行の会話もたまに妨害しようとした。
毎年夏になると、ピートはバグハウスに住んだ。できれば、中庭から
南東の端に対角線上にある歩道に沿って左へ4番目のベンチが取れれば
そこに。秋には、ピートは消えた。オッペルドルファー氏は、あまり正
確ではなかったが、南へ飛び立つ鳥とともに旅立ったと推測した。しか
し、つぎの春にはピートはまた現われて、オッペルドルファー氏はまた
会話ができた。
それは、ピートはしゃべらなかったので、実際、一方的な会話だった。
しかし、彼は、オッペルドルファー氏の話を聞くのが好きだった。偉大
な思想家で、偉大な科学者だと信じていた。オッペルドルファー氏が合
図をして、単純な信号がいくつかあれば、会話の内容を補えた。頭をう
なづいたり振れば、それはそれぞれ、イエス、ノーの意味だった。眉毛
を上げるのは、さらなる説明や解説を求める意味だった。しかし、そう
したシグナルもほとんど必要なかった。称賛の表情やうっとりとした仕
草で、ふつうはじゅうぶんだった。さらにもっとまれなことは、オッペ
ルドルファー氏がいつも持ち歩いている、紙と鉛筆に頼ることだった。
けれども、初めて、この夏、ピートは、新しいシグナルを使った。耳
のうしろで、手をコップの形にした。オッペルドルファー氏は、最初に
見たとき分からなかった。いつもと同じように大きな声でしゃべってい
たので、紙と鉛筆をピートに渡して、説明を求めた。ピートは書いた。
「マーティアンがうるさくて、聞こえない」
それで、オッペルドルファー氏は、もっと大声でしゃべることを要求
されたが、そうすることに少し悩みがあった。(もともとしゃべり声が
大きいので、それほどの悩みでなかったが、妨害が終わっても、いつマ
ーティアンの質問攻めが終わったのか、知りようがなかった━━━隣り
のベンチの占有者も困らせてしまうことも)
そのとき、この特別な夏、うるささが拡大するなか、ピートはシグナ
ルを使わなかった。会話は、かつてのように、満足するには程遠かった。
ピートの顔の表情が、しょっちゅう変化するのは、オッペルドルファー
氏が話しているものとは別のなにかを、あるいは、も聞いているからだ。
そのようなとき、オッペルドルファー氏が見回すと、いつでも、ピート
はひとりのマーティアン、あるいは複数を見ていて、マーティアンは彼
が質問攻めに会っていることを知っていて、これがピートの注意散漫に
つながっていた。それが間接的に、自分にも及ぼしていた。
オッペルドルファー氏は、マーティアンをなんとかしたいと考え始め
た。
8月の中旬に、はっきりなにかをする決断をするまでは、なにも始め
てなかった。8月の中旬に、ピートはバグハウスから姿を消した。数日
のあいだ、オッペルドルファー氏は、彼を見つけられず、ほかのベンチ
の占有者たちに訊いてみることにした。彼らをよく見掛けていたから、
レギュラーメンバーだと分かっていた。ピートになにがあった?最初の
うちは、みんな頭を振るか肩をすくめるだけだった。そのとき、グレー
のひげの男が、なにか話し始めたので、オッペルドルファー氏は、言っ
た。「自分はつんぼで、だから紙と鉛筆を持たせた」ヒゲの男は、読み
書きができなかったので、一時的に困ったことになった。しかし、彼ら
のなかに、ヒゲの男の話をまじめに熱心に聞いている仲介者になりそう
な者がいることに気づいて、紙と鉛筆を渡すと、書いてくれた。ピート
は監獄にいると。
オッペルドルファー氏は、警察署へ急いだ。1つ困ったことがあって、
多くのピートがいるのに、彼は、親友の苗字を知らなかった。最終的に、
ピートが拘置されている場所が分かって、なんとか救い出そうと、急い
で会いに行った。
分かったことは、ピートはすでに裁判を受け、有罪になって、助けら
れるまで、すでに3日経っていた。この期間のタバコ代として1ドルの
借金を喜んで受け入れたが。
しかし、彼はピートに、なにがあったのか教えて欲しいと、紙と鉛筆
を渡した。
ミススペルを無視すれば、ピートの話はこうだった。ピートはなにも
してなかったが、警察に捕まって、監獄に入れられた。そのうえ、彼は
少し酔わされていて、昼日中に、10セントショップからひげそり用カ
ミソリを盗むよう、周りのマーティアンにそそのかされた。マーティア
ンは、彼を店に連れてくると、見張りをしていると約束して、彼のポケ
ットがいっぱいになる瞬間に、警察を呼んだ。それは、すべて、マーテ
ィアンのせいだった。
この哀れな話が、オッペルドルファー氏を困らせて、まさにこの瞬間、
マーティアンに対して、なにかしなければと決心した。その夜、彼はと
ても忍耐強い男だったが、忍耐の限界に達した。
帰り道、長い間の習慣を破って、レストランで食事することにした。
食事を作るために、思考を中断する必要がなければ、もっと早いスター
トが切れるだろう。
レストランで、豚足とザワークラウトを注文した。料理を待つあいだ
に、思考をスタートさせた。ただし、カウンターにいるほかの客の迷惑
にならないように、静かに。
ポピュラー科学雑誌にあったマーティアンのことや電気、電子、相対
性理論についての知識を総動員した。
論理的帰結が、豚足とザワークラウトと同時にやって来た。「それだ
!」と、彼。ウェイトレスに。「反宙準核超振動装置、それが、やつら
を撃退する唯一の手だ!」彼女の返事は、したとしても聞こえなかった
ので、記録されなかった。
食事中は、もちろん、思考は中断した。しかし、家に帰る残りの道で
は、大声で考えた。家に帰ると、シグナルの連結をはずした。(ベルの
代わりに、赤ランプの点滅になった)これで、ビルのどのテナントも、
蛇口の漏れや冷蔵庫の故障で彼を煩わせることはできない。これで、彼
は反宙準核超振動装置を作り始めた。
「この船外モーターを動力源にしよう」と、彼は考えた。言葉通りに行
動した。「プロペラが回って直流電流を作る。電圧は?」ボルトを計算
して、変圧器にセットすると、スパークコイルに移動して、作業を進め
た。
一度だけ、重大な困難に直面した。それは、直径8インチの振動する
膜が必要だと分かったときだった。その目的にかなうものは、作業室に
はなかった。8時だったので、すべての店は閉まっていて、その夜はあ
きらめかけた。
しかし、救世軍のことを思い出したことが、彼を救った。外へ出ると、
クラーク通りを過ぎて、飲食店の周りで演奏している救世軍の娘が見つ
かるまで、歩き回った。彼女のタンバリンを譲ってくれるよう、30ド
ルを申し出た。彼女がカネに負けて、譲ってくれたのは、幸運だった。
というのは、それが彼が持っていたカネのすべてで、もしも同意してく
れなければ、それを盗んで逃げる誘惑に負けただろうから、それは結局、
ピートといっしょに監獄行きとなったことだろう。彼は太っていて、走
るのがのろく、息もすぐ切れた。
タンバリンは、ガチャガチャしたものを取り外せば、彼の目的にピッ
タリだった。磁力化した鉄の束に照明を当てて、陰極のチューブとアル
ミのシチュー鍋のあいだに置けば、グリッドになるので、必要のないデ
ルタ光線をカットするだけでなく、膜を振動させる。(一度外部モータ
ーが動き出せば)必要なインダクタンスの変動が得られる。
ついに、いつもの寝る時間のあと1時間を使って、オッペルドルファ
ー氏は最後の接続にはんだ付けし、一歩後ろに下がって、自らの作品を
眺め、満足のため息をついた。よくできた。動作しそうだ。
送信アンテナは、いつもの高さでオープンしていることを確認した。
準核超振動は、外に向けて発信されないと、室内しか働かない。一度発
信されると、ヘビサイド層で跳ね返されて、ラジオ波のように、数秒で
世界中を飛び回る。
外部モーターのタンクにガゾリンが入っているか、スピナーの回りに
巻かれたコードが引かれる準備はいいかを確認し、それから、ためらっ
た。室内に、マーティアンの姿はなく、夜のあいだも、ひとりも見てな
かった。マシンを作動させる前にむしろ、ひとりはいて欲しかった。そ
うでないと、マシンが正常に作動したと言えなくなってしまう。
もうひとつ別の室へ行って、冷蔵庫からビールを出して、あけた。そ
れを持って、作業室に戻り、座って、すすりながら待った。
どこかで、時計が鳴ったが、オッペルドルファー氏は、つんぼなので、
聞こえなかった。
マーティアンが現われた。反宙準核超振動装置の一番上に座っていた。
オッペルドルファー氏は、ビールを置いて、コードに手を伸ばし、引
いた。モーターは回り出し、始動し、マシンは動いた。
マーティアンに、なにも起こらなかった。
「効果が出るまで、数分掛かる」と、オッペルドルファー。マーティア
ンというより、自分に説明した。
また座って、ビールを手にした。1口すすり、見て、数分が立つのを
待った。
今は、シカゴ時間で、だいたい11時5分。8月19日水曜の夜。
2
1964年8月19日午後、カリフォルニアのロングビーチ、午後4
時(シカゴでは午後6時、オッペルドルファー氏に豚足とザワークラウ
トがやって来て、反宙準核ナントカを作り始めた時間だった)マギーデ
ビュラックスは、スナイダー医師のオフィスをドアの隅から見て、訊い
た。「忙しい、ドクター?」
「まったく、マギー、入って!」と、スナイダー。仕事していた。「座
って!」
マギーは、座ってから言った。「ドクター」少し息切れしていた。
「ルークを捜し出す、最終的なアイデアがある」
「いいものだと期待する、マギー。もう、2週間になる」
それより、1日長かった。15日と4時間になる。マギーが、昼寝し
ているルークを起こしに行くと、夫の代わりにメモがあって、彼女を待
っていると書かれていた。
彼女はすぐに、それをスナイダー医師に見せた。最初にふたりが考え
たことは、ルークはマギーの財布にあった数ドル以外、カネを持ってな
かったので、銀行に寄るということだった。銀行に電話すると、彼は、
共同預金から数百ドル降ろしたことが分かった。
もう一つの事実が、続いて明らかになった。警察は、つぎの日、ルー
クが銀行に電話して1時間しないうちに、彼とよく似てはいるが違う名
前を名乗る男が、店から中古車を買い、100ドルを支払ったことを聞
き込みで知った。
スナイダー医師は、警察には影響力を持たなかったが、全南西部に、
ルークとルークの車の特徴が配られた。車は、1957年製マーキュリ
ーで色は黄。スナイダー医師は、個人的に、その地域の精神分析診療所
にも捜索依頼書を配った。
「それに賛成」と、マギー。「もっとも行きそうなところは、砂漠にあ
る小屋、そこに夜いると、マーティアンがやって来た。まだ、それを考
えている?」
「ええ。彼は自分がマーティアンを作り出したと考えている。オレに宛
てた手紙にそう書いていた。同じ状況を再現しようとして、同じ場所に
戻ると考えるのは、より自然だ。しかしあんたは、小屋がどこかという
考えを全く持ってないと言った」
「それはLAからドライブで行ける距離だということを除いて、まだ、
その考えはない。しかし、なにか思い当たることがある、ドクター。覚
えているのは、数年前に、ルークはわたしに言った。カーターベンソン
が、どこかの小屋を買った。たぶん、インディオの近く。それに賭けて
みたい」
「しかし、ベンソンには電話した?」
「ええ、電話した。訊いたことは、ルークがここから出て行ってから、
彼に会ったり彼の所在を聞いたことがあったかということだけ。彼は、
会っても聞いてもないが、なにか聞いたら知らせると約束した。しかし、
ルークが3月に小屋を使ったかどうか訊かなかった。彼は、情報は自発
的だと思わなかったかもしれない。なぜかというと、全部の話はぜず、
3月にいた場所に戻るだろうと考えていることを伝えなかったから。わ
たしが思いついたことではないが」
「ふむふむ」と、スナイダー医師。「そう、それもあり得る。しかし、
ルークはベンソンの許可なしに小屋を使える?」
「たぶん、3月に許可は得ている。このときは、彼は姿を見せていたこ
とは忘れないで!彼は、カーターにも居場所を知られたくない。カータ
ーが小屋を使わないことを知っている。8月は使わないと」
「まったくその通り!もう一度、ベンソンに電話したいのでは?電話は
ここにある」
「外側のオフィスの電話を使わせてもらう、ドクター。彼を捕まるまで
時間が掛かるだろうし、あなたは忙しくないと言っても、忙しい」
しかし、カーターベンソンは、すぐに捕まった。マギーは、数分で戻
り、顔を輝かせていた。
「ドクター、ルークは、3月はカーターの小屋にいた。そこへ着く道順
を教えてもらった」彼女は、メモ用紙をひらひらさせた。
「よかった!どうするつもり?インディオ警察署に電話?」
「それはない!会いに行く。仕事が済みしだい、すぐに」
「すぐに行ってもいい、マイディア。ひとりでも大丈夫?彼の病気が、
どう変容し進行してるか分からない。彼を見つけられても、動揺させて
しまう」
「彼がいなくても、動揺させてしまう。ほんとうに、ドクター、心配し
ないで!どうあっても、彼をうまく扱える」腕時計を見た。「4時15
分。わたしがほんとうにすぐ行っていいなら、向こうには、9時か10
時に着ける」
「ほんとうに、もうひとり同乗者が必要ない?」
「ええ」
「分かった、マイディア。運転、気をつけて!」
3
シマカモシカの季節の3番目の月の3日目の夜(ほとんど同じころ、
オッペルドルファー氏は、バグハウススクウェアで、いなくなった友人
を捜して、聞き込みをしていた)アフリカの赤道近くのモパロビ族のブ
ガッシという名前のまじない師は、首領の前に呼び出された。首領の名
前は、マッカーシー。これは、合衆国の上院議員と同じ名前だが、親戚
でもなんでもなかった。
「マーティアンに対して、ジュジュを行え!」マッカーシーは、ブガッ
シに命じた。
もちろん、彼は、マーティアンと言ったわけではなかった。グナジャ
ムカッタという言葉を使った。由来は、グナが『ピグミー』、ジャムが
『グリーン』、カットが『空』。最後の母音アは複数形を示す。全体の
訳は、『空から来たグリーンのピグミーたち』となる。
ブガッシは、一礼した。「モンスタージュジュを」と、彼。
モンスタージュジュが、もっとも効果的だと、ブガッシは知っていた。
モパロビ族の占い師の地位は、不安定だった。非常に優秀な占い師で
なければ、生きられる命も短かった。首領がうらない師のひとりに公式
要求を行えば、命はもっと短くなる。それは、失敗すれば、部族の食料
貯蔵庫に肉を捧げなければならないと部族のおきてにあるからだ。モパ
ロビ族は、人食い人種だった。
モパロビ族には、マーティアンが来たとき、6人の占い師がいた。今、
ブガッシは、最後の生き残りだった。ひと月経ってから(首領が前回の
ジュジュからひと月後、28日後より早くジュジュを命令するのは、タ
ブーとして禁じられていた)ほかの5人の占い師は、やって失敗し、肉
を捧げた。
今、ブガッシの番だった。マッカーシーと部族の残りの者たちは、空
腹から彼を見つめた。失敗しようと成功しようと、すぐに腹いっぱい食
べられることは明らかだった。モパロビ族は、28日間、肉を食ってな
かった。肉に飢えていた。
アフリカの全土で、肉に飢えていた。
専門にあるいは、ほとんど専門に狩りで生活していたいくつかの部族
は、実際、飢えていた。それ以外の部族は、野菜の食物やフルーツやベ
リーが食べられる地域へと、はるかな距離を移住することを強いられた。
狩りだけでは、もはや、生活できなかった。
人間が食慮として狩りをする動物のほとんどすべては、足が速かった
り、翼があったりするので、風下から近づき、殺せる距離に来るまでそ
っと忍び寄らなければならない。
周りにマーティアンがいたのでは、そっと忍び寄ることは不可能だっ
た。マーティアンは、狩られる動物を助けるのが好きだった。助ける方
法は、ハンターたちの先を走って、あるいはクイムして、獲物を起こし
て、大声で警告する。
それで、獲物は大慌てで逃げて行ってしまう。
ハンターたちは、100回のうち99回は、弓矢を射ったりやりを投
げることもなく、手ぶらで狩りから帰って来る。わずかに1回だけはな
にかにあてたが。
これは、不景気だった。先進国ではびこる不景気とはタイプは違うが、
効果として罰を与える意味では同じ不景気だった。
牛追い族たちも、影響を受けた。マーティアンは、牛の背に跳び乗る
のが好きで、牛の群れは、驚いてどっと逃げ出してしまう。もちろん、
マーティアンは実体や体重がなく、牛は背中にマーティアンを感じない
が、マーティアンが前かがみになって、「イウリゴ〜ンナガリ」(ハイ
ヨ〜シルバー)ともっとも高い声でマサイ語で耳元で叫ぶと、12人以
上のマーティアンもそれぞれの牛の耳元で叫び、牛の群れはみんな逃げ
出してしまう。
アフリカは、マーティアンが好きでなかった。
しかし、ブガッシに戻ろう。
「モンスタージュジュを」と、マッカーシーに言った。言葉通りで、形
的にも。グリーンのピグミーが空からやって来てすぐ、マッカーシーは、
6人の占い師を呼んで、長く真剣な会議を行った。知識を総動員してベ
ストを尽くすよう説得あるいは命令した。つまり、ひとりが6人の知識
すべてを使って、今まで見たことのないモンスタージュジュを作ること
ができるだろう。
彼らは拒絶した。苦痛の脅威や死さえも、彼らを動かせなかった。秘
密は神聖で、自分の命より大事だった。
しかし、約束は守られた。1月ごとの、順番を決める賭けを引いた。
そして各人は同意した。もし、そしてもしものときのみ、失敗したら、
彼のジュジュを行った材料や呪文を含めて、秘密のすべてを打ち明ける
と。部族の胃袋に貢献する前に。
ブガッシは、もっとも長い小枝を引いたので、5月のちの今、彼の知
識だけでなく、みんなの知識も有していた。モパロビ族の占い師は、ア
フリカ全土でもっとも有名だった。さらに、彼は、失敗した5つのジュ
ジュを行なったすべての正確な知識を持っていた。知識の宝庫を指先に
込めて、満月の今、自分のジュジュのプランを練った。それは、5番目
の占い師であったナリボトが食されて去ったのち以来だった。(ブガッ
シの割り当ては、希望通り、レバーで、小さなかけらを保存し、十分に
腐らせたものが、彼のジュジュの主要成分だった)
ブガッシは、自分のジュジュが失敗しないことを知っていた。それは、
自分だけの結果でも失敗は考えられなかったが、自分だけでなくすべて
の占い師の知識を統合させたものは、単に失敗し得なかったからだ。
それはすべてのジュジュを、すべてのマーティアンと同じに終わらせ
るジュジュだった。
それは、モンスタージュジュとなる。ほかの5人で使われたすべての
成分やすべての魔法を含み、追加的に、彼自身の特別な秘密であって、
ほかの5人には知られていなかった11の成分と19の魔法(7つはダ
ンスステップ)を含んでいた。
すべての成分は、集められて手元に置かれ、個々のものは、ほとんど
がわずかな量だった。それらは、大きなヤシの木の葉で包まれ、それが
運ぶ容器になる。(大きなヤシの木は、もちろん、だれかがよじ登って
数枚の葉を切り落とした。マーティアンが来てからは、大きな儀式はな
かった)
しかし、ジュジュの儀式は、夜通し行われた。それは、各成分を加え
るときに、それぞれ固有の魔法やダンスも、それぞれ場所を変えて配置
されているからだ。
夜通し行われ、モパロビ族のだれも寝なかった。大きなたき火の神聖
な円に座って、女たちは、時々、たきぎを足した。みんな、ブガッシが
儀式を行なったり、ダンスしたり、魔法を行うのを見ていた。激しい儀
式だった。彼は体重を落とし、みんな悲しそうに注目した。
夜明けのちょうど前に、ブガッシは首領マッカーシーの前に、倒れた。
「ジュジュが終わった」と、彼。倒れたまま。
「グナジャムカッタはまだいる」と、マッカーシー。ニヤリとした。た
しかにいた。夜通し、行動的だった。準備しているのを見たり、助ける
ふりをして、大喜びした。なん度か、ブガッシのダンスでつまづかせた。
一度など、ダンス中に足元に突進して、顔から転倒させた。しかし、彼
は忍耐強く我慢して、ダンスのシーケンスを繰り返したので、ステップ
がとばされることはなかった。
ブガッシは、汚れた片腕を挙げた。もう一方の腕で、もっとも近くの
高い木を指差した。
「ジュジュは、地面より上に吊るされなければならない」と、彼。
マッカーシーが命令を下すと、3人の男が、命令に従った。つるで編
んだ1本のロープを、ジュジュの周りに結びつけた。ひとりが木によじ
登り、大枝にロープを渡した。ほかのふたりは、ジュジュを引き上げた。
地面のブガッシは、それが10フィートになると、苦労してよじ登り、
高さはじゅうぶんと宣言した。ふたりはそれを固定した。木の上のひと
りは降りて来て、ふたりに合流した。
ブガッシは、木から降りて、足を痛めたように歩いて来ると、ジュジ
ュの下に立った。東に顔を向け、そこでは空が今グレーになって、太陽
が水平線のすぐ下だった。彼は腕を組んだ。
「太陽がジュジュを照らした瞬間」と、彼。少しかすれた声で、おごそ
かに。「グナジャムカッタは去る」
太陽のふちが水平線から目に入って来た。最初の光線がジュジュが吊
るされた木のてっぺんを照らし、徐々に下へ降りて来た。
あと数分で、太陽の最初の光線が、ジュジュを照らす。
偶然、あるいはそうでないのか、それは正確に、アメリカ合衆国イリ
ノイ州シカゴの管理人で発明家、ハイラムペドロオッペルドルファーが
ビールをすすりながら、彼が作った反宙準核超振動装置が、効果を発揮
するのを待っている時間だった。
4
その瞬間の前、3時45分に、太平洋時間では、9時15分、カルフ
ォルニア州インディオ近くの砂漠の小屋では、ルークデビュラックスが、
その夜の3杯目を作っていた。
それは、小屋での、14日目の裏切られた夜だった。
それは、小屋での、逃亡してから14日目の夜だった。収容施設から、
歩いて出て来ても逃亡と呼べるなら。最初の夜も、別の理由で、裏切ら
れた夜だった。100ドルで買った中古の57年製マーキュリーは、ロ
ングビーチとインディオの中間点のリバーサイドで壊れてしまった。壊
れた車は、修理店の車で綱で引いて行ったが、つぎの日の午後まで直せ
ないと言われた。リバーサイドホテルで、どんよりした夜、いやな夜を
過ごした。(ふたたびひとりで眠るというのは、奇妙で寂しいように思
えた)
つぎの朝は、買い物をして過ごし、買ったものを、修理店のメカニッ
クが作業している車の中へ運んだ。買ったものは、もちろん、中古のタ
イプライターといくつかの文房具だった。(伊集院夜兎のスピーチがラ
ジオで流れた太平洋時間で午前10時は、タイプライターを選んでいる
ときだった。買い物は宙ぶらりんになった。それは、店主がラジオをつ
けて、店にいた客が全員その周りに集まって来たからだ。実際にマーテ
ィアンがいるという伊集院の根本的前提が完全に間違ってることが分か
っていたので、ルークは買い物が中断されてマイルドな気持ちで困った。
しかし、自分が、伊集院のバカバカしい理論づけをおもしろがってるこ
とに気づいた)
小屋へ行ったら、少なくとも数日はインディオまで買い物に行かなく
て済むように、スーツケースも買って、追加の服や、ヒゲ剃り用カミソ
リや石鹸、クシ、十分な食料に酒も買った。小屋へ行ったら、すべてを
完成させて、それより延びることがないことを望んだ。
車は直ったが、修理費用は、最初の車の値段の半分近く掛かった。午
後のあいだ走って、暗くなる前に目的地に着いた。あまりに疲れたので、
その夜、なにかに挑戦する気になれなかった。とにかく、なにかを忘れ
ていることに気づいた。ひとりだと、うまく行ったのか、そうでないの
かが分からなかった。
つぎの朝、インディオに車で戻り、そこにあるもので最も高性能で、
最も高いテーブルタイプのラジオを買った。国内のすべての放送が受信
できて、あらゆる場所から放送された昼や夜のニュースを聞くことがで
きた。
どこかのニュースが、教えてくれるだろう。
この2週間、今日まで、唯一困ったことは、ニュースは、一貫して、
彼が間違っていると言っていることだった。マーティアンは、まだ、周
りにいると言っていた。ニュースは、「マーティアンは、まだ、オレた
ちといしょにいる」という文章を読み上げるのではなく、彼らに少なく
とも間接的に関係する、あるいは、不況に関するものや、彼らが原因と
なるトラブルについてのニュースを語っているだけだった。
ルークは、考え得るすべてを試した。必死に試した。
マーティアンは、想像上のもので、(ほかのすべてと同様に)彼の想
像の産物だということを知っていた。5か月前の夜、3月に、サイエン
スフィクションのプロットを考えているときに、彼が作り出した。彼が、
彼らを作り上げた。
しかし、なん百というほかのプロットも作り出している。そのどれも、
ほんとうにはなってない。(あるいは、ほんとうになったように見えな
い)その夜のことと、どこが違うのだろう?正確にそのときの状況、心
の状態、すべてを再現してみよう。
もちろん、ドリンクの量も正確に再現する。酔い具合も。それも要素
の1つなので。その夜に先立つその期間にしていたように振舞って、昼
間は完全にしらふで過ごし、目覚めたときに、二日酔いがどんなに悪か
ったとしても、床を歩き回り、絶望した。(そのときは、プロットに対
して、今は、答えに対して)
今、そのときのように、料理を作って、食べてから、ドリンクを飲み
始めた。飲むペースには気をつけた。少なくとも、その夜を再現するの
をあきらめるまでは。
なにが、うまく行かない?
彼がマーティアンを、想像することで作り出した?なのに、なぜ、今、
想像をやめることで、彼らを消し去ることができない?真実を知ってし
まったから?彼がやったことは、あくまで彼自身に関すること。なのに
なぜ、ほかの人は、彼らを見たり聞いたりすることをやめられない?
心理的ブロックがあるに違いない、と彼は自分に言った。しかし、名
前を付けても、助けにはならない。
ドリンクを、一口すすり、それを見つめた。そして、ここに来てから
なん千回目くらいに、3月のその夜、なん杯のドリンクを飲んだか、正
確に思い出そうとした。多くはなかったことは、分かっている。ほとん
ど酒を飲んだことを感じてない。今夜、この1杯の前に2杯飲んだ感じ
と違いはない。
あるいは、酒の飲み具合は、結局、なんの関係もない?
2口目をすすり、グラスを置いて、歩き回り始めた。マーティアンは
いない、と彼は考えた。彼らはひとりもいなかった。彼らが存在したの
は、すべてのものやすべての人と同様に、オレが想像したからだ。オレ
は、もはや、想像しない。
それゆえ━━━
たぶん、そうなった。ラジオのところへ行って、スイッチを入れた。
真空管が温まるのを待った。がっかりするニュースがいくつか流れたが、
彼が成功したのなら、少なくとも数分間、マーティアンがどこにも見え
なければよい。すべての人がそう感じる前に。ニュースが、こう言うま
では。「この瞬間も、スタジオのここにいるマーティアンがなにかをし
ようとして」
ルークは、スイッチを消して、呪いの言葉を吐いた。
もう一口すすってから、また歩き始めた。
急にアイデアが浮かんだ。
心理的ブロックを通り過ぎるのではなく、それを迂回すれば裏をかけ
るかもしれない。ブロックがあるのは、彼が正しいと知っていても、自
分に対する信頼が、欠けているからだ。彼がなにか別のものを想像して
も、完全に違うものであっても、彼の想像力が形作ろうとするときに、
潜在意識がそれを否定できなくて、否定できない瞬間に━━━」
やってみる価値はある。失うものはなにもない。
しかし、ほんとうに欲しいものを想像してしまった。ほんとうに欲し
いものとは、マーティアンを消すこと以外で、この瞬間、もっともそう
なのは?
マギーだ、もちろん。
この2週間、ひとりでいて、とても寂しかった。マギーがここにいる、
と想像できたなら、想像によって、ここに連れて来たら、心理的ブロッ
クは打ち破れると分かっていた。片方の腕を彼の背中に回して、両手は
マギーの回りに。
分かったと、彼は考えた。彼女がここへ彼女の車で来る、と想像する。
すでに、インディオを過ぎて、あと半マイルのところにいる。すぐに、
車の音が聞こえる。
すぐに、車の音が聞こえた。
彼は、歩いて、走ってはない、ドアのところへ行って、開けた。ヘッ
ドライトが近づいて来るのが見えた。今、なにをすべき?
いや、確認できるまで、待った。車が近づいて来て、マギーの車だと
分かるくらいになっても、似たような車はいくらでもある。車が停まっ
て、マギーが降りて来るまで待った。やっと知った。そのとき、そのす
ばらしい瞬間、マーティアンは、もはやいないと考えた。
そして、いなくなった。
数分して、車は、ここにあった。
それが、だいたい、太平洋時間で午後9時5分。シカゴでは、11時
5分、オッペルドルファーがビールをすすって、彼の超振動装置が、効
果を発揮するのを待っていた。赤道近くのアフリカでは夜明けで、ブガ
ッシという名前の占い師が、モンスタージュジュの下で腕を組んで、太
陽の最初の光線が、それに射すのを待っていた。
4分後、現われてから146日と50分後、マーティアンは消えた。
同時にすべての場所から。つまり、地球上から消えた。
彼らがどこへ行ったにしても、その瞬間以来、見たという正式に確認
された事例は1つも報告されていない。悪夢で見たり、錯乱状態で見た
りすることは、まだよくあるが、そのような光景は、正式に確認された
とは言い難い。
今日まで━━━
エピローグ
今日まで、彼らはなぜ来て、なぜ去ったのか、だれも知らない。
多くの人々が、知らないと思っていたのではなかった。少なくとも、
そのことについては強い意見を持っていた。
なん百万の人々がまだ信じていることは、当時と同様、彼らはマーテ
ィアンではなく、悪魔であって、火星でなく、地獄に戻ったということ
だった。オレたちの悪い行ないを罰するために、彼らを送った神は、オ
レたちが祈り続けたために、ふたたび慈悲深い神となった。
なん百万の人々は、彼らは火星から来て、結局、火星へ戻って行った
ということを受け入れた。すべてではないが、ほとんどの人々は、彼ら
が去って行ったのは、伊集院夜兎のおかげだと思っている。彼の指摘が
公表され、伊集院の理論が新聞に載り、マーティアンに関する命題が、
多くの人々に支持されても、マーティアンは、すぐには反応しなかった。
どこかで、マーティアンの会議が開かれて、決定事項が重要視され、彼
らが決心するまで。それまでは、じゅうぶん親切で、懲らしめられてい
たかどうか。伊集院のスピーチのあと、たった2週間しかマーティアン
は地球にいなかった。これは、そのような決定がなされるとしたら、た
しかに長い期間ではなかった。
とにかく、目の前の敵はいなくなった。どの国も、火星にロケットを
送る計画は取りやめた。伊集院は正しい方に、部分的には正しい方に賭
けた。
神なり伊集院がマーティアンの退去に関係すると、すべての人が信じ
たわけではなかった。
たとえば、アフリカのある種族は、それは、ブガッシのジュジュのお
かげで、彼がグナジャムカッタをカッタに送ったせいだった。
シカゴに住む管理人、オッペルドルファーは、彼の発明した反宙準核
超振動装置によってマーティアンを追い払ったと完全に理解していた。
もちろん、最後の2つは、なん十万もいるその他の科学者や神秘主義
者のランダムな事例に過ぎない。それぞれが自分のやり方で、同じ目的
を達成するために努力を重ねた結果だった。それぞれが、ついには成功
したと自然に考えた。
そしてもちろん、ルークは、みんな間違っていることを知っていた。
しかし、それは重要ではなかった。彼らがどう考えようと、彼らは彼の
心の中にしか存在しないからだ。そして、彼は、西部地区の成功した作
家となった。4年間で、4つのベストセラーを送り出し、ビバリーヒル
ズの豪華なマンションに住み、2台のキャデラック、愛する妻に2才に
なる双子の息子がいた。ルークは、どう自分の想像力を働かせるか、か
なり慎重になった。今の宇宙に、じゅうぶん満足している。
マーティアンに関して1つ言っておくと、ルークデビュラックスは、
オッペルドルファーやブガッシやスカンジナビア人を含めて、みんなに
賛成だった。
だれも、しかしだれも、彼らがいなくなって寂しいとか、戻って来て
欲しいと思う者はいなかった。
(終わり)
著者後記
出版社が手紙を寄こした。
◇
ゴーホームの原稿とマーティアンを印刷所に送る前に、提案がある。
著者後記も書いて、マーティアンについての真実を読者に伝えて欲しい。
この本を書いたのはあんたなんだから、彼らがほんとうに火星から来
たのか、あるいは、地獄から来たのか知ってるはずだ。また、登場人物
のルークデビュラックスは、マーティアンは、宇宙のほかのすべてと同
様、彼の想像の中にのみ存在すると考えるのが正しいのかどうか。
そうしたことを、語らないのは、読者にフェアじゃない。
◇
フェアじゃないことは、世の中にたくさんある、出版社のこの要求も
含めて。
ここで明らかにさせるのは、避けたい。というのは、真実というもの
は、驚くべきものであることもあるだからだ。今の場合、あんたがそれ
を信じていたら、それは驚くべきものである。しかし、こうも言える。
ルークは正しいとする。つまり、宇宙やその中のすべては、彼の想像
の中にのみ存在する。彼が、宇宙を作り上げ、マーティアンを作り上げ
た。
しかし同時に、オレがルークを作り上げた。そう考えると、彼やマー
ティアンの存在する場所はどこになるのだろうか?
あるいは、あんたたちはどこに存在する?
アリゾナ州ツーソン
1955